蜂須賀・大熊町商工会長に聞く 被災して感じる2つの思い 原発と共に生き、生活して

国会事故調査委員会で委員を務めた蜂須賀禮子・大熊町商工会長に、福島県会津若松市内にある大熊町民用の仮設住宅内で、事故から1年8か月たった今の胸の内を聞いた。(中村真紀子記者)

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国会事故調査委員会のメンバーが初めて集められた2011年12月、黒川委員長が何を最初にしたらいいかと私に聞いてきたので、まずは現場を見てほしいと言った。爆発を起こした福島第一原子力発電所や私たちの町の様子などを最初に見てからでないと、この人たちには分からないだろうと思った。正直なところ優秀な先生たちに私たちの苦しい気持ちの何がわかるのだろうという気持ちもあった。すると間髪を入れず、「よし、行こう」と言われた。この人たちを信じようと思った瞬間だった。

それから10日も経たないうちに現場に入った。福島第一原子力発電所から大熊町役場へ向かう時、我が家は道路のそばなので箪笥が倒れていたりするのが見える。田中光彦委員が「あれ、蜂須賀さん箪笥が倒れているじゃないか」と言うので「じゃバス止めて。先生たちで倒れているのを起こして」と言ったら、バスのドライバーから冷たい言葉で「だめです」と言われた。冗談も通じない。委員たちに「私たちは目の前に自分の家があっても入ることもできない。これが現実なのでよく見て感じていって」と伝えた。結局は役に立たなかったオフサイトセンターもこの視察時に見てもらえばよかったと心残りだ。

国会事故調査委員会の報告書については、結局は国会議員のための報告書であることが残念。緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)が役立ったのかについて櫻井正史委員と議論したが、最初自分では納得がいかなかった。もしも政府が測定結果を知っていたなら、飯舘村のような高線量の地域をすぐに避難させることはもちろん、浪江町など線量が低かったが避難命令が出ていて津波の被害が大きかった地区の住民をもっと助けられたかもしれない。これは被災者なら当然の視点。自分が地元に戻った時にみんなに説明できるように櫻井委員によく解説してもらった。

事故調査の結果では東京電力が首相官邸の意見を聞きすぎたという印象があり、これが対応の遅れにつながったと思う。人の命よりも面子を考えていたのかと感じる。

国会事故調査委員会では福島県内の12市町村を訪れた。大熊町のすぐ隣なのに、川内村や浪江町の人たちの話を聞くと立地地域でないために事故当時全く情報が入っておらず、馬場有・浪江町長が怒るのも当然だと感じた。こんなにも立地地域と違うとは驚いた。原子力発電所から30km圏内で協定を組むなどの動きがあるが、絶対に必要だと思う。

不便な仮設住宅に暮らす人たちのため、商工会有志で商店を出している。店舗のあるところには近所の人が集まってきて、毎日そこで健康ドリンクを30分かけて飲みながら話をしていくおばあさんもいる。このような中で町の人から聞いた意見は渡辺利綱・大熊町長に会った時に伝えており、商工会と町長の距離は近い。よって行政とのコミュニケーションはとれていると思う。こうしたこともあり、会津若松に役場がある限り移転するつもりはない。町の職員や商工会の会員を守るには役場が必要だ。

再稼働について、自分が賛成の立場か反対の立場かよく聞かれるが、自分の気持ちは大きく2つ。まずはこんなひどい目にはもう遭わされたくないという思い。もう原子力発電所なんていらないというのは正直な気持ち。その一方で、でも私たちは原子力発電で生活できていたとも思っている。東京電力も自分の店のお客様だったし、町内で実際に原子力発電所に勤めていた人もたくさんいる。他の立地地域の事故のために自分たちの町の原子力発電所が止まっていたとしたなら、再稼働を叫ぶかもしれない。立地地域でない人にこう言ったら袋叩きに遭うが、商工会の人たちにはこの自分の気持ちを伝えさせてもらっている。商人が商売できない苦しみを感じているが、被災し避難して商売できない人と、原子力発電所があるのに稼働しなくて働けない人と、違うかもしれないが、共通する点もあると思う。

原子力発電所を再稼働するにも、立地地域で生きる覚悟を決め、放射線のことをよく理解した上で地域で話し合って考えていくことが必要。再稼働する時は、福島第一原子力発電所の失敗例からよく学び、安全対策から避難対策まで厳密な決まりを作ってベストな状態になってからにしてほしい。


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