放射線の「社会的リスク」 リーシング氏/世界原子力協会

昨日、福島第一原子力発電所を訪れ、作業員らの努力に感銘を受けた。この先何十年もかかる作業となると思うが、安全に遂行されることを願う。

福島の原子力災害を受け、世界では様々な議論が行われているが、その中心にあるのは、放射線の脅威だ。放射線量は、11年秋と13年秋を比較して、大雑把にみて約50%減少している。ここで1つ指摘したいのは、人体は、放射線を自然のものも、人工のものも区別しないということだ。8万人以上の住民がまだ、避難しているのだが、放射線量は、ほとんどの場所が自然のバックグラウンドレベルにまで下がってきており、これは一般の人々が普通に暮らしているレベルで、まったく健康上問題なく、「戻れるべき」なのだ。

福島県田村市の都路地区に設定されていた避難指示が、4月1日に初めて解除された。しかし、事故や避難による心理的影響が、放射線より、よほど有害なのではないか。同じことをチェルノブイリでも経験しており、実際、現場作業に従事した人たちは、「放射線源」として差別視されたり、がんへの不安などからも、自殺率が高まったことがある。彼ら自身が放射線を帯びたわけでもないのに、これは、人々の放射線に対する誤解といえる。

福島県で13年11月に行われた世論調査によると、復興に向けて知りたいこととしてあげられたのは、「食品の安全」、「放射線が健康に及ぼす影響」が上位となっている。事故から3年が経過するのに、一般公衆が安全と感じていないのは、リスクコミュニケーションの問題だ。安倍首相は自ら、福島で獲れた魚を食べて、安全性をPRした。これは、単なるパフォーマンスではなく、安心感を与えるメッセージとなると思う。大事なのは、「一対一で人として話をしてあげる」ことだ。

最近、国連の放射線に関する委員会「UNSCEAR」が発表した報告をみたところ、一番重要な点は、「社会的な健康を損なう」ということだと思う。事故発生から3年を経過し線量は大幅に下がったが、避難生活で環境が変わったこと、生計を失ったことによる精神的ストレスなど、事故そのものより、そこから起因する行為によるものに対しケアを図る必要があるということが教訓だといえる。


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