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筑波大学が挑む、細胞レベルでがんを治療するBNCTの研究開発

2019年11月14日

がんを切らずに治療する–。私たちの生活を取り巻く目に見えない放射線は、医療の最先端の治療法として研究開発が進みます。

放射線治療は、外科手術による切除、抗がん剤投与に並ぶがんの治療法で、BNCT(Boron Neutron Capture Therapy :ホウ素中性子捕捉療法)はその1つです。簡単に言うと「がんを細胞レベルでピンポイントに破壊する方法」です。厚生労働省が先駆け審査の対象にしており、X線や粒子線治療(陽子線、重粒子線)などの従来の放射線治療では治療できないがんや、放射線治療後に再発したがん、悪性脳腫瘍のように正常な脳の中にがんが浸み込んでいるために外科手術では切除が困難ながんに対する新たな治療法になりうると、注目されています。

☆がん治療におけるBNCTの優位な点
・正常組織の中に浸み込んでいるようながんも、がん細胞単位でピンポイントに破壊して治療する
・X線や粒子線治療では治療期間が6週間程度に対し、1日(照射時間は30分〜1時間ほど)で治療を終える
・治療前にPET(※)で薬剤の集積状況を確認することで、治療効果を事前に判断できる
・これまで難治だったがんに対する強力な新しい治療法になりうる
(※)PET:Positron Emission Tomography(ポジトロン断層法)フッ素18などの放射性同位元素を含んだがん細胞に集積する特性がある化合物を体内に注入し、体外からその多く集まる部分を画像化することでがん細胞の位置を特定する。

BNCTの研究開発は、日本が世界に先駆ける分野。そのBNCTの原理が提唱されたのは中性子が発見された1930年代に遡ります。臨床研究が始まったのは1950年代で、当初は原子炉ベースで実施されていました。それを加速器ベースに置き換える研究開発が国内外で進んでいるのです。陽子ビームを加速して標的材(ベリリウムやリチウムなど)に衝突させて、中性子を発生させる装置です。

開発中のBNCT小型加速器について説明する熊田博明准教授

国内では10以上の大学や研究機関が加速器ベースのBNCT治療装置の研究開発に取り組みます。その研究機関の1つ、筑波大学 陽子線医学利用研究センター 中性子医学研究開発室長で医学物理士の熊田博明准教授を訪ね、最新の動向を伺いました。

筑波大学は、現在、産学官連携チームを結成し、「iBNCT001」(以下、つくば型BNCT治療装置)を開発しています。つくば型BNCT治療装置は、陽子を加速する「加速器」部分と中性子を発生させる標的材を組み合わせた「中性子発生器」部分で構成されます。その開発も、細胞照射、小動物照射といった非臨床試験を実施する一歩手前まで来ており、その結果を踏まえて皮膚ががん化して黒ずんでしまう悪性黒色腫に対する第Ⅰ相治験を開始する予定です。

このつくば型BNCT治療装置の加速器部分は、東海村にあるJ-PARCセンターから一部の技術を移転したBNCT専用の陽子線の直線型加速器です。長さはわずか7mで設置面積は50m2。筑波大学では、このほかにも、医療設備として安全かつ安定した治療環境を実現するための技術開発が行われています。

患者や医療者の被ばくを低減する技術を開発
BNCT治療装置開発者を悩ませるのは、中性子発生装置の放射化です。これが患者や医療者の被ばくの原因になるため、装置の放射化を低減することは極めて重要です。そこへ、つくば型加速器の開発グループが、いち早く「低放射化技術」を開発し、この課題を解決したのです。

BNCTによる治療の流れをざっくりと説明します。まず、患者にホウ素薬剤を投与し、中性子を吸収するホウ素をがん細胞に集積させておきます。そこへ、中性子をがんの患部に照射します。すると中性子とホウ素ががん細胞の中で核反応を起こし、エネルギーが高いアルファ線とリチウム粒子が発生し、がん細胞を破壊します。発生したアルファ線とリチウム粒子は細胞1つ分の距離も飛ばないため、まわりの正常な細胞を傷つけることはほとんどありません。

■BNCTのメカニズム

(提供:筑波大学)

がん細胞だけを破壊して、周りの正常な細胞にはほとんど影響を与えないという画期的な治療法なのですが、患者や医療者の被ばくの原因となる治療室の設備の放射化を如何に低減するかが、どの開発チームにとっても課題になっていました。

つくば型BNCT治療装置の中性子発生装置の標的材には、ベリリウムが使われています。ベリリウムは衝突させる陽子エネルギーを高くするほど中性子の量は増える性質があります。言い換えると、BNCTの1回の治療に必要な中性子の量に見合えばいいので、エネルギーを高くすれば陽子は少量で済ませることができます。ところが、エネルギーが高いと発生する中性子エネルギーも高くなり、それだけ治療室の装置を構成するアルミなどの部材が放射化しやすくなってしまうのです。


(提供:筑波大学)

つくば開発グループが取り組んだのは、「BNCTに必要な中性子の量」と「装置の放射化が起きにくい中性子の量」のバランスの検証です。その結果、6MeV程度までの中性子であればバランスが取れると考え、このエネルギー帯の中性子を発生させる方法として「8MeVのエネルギーの陽子をベリリウムに衝突」させることで発生する、ということを突き止めました。停止から7分経過した中性子ビーム孔の線量は40μSv/h。つくば開発グループが開発した「低放射化技術」により、患者の被ばくを低減し、照射直後に医療者が速やかに照射室に入ることが可能になりました。治療中に万が一患者の容態が急変した場合などに、照射を緊急停止しても、すぐにでも入室できることも重視しました。

