〈Topic〉エネ政策と原子力の位置づけ 政策のブレは政治の責任?

鳥井 皆さんの問題意識のなかで、まずエネルギー政策上、原子力の位置づけについてお話ししたいと思います。

先日、私は福井大学で教養というか専門に入る前の学生に話をしました。「子どもが考えるエネルギー問題、家庭が考えるエネルギー問題、地域が考えるエネルギー問題、国が考えるエネルギー問題、世界が考えるエネルギー問題、あなた方は大学生なんだから、せめて国が考えるエネルギー問題ぐらいまでは考えてほしい」と。

君たちは、どう思いますか。事故後のエネルギー政策をめぐる政治の動きなど、君たちはどう受け取りましたか。

北薗 僕自身は、やはりあの事故を通して真剣に考えるようになったと思います。電力会社も、原子力規制委員会も、色々なところが真剣に考え始めた。国民と一緒にやっていこうと。しかし現実にはエネルギー政策は、くねくねと曲折をたどっているように見えます。くねくねと慎重に深く考え議論するのはいいのですが、国民も十分に知識がないとなると・・・。いつまでも方向性が決まらず不安になります。

鳥井 私が思うに、あの当時の政治はオタオタしてしまって、家庭が考えるエネルギー問題ぐらいの視野しか持ってなかったような気がします。

北薗 政治家の方がということですか。

鳥井 政治家も含めて日本社会の多くがそうだったような気がして、まさに好き嫌いでやっていたと思うのです。そのことを踏まえてどうですか。

犬飼 結局、政治って人気とりなんだなというふうに僕はすごく思いました。あの状況で、例えば自分が政治家で当選ぎりぎりだったとしたら、「いや、原子力、やめたほうがいいですよ、これからはもっともっと再生エネルギーを」と言ったほうが絶対に票をとれるわけですから。そういうことでがんがん決まっていってしまうのが政治だとしたら、エネルギー政策はもう政治家に任せるべきではないのかもしれない。そういういろいろな私情が挟まった上で、エネルギー政策を考えていいものだとは思いません。

鳥井 政治に任せられないとすると、どこへ任せるの?

犬飼 僕もそこはよくわからないんですけれども、とりあえず、人気とりのための人たちに決めてもらうのはどうなのかと思ってしまいます。

では、代案はあるのかと言われたときに、自分は今、持ち合わせていないので、そうすると、言い方としては「しっかりした政治を」となってしまうのですが、もっとメンタリティの高い人たちが真剣に考えられるように政治が機能すればよいとは思うのですが。

鳥井 この話題は結構重要だと思います。

では官僚は言えなかったかというと、官僚というのは政治との力関係がある。ある省庁のお役人で、「脱原子力は既に国の方針である」というようなことを言う人もいたりして、それで、今になるとまたコロっと変わっている。

羽倉 事故以前に、日本原子力学会の活動の中であったと思いますが、当時野党だった民主党の国会議員の方に講演していただいたことがありました。「エネルギー政策というのは、政権が交代したからといってぶれてはいけないんだ」ということを熱弁されていた記憶があります。「エネルギー問題は超党派で色々やっているから、政権がかわったとしても大きな方針というのは変わらないんだ」というような趣旨のお話をされていました。

政治のレベルでの問題は、やはり危機管理などの面での考慮が全然足りてなかったんじゃないかなというような気はします。

鳥井 たしかに政治家の中にも、事故後も一貫して、エネルギーの問題はぐらぐらしてはいけないんだと言い続けていた人もいましたが、政治家が個人で頑張っても、政治は、政党の意向であるとか、上層部の意向が大きいという現実もありますからね。


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