〈Topic〉符牒化した専門用語とは 仲間内でしか通用しない言葉

 通常語に対して、専門用語、あるいは専門的用語があります。これを大別すると2つの種類があり、ひとつは、定義とか定義に準じた厳格な意味規定があるもので、学術用語や法令用語など。これらは情緒的意味を全く伴わないと言って良いと思います。

2つめは、俗に言う業界用語、それから学界用語の中にも定義のないものがあって、その分野に属する人々の共通の知識や理解に基づいて流通しています。こういう世界ではかなり、「符牒化」が進んでいて、つまり、この内容はこの言葉で表すのだという、その約束が成り立っていて、言葉の意味と内容が多少ズレていても、どんどん通用します。専門用語はそういう性格を持っていると思います。

符牒化がなぜ起こるかについてですが、言語記号には恣意性(arbitor−ariness)という性質というか、特徴があります。例えば、日本語では水のことを「ミズ」と言いますが、これは単なる約束ごととして決まっているにすぎません。なぜ、これを「ミズ」という音であらわさなければならないかという、その理由はないのです。つまり恣意的に決まっているにすぎないのです。「雨」も、あれを「アメ」と言わなければいけない理由はない。そのような関係を恣意的であると言うわけです。

ある言葉とそれが表す意味内容との関係が習慣化、約束化する。そして、その言葉は正確に意味内容を表しているか、適切な表現なのかということを考えなくなってしまい、単なる約束、記号として使われるようになる。それは、この恣意性の原理が働いた結果で、これが符牒化です。符牒化は、何がそうさせるかというと、言語の持っている記号としての性格がそうさせるのではないかと思います。

ただ、これは、一面で言うと危険なことで、仮にそれが約束化、習慣化しても、言葉の意味は完全になくなっているわけではないので、言葉の意味を意識したときに、表そうとするものとのズレが生じ、それが色々な誤解や、場合によっては感情的な問題の原因になる。

鳥井 符牒といいますと、昔の忍者などが、他の人にわからないために使っていたという印象がありますが。

 そういう面もあると思います。結果としてわからなくなっている場合と、それから、他の人にわからないように暗号として使うという、両方の場合があると思います。暗号として使うような場合は、しばしば人を欺いたり、ごまかしたりすることになるので、結果としてそうなってしまう場合を除いて、戦略的にそういう符牒化ということはあまりやらないほうが、わかりやすさという点から見ると良いと思います。


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