ちなみに、同グループがベリリウムを採用した背景には、陽子エネルギーの照射に対する耐久性が強く、安定した中性子を発生させることができ、より正確な治療計画を立てやすい、という理由がありました。また、標的材にリチウムを用いるよりは標的材を長く使用でき、標的材の交換頻度を少なくできると考え、つくば型BNCT治療装置のベリリウム標的であれば、数百回以上の治療に対応できるという期待があるそうです。

治療は30分〜1時間ほどの照射を1回、治療効果を事前に予測
BNCTによるがん治療が注目される理由はほかにもあります。X線治療や陽子線治療は1ヶ月から2ヶ月にわたって分割して治療をするのですが、BNCTは、1日(照射時間は30分から1時間程度)の治療で済みます。さらに、X線や陽子線治療、重粒子線などの粒子線治療は 1回の照射で、少なからず正常な細胞にも一定の線量がかかってしまうため、放射線治療後にがんが同じ場所で再発しても、同じ放射線で2回目の照射治療はできないのです。ところが、BNCTは、正常組織に対する線量がほとんどかからないので、がんが同じ患部に再発したとしても再び照射治療をすることができます。熊田准教授は「2度、3度と繰り返し治療できるのはBNCTの利点」と強調し「X線でも粒子線治療でも治らない癌をBNCTで治療する時代になる」と続けます。

また、放射線治療の前に、PET検査でがんの患部に薬剤が集積するかしないかを確認することができます。薬剤ががん細胞に集まっていない患者にいくら中性子を照射しても、その効果は得られないのでBNCTでの治療は行えません。このように事前に治療効果を予測できるのは、放射線治療の中ではBNCTだけなのです。

中性子の発生強度を安定へ
つくば型BNCT治療装置は「8MeV x 平均数mA x ベリリウム標的」により、BNCTに十分な中性子を発生することを、開発チームが確認したことは先にも述べました。がん治療用の装置なので、「安定した運転」は極めて重要です。これもまた、他の多くの開発グループが試行錯誤を繰り返す中、つくば開発グループは「十分な中性子の発生」と「安定した運転」を実証しました。

筑波大学では、BNCTの1回の治療に必要な時間を長く見積もり、その2倍にあたる90分間、毎日運転する試験を続けています。その中で改良を加えながら、現在は95%の安定率に到達しています。熊田准教授によれば、つくば型BNCT治療装置による悪性黒色腫に対する治療1回につき、ベリリウムに打ち込む陽子は約4クーロン。2016年12月から2019年2月まで積算3000クーロンの陽子ビームをベリリウムに入射してきました。言い換えると、これまでに750人以上の患者の治療に必要な中性子を発生したことになります。

BNCT治療計画システムを開発
BNCTの研究は多岐に渡ります。iBNCTプロジェクトでは加速器の開発を中心にしつつ、  治療時に必要な様々な装置を開発しています。

(提供:筑波大学)

例えば、放射線治療で使われる装置には治療計画システムがあります。これは、患者のCTやMRIから3次元モデルの画像を組み、がんの位置を示し、ビーム照射をシミュレートして、最適なビーム照射を導くために使われます。中性子をどのように照射したらどのような影響が生じるかを調べるなど、BNCTに適したシステムは、国内外の研究機関がしのぎを削って開発を進める分野のひとつ。熊田准教授が研究用原子炉ベースでのBNCTを研究していた時代から取り組んできたのはこうした「治療計画システム」の研究開発です。この研究開発で、熊田准教授は、平成18年度文部科学大臣賞 若手科学者賞を受賞。平成23年度から始まったiBNCTプロジェクトでは、このシステムのノウハウを加速器用治療装置にも対応させようと、研究開発を続けています。

(提供:筑波大学)
「放射線腫瘍医がこのソフトを使って、がんの患部にどの角度から中性子を照射するかといった計画を立て、それに基づいて患者の治療にあたるのが診療放射線技師。中性子にはどんな特性があり、ソフトにどういった計算に基づいてシミュレーションをさせるかを設計していくのは医学物理士の仕事」と熊田准教授は説明します。

日本では、まだ数の少ない医学物理士を育てようという動きが生まれました。「BNCTは注目されており、筑波大学でも筑波型加速器プロジェクトが始まってからは、BNCTの研究をやりたくて当研究室、放射線治療の医学物理分野を志望してくる大学院生が多くいます。」(熊田准教授)

中性子を発生させる技術のみならず、治療の現場で必要な周辺装置を含め、総合的にBNCTの研究開発に取り組む筑波大学。iBNCTプロジェクトでは、日本初の取り組みとして純国産技術で開発した長さ7mのBNCT専用の 直線型加速器とベリリウム標的を組み合わせたBNCT用装置を開発しています。実用化に向けた進展に期待が集まります。

放射線の医療への活用の今後の可能性について
取材の最後に熊田准教授にお聞きしました。
「放射線の医療利用は100年後にはがん治療のみならず、他医療分野でも利用が拡大されているでしょうか?」
それに対し熊田准教授からは以下の回答がありました。
「100年後ですか?それはちょっとわからないですね(笑)。最近の放射線を利用した放射線治療よりも、抗がん剤(薬剤)や最近の免疫療法や遺伝子治療などの新しい治療法がはるかに進展している可能性があります。実は、BNCT利用によるがん治療も薬剤による治療と言った方が適切かもしれません。つまり、ホウ素薬剤という爆弾をがん細胞に仕込み、それを爆発させる導火線として中性子線を使っている、と言う事です」
「なお、自分の専門外なので確固としたことは言えませんが、放射線は将来、工業分野などで様々に利用される可能性があるのではないでしょうか」
日本原子力産業協会では、今後も様々な放射線利用産業の現場を取材し、皆様にご紹介してまいります。