未来の技術開発へ協力を 日本国際問題研究所 軍縮・不拡散促進センター所長 阿部 信泰

1953年12月8日、アメリカのアイゼンハワー大統領が国連総会で有名な「Atoms for Peace」演説をしてから60年になる。この演説ほど、核軍縮・不拡散・原子力平和利用の文脈で引用・言及される演説はない。1953年と言えばアメリカが水爆実験をしてからわずか1年後にソ連が水爆実験をした年だった。演説は、核兵器は今や米国の独占物ではないことを認め、その使用の恐怖・核兵器拡散の懸念から始まって東西対立緩和のためソ連と対話・協力の用意がある旨述べた。その上で、ソ連・イギリスと協力して核エネルギーを平和目的に使うための国際的枠組み「原子力機関」を作り、そこに核分裂物質を提供して「銀行」を作ろうと提唱した。演説は、核兵器の恐怖から抜け出して核エネルギーを発電、農業、医療などの平和活動に使おうという明るい未来を示した。

アイゼンハワー大統領が出した提案の中には核保有国の間で交渉を始めて世界の核兵器を削減しようという提案もあったが、現実には米ソ両国はこの後、すさまじい核軍拡競争に突入し、冷戦時代のピーク時には米ソ合わせて7万個の核兵器を保有した。削減開始は、開明的なゴルバチョフ大統領の出現と米ソ冷戦の終結を待たねばならなかった。

核不拡散に関しては、その後、フランス(1960年)、中国(1964年)、イスラエル(1960年代後半と言われる)、インド(1974年)、南アフリカ(1970年代と見られる)、パキスタン(1998年)、北朝鮮(2006年)と核兵器は拡散して行った。ケネディ大統領が1960年代に「放って置けば核兵器保有国は、10、15、20か国にも増える」と言ったことからすれば現在の核保有国は北朝鮮を入れても9か国なので比較的成功と言えるかもしれないが、北朝鮮問題が示すように一国でも増えれば周辺国にとっては大変な問題だ。この不拡散の問題と原子力平和利用をめぐるイランその他の非同盟諸国と西側諸国とのせめぎ合いは熾烈を極めていて、解決の見通しは立っていない。

平和利用について、当時は鉄腕アトムが小型原子力装置で動く話になっていたり、「平和的な核爆発」を使って第2パナマ運河を掘削しようとか、中央アジアに北極海から水を引いて大農業開発をしようとか夢が語られた。日本でも原子力推進の商用船を試作するところまで行った。当時は放射線の健康被害がよく知られていなかったのでこうした夢があったのかもしれない。今、平和目的の核爆発を口にする者はいない。

原子力発電の可能性を最初に示したのはアメリカだったが、最初に実用化して電力を供給したのは、ソ連(1954年)、次いでイギリス(1956年)で、その後、米・仏・日本などが原子力発電を始めて今では世界中に430を超える発電用原子炉が存在・稼働して、世界の電力の約13%を供給している。その意味では大成功と言えるかもしれないが、アイゼンハワー大統領が言ったように世界の貧しい人々にも電気を十分に提供しようという目標は達成されていない。予想していなかったのは、スリーマイル、チェルノブイリ、福島といった大事故が起きたことでその都度、世界の原発推進は深刻な打撃を蒙った。

もう1つ予想しなかったことは、原発から出る放射性廃棄物の処理がこれほどの大問題になることだった。高レベル廃棄物の最終処分地を含めて処分方法を確立した国は世界でも極めて少ない。日本でもこれが原発継続賛成派と反対派の間の一大論点になっている。ウラニウム・プルトニウムの核分裂からエネルギーを取り出す限り放射性核分裂生成物質の生成は避けられないが、核融合という未来のエネルギーもあるし、技術が進歩すれば核分裂生成物質を減らす技術開発の可能性もあると言われる。また、核分裂生成物質の生成を減らし、核拡散に対する抵抗性を高める新しいタイプの原子炉を開発する構想も進んでいる。原子力発電の安全性の飛躍的向上・福島事故処理と並んで、こうした未来の核エネルギーの研究・開発に世界各国と協力し続けることは科学技術先進国日本にできる大きな貢献ではないだろうか。


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