【対談特集】「日本社会の専門性」を考える(1)

専門家の信頼回復 世界と一体化し議論を

鳥井 原子力の専門家の信頼が落ちてきているといいますが、原子力だけではなくて、色々な分野の専門家の信頼性が落ちてきていませんか。

白石 確かにそうですが、やはり原子力の専門家の信頼失墜が深刻でしょう。

鳥井 どうも専門家に対する信頼が落ちている気がしてならない。例えば、政治の問題でも、経済の問題でも、テレビに専門家以外の人たちがたくさん出てきて、たくさん物を言うわけですね、これをどう考えますか。

白石 専門家とはなにかというのはなかなか難しい問題です。専門家ということでテレビによく出る人のなかには、実際にはタレントさんと言った方がよい人も少なくない。またもっと根本的な問題として、専門家というのは、なにかを専門としている人ですが、現代では、専門分野はきわめて狭く、深くなっており、ほとんどの政策課題について、専門家と言われる人が、実のところ、どれほど専門的知見をもっているか、相当、怪しくなっている、と思います。

それが理由かどうかは知りませんが、政府では、専門家ではなく、有識者ということばを使います。そちらの方がことばとしては正確だと思います。現代では、ある政策課題について、これは専門家、これはそうではない人、そういうかたちではっきりとは分けられないし、狭く深い専門的知見をもつ専門家だけを集めることがある政策課題に対応する上で最善ともいえない。ではどうすればよいか。世の中には、ある問題、課題についてずいぶん時間をかけていろいろ考えたことがある人がいる。こういう人たちは、おそらく、そして、ここでは、この「おそらく」というのがひじょうに重要ですが、こういう人たちは「考える」とはどういうことか、わかっているはずだ。だから、他の問題、課題についても、それなりにものを考えることができるだろう。それが有識者ということだろうと思います。しかし、やらせてみると、そうでなかった、ということはいくらでもある。


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