【特別企画】アトムズ・フォー・ピース演説 60周年を迎えて
原子力利用の未来に希望抱く アイゼンハワー演説当時 平和利用博覧会に長蛇

アイゼンハワー米国大統領が1953年12月8日に行った「アトムズ・フォー・ピース」国連総会演説から60周年を迎える。同演説の大筋は冷戦が進む中での核戦争勃発牽制を意図するものともされるが、これを機に軍事中心に数か国に限定されていた原子力の研究開発利用が、発電をはじめとする世界各国での平和利用へと広がっていくこととなった。

1951年に世界初の原子力発電実験が米国の高速増殖炉EBR‐1(100kW)で成功すると、数年のうちに旧ソ連、英国、仏国なども相次いで原子力発電所の建設を発表し、各国で次々と原子力の火が灯り始めた。

日本においても、1945年の原爆投下から間もない時期であったにもかかわらず、1951年には漫画「鉄腕アトム」が登場するなど、原子力エネルギーに対する期待がこめられた時代だった。

日本学術会議は1953年1月、原子力問題を検討する委員会の設置を決定した。1954年には2億3500万円の原子力予算が国会に提出される。学術会議は、原子力研究に関して平和利用に限定し、民主的運営によって自主的に研究成果を公開していく「公開・民主・自主」の3原則で規定する声明を発表した。読売新聞は同年「ついに太陽をとらえた」と題する連載を開始し原子力の平和利用を訴えるキャンペーンを展開。1955年11月には、米国通信社と読売新聞社の主催で、東京の日比谷公会堂を皮切りに「原子力平和利用博覧会」が全国11都市で開催され、計260万人の入場者が実験用原子炉の実物大模型などの展示を見学した。

1955年12月、自民・社会両党の共同議員提案による原子力基本法と原子力委員会設置法、総理府設置法改正(原子力局の設置)の原子力三法が国会で成立。1956年1月1日付で、原子力委員会と原子力局を総理府に設置し、同月4日に原子力委員会の初会合が行われた。3月には原産協会の前身である日本原子力産業会議が発足する。

1957年7月に国際原子力機関(IAEA)が発足し、IAEA憲章の原加盟国である日本も理事国の1つとして参画。同年4月、日本初の研究炉JRR‐1が臨界を迎え、その後1963年に動力試験炉JPDRが初発電に成功、1965年には商業炉である東海原子力発電所が運転を開始し、日本も原子力発電国の仲間入りをすることとなった。

現在日本は50基の原子力発電所を擁する世界第3位の原子力国である。これまで原子力利用がたどった道は決して平坦ではなく、特に2011年の福島第一原子力発電所事故は安全のあり方について厳しい問いを突きつけた。それでも安価で安定した環境負荷の少ないエネルギーを生み出す技術を維持していくことは大切だ。過去の教訓に学び、原点に立ち戻って原子力平和利用の意義について考えなおしてみたい。


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