「合理的な伝え方」を グリムストン氏/英インペリアル・カレッジ

福島原子力事故の伝えたメッセージは3つあると思う。まず、あれほどの自然災害で、1970年代の古いプラントにもかかわらず、堅牢な技術だったこと、また、放出された放射性物質は、人体に影響を及ぼしていないこと、そして、残念なのは、誤った発信の仕方、「安全サイドにしておけば」とすることで、結果的に、「何年も自宅へ戻れない」といった「甚大事故」となり、人々に原子力に対する怖いイメージを植え付けてしまった。

なぜ、原子力が、様々なエネルギー源の中で、危険なものととられるようになってしまったのか。原子力産業界には、2つのことを言いたい。まず、既に色々なところで利用されている放射線だが、世界で多く発生している事故・事件でも、例えば、「医療用だった」とわかっただけで人々は安心する。ところが、「原子力発電所」となると、放射線を怖がる。これは、原子力産業界のイメージで植え付けられてしまうのか。そして、コミュニケーションの仕方にも理由があるのでは。英国の例だが、放射性廃棄物を「地下800mに埋める。地下水の影響も大丈夫」などというと、人々は、「合理的に考えて、そんな地下深く埋めるのだから危険極まりないのでは」などと懐疑的にみる。これで、原子力産業自体への信頼が、まったく失われてしまう。

昨日、福島の廃炉現場では、地下から汲み上げた水は、処理して国際的な飲料水の基準値以下まで下げない限り放出しないという話を聞いた。そうすれば皆が安心すると思ってのことか。しかし、受け取る側にしてみれば、「国際社会は信用できないのか」、「いや日本は国際協力を求めているではないか」と、つまりこれは大きな誤解なのだ。

今、原子力安全基準をより厳しくし、産業界は基準で要求する以上のことをしているが、それでは規制当局の基準では不十分なのか。産業界は、言っていることは正しくても、伝え方に合理性がないがため、つまり「プラスアルファ」でリスクを減らそうとする結果、「信頼を失う」という新たなリスクを生じてしまっている。

技術的合理性と心理的合理性は違う。「必要のないことをやって、人々に恐怖感をかき立てることもある」ということを忘れないで欲しい。


お問い合わせは、政策・コミュニケーション部(03-6812-7103)まで