コラム Salonから エネルギーの「安全」とは:避難計画への提言

2015年8月27日

前編からの続き)

 本稿では、原発事故の急性期における、福島県内で起きたパニックと、それに伴う健康被害について述べます。

相馬中央病院内科診療科長 越智 小枝 氏

相馬中央病院内科診療科長
越智 小枝 氏

(1)20キロメートル圏内の強制退避
 原発事故の直後に、様々な避難区域が設定されました。最終的に設定されたものは、半径20キロメートル圏内の警戒区域、住民に屋内退避指示が出た20~30キロメートル圏の緊急時避難区域、そして30~50キロメートル圏の計画的避難区域です。
 20キロメートル圏内の全住民避難は、社会的弱者を集めた入院患者に、特に大きな被害を与えました。国会事故調報告書によれば、当時20キロメートル圏内には850名の入院患者が居り、そのほとんどがろくな装備もなく避難せざるを得ない状況となりました。
 原因の1つは、避難のための救急車や搬送ヘリなどの移動手段が20キロメートル圏内に入ってこなかったこと。もう1つは、避難先の病院に対する指示はなく、各々の病院が探さなくてはいけなかったことです。病院スタッフは通じづらい電話を駆使して知り合いに交渉を重ね、患者の搬送先を確保するために奔走。結果として病状の申し送りや注意事項などに裂く時間は非常に限られる結果となりました。
 また、搬送に付き添ったが最後、再び病院に戻るための車がありません。病院によっては、「搬送用のバスの後ろを病院車がついていき、搬送が終わると医師や看護師を載せてまた病院へ戻った」などという効率の悪い手段を取らざるを得なかったと言います。
 病院だけでなく、この20キロメートル圏内には交通弱者・情報弱