【対談特集】「日本社会の専門性」を考える(1)

専門家の発言と内容 むしろバランス良い常識を

白石 私が政策研究大学院大学の学長になったのは2011年4月、震災直後のことでした。このとき、学生の3分の2は留学生で、そのまた3分の2が帰国するか、東京を離れていました。そのまま学生が戻って来なければ、大学はつぶれるかもしれない、そういう状況でした。そこで4月1日にわたしがやったことは、学生全員に学長としてメッセージを出す、また1週間以内に全学集会を開いて学生と直接、話をするということでした。メッセージはきわめてストレートなものです。福島第一原子力発電所の事故でみんな不安になっていることはよく理解している。わたしにとって、学生の安全と福祉はきわめて重要である。したがって、東京が危険になれば、学長としてその旨、率直に伝える。だから、私を信頼して、大学に戻ってほしい。また、アメリカ人の先生を副学長にして、かれに毎週、東京の放射線量と、ソウル、北京、モスクワ、ニューヨークなどの放射線量を比較できるよう、データで示してもらい、メールですべての学生に通知しました。それで1ヶ月以内に、1、2名の学生を除いて、すべて大学に戻ってきました。学長がみずからの責任で学生に語ること、データを理解できるかたちで提示すること、この2つがひじょうに大事だったと思います。

鳥井 それは専門性とはまた別の問題として、大事なことですね。

白石 実は、わたしは、メディアで専門家に期待されているのは、データをみんなそれぞれに受け止めて理解できるようサポートすること、そのための手段を提供することだと思います。今日の東京の放射線量はこれだけですと言われても、それにどういう意味があるのか、わたしにはわからない。しかし、ソウル、北京、モスクワと比べれば、それなりにわかる。そういう意味で、専門性はバランスのとれた広い常識に支えられていなければならない。食品として許容される放射線量の基準設定などにおいて、そういうバランスのとれた常識というのはひじょうに重要であると思います。

鳥井 メディアなどが、そういうところは言うべきだと思いますが。

白石 福島第一原子力発電所の事故の後、新聞も放射線量のデータを載せ始めました。しかし、多くのデータはいまだに日本国内のデータだけ出している。私は、世界各地のデータを同時に出すべきだと思います。その基本には、この問題を日本だけの問題と考えるか、世界の問題と考えるか、そういう知的な構えの違いもあるように思います。ただ、メディアは日本語という強力な非関税障壁に守られていますし、政治はどこでももっともドメスティックな業種で、そこはなかなか変わらない。

鳥井 なるほど。


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