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vol03.「ちょこっと意見が増えたから」なんですよ

2016年1月22日

脱原子力 ドイツの実像

そうした要素は州を跨いでいるのでしょうか?

 はい。州を跨いで存在しています。さらに言うと階級的な問題、労働者と資本家という要素も入り込んできます。
 そしてCDUは、それら全ての要素が入り込んでいる大きな政党なのです。「国全体を幅広く代表しましょう」というコンセプトでできている政党なので、CDUの中にはいろいろな地域の人がもちろんいますし、カトリックの代表もいれば、プロテスタントの代表もいます。「キリスト教民主主義」なワケですから、教会の影響力というものは厳然として存在しています。
 特にカトリックの場合は、マルクス主義的な労働運動に対抗するというコンセプトで、独自の労働運動を教会の息のかかったところで組織してきました。そういう労働運動は、反マルクス主義でありながらも、「労働者の生活が困窮するような状況は変えてくれ。社会を改革してくれ」ということは要求するわけです。こうしたカトリックの労働運動の流れもCDUの中にはあります。そしてこれは日本でもどこでもそうですが、組合というものは組織力を持っているので、選挙の時は強いのです(笑)
 ですから、その組合と、さらにその背後にいるカトリック教会の影響力を、CDUの議員はそう簡単に無視できない。
 CDUはそうしたいろいろな社会の勢力の言い分に耳を傾け、そしてそれぞれの組織や団体から代表者を出してもらって、党内に幹部グループ、いわゆる執行部を作ります。

 

ドイツという国を代表した体裁になるというわけですね

 党の規約にも綱領にも書かれていない「暗黙の了解」ではありますが、そういうことです。そして、そうであるからこそ、たとえば、プロテスタントばかりで党の執行部を作るということは掟破りの禁じ手なのです。ですから、カトリックとプロテスタントは一定のバランスをとって執行部入りします。
 さらに、北と南、東と西といった地域バランスも考慮されますし、さきほどお話しした組合と財界もどちらかだけに偏るということは避けられる。そして男性-女性というのも考慮に入れなければいけない要素になっています。女性団体というのはCDUの中にも、日本のいくつかの政党の婦人部のように存在していまして、目立ちはしませんけれども、決して無視はできない存在です。
 東西ドイツが統一した後、1990年代のCDUにとって、東は勢力を伸ばすべき場所でした。そしてコールはカトリックなので、どうしてもサブリーダー的なポジションにはプロテスタントの人が欲しい。またコールは男なので、女性が欲しい。つまり東の出身者でプロテスタントで女性というのは、コールからすると喉から手が出るほど欲しい人材だったのです。

メルケルは見事にはまるピースだったと

 メルケルは東の出身で、壁が崩壊した後に民主化運動に加わって活動していましたが、当時はそれほど目立った存在ではありませんでした。たまたま、東で女性でプロテスタントだということでコールに一本釣りされ、第4次コール政権の女性・青少年問題担当大臣(1991-1994)に大抜擢をされただけ――と皆が思っていました。メディアでは「コールのお嬢ちゃん」呼ばわりされてもいたのです。
 そしてコールが1998年秋の選挙で負けて引退し、1999年11月に武器売買をめぐるスキャンダルが発覚した時、CDUの主要な幹部は多かれ少なかれクロに近かった。厳密には立証されませんでしたが、主要な幹部は堂々と顔を上げられないような雰囲気だった。その時に、メルケルは幸か不幸か主流から外れている人だったため、潔白だったのです。

 

ここからメルケルは駆け上がっていくわけですね

 はい。メルケルはそこから頑張りました。
 自らの立ち位置を客観的に認識し、そして大恩あるコールに公然と反旗を翻して、コールと距離をおくよう党に求める手記を新聞に発表した。そして2000年4月にCDU党首の座を射止めるわけです。
 ただ党内に彼女自身の確固とした権力基盤はありませんので、これではコールの首を獲って天下を取っただけにすぎません。あまりいい比喩ではないかもしれませんが、本能寺の変で織田信長を屠った明智光秀のようなもので、下手をすると「三日天下」になりかねない。現に彼女は、党首と並ぶ重要ポストである議員団長を兼任することに失敗して、他の政治家に取られてしまってもいます。このままでは危ない。そこで彼女は、自分が倒したコールのやり方をそっくりそのまま真似ることにしたのです。
 彼女には子飼いの部下というものがおりませんので、それまでの有力な政治家たち(もちろん男たちです)に有力なポストを任せ、政治家同士で競わせるのです。メルケルのナンバー2になろうとして、そしてあわよくばメルケルに取って代わろうとして、男たちは戦うわけですが、いろいろな政策をめぐって争い、喧嘩をします。それに対してメルケルは、喧嘩の最中は絶対に自分から働きかけるということをせずに静観します。その間、野心にあふれた男たちは喧嘩を続けて、互いにメディアを使って非難の応酬になります。「あいつが言っていることはココが間違っている、アソコが間違っている」と。戦い疲れて両者がボロボロになってくると、落としどころが見えてくるものですよね。

妥協点ですね

 ええ。その落としどころが見えてきたところでメルケルが登場します。しかも彼女は落としどころを察知する能力が非常に高いのです。有力な政治家が疲弊してゼーゼー言っているときにメルケルがやにわに現れ、「こうしてはどうでしょうか」と自身の存在感を十二分に示しながら政策を決定する。彼女のこうした手法については「バランスをとる」という言い方がよくなされますが、単にバランスをとるだけではなくて、自分に取って代わりそうな「羽柴秀吉」や「柴田勝家」を互いに喧嘩させて潰し、そして大勢の人が納得できそうな落としどころが見えてくると、その成果を自分の手柄にしてしまうのです。
 それを続けていくうちに、メルケルを脅かし得るような大物政治家がどんどん傷ついていき、その分、彼女の立場は強まっていきます。2002年には議員団長の兼任にも成功して、野党第一党のリーダーとしての地位を固めていきました。
 1998年のコール大敗後、ドイツ社会民主党(SPD)が主導する連立政権、シュレーダー政権の時代が続きますが、2005年の選挙で敗北します。ゲアハルト・シュレーダーは福祉や労働市場政策の改革に手をつけて、そのおかげで現在のドイツの生産性の高さがあるとの評価を得てもいますが、それでも国民に痛みを強いる改革であったが故に選挙では敗北しました。
 ここでメルケル政権が誕生しますが、CDUも過半数は取れなかったため、SPDと大連立を組みました。政権に就いた後も、メルケルは同じような「バランスをとる」手法で政策を決定していきます。

 

2000 年にシュレーダー政権下で脱原子力政策が完成したわけですが、2005年以降はメルケルがそれを継続させたのでしょうか?

 2005年の大連立はCDUとSPDが対等な形で連立を組みましたので、両者の意見が合わない原子力政策については、現状維持という内容の連立協定が結ばれました。そのため、大連立の期間中、2005年から2009年は、メルケルは脱原子力政策に一切手をつけていません。
 2009年の選挙で、メルケルは自由民主党(FDP)と合わせて過半数を占めるという勝利を収め、中道右派政権が誕生しました。FDPは財界の影響力が強い政党です。メルケルはこれで大手を振って、脱原子力政策を元へ戻す(撤回する)ことになったのです。が、その後の福島第一事故で、再度脱原子力へ転換することになりました。

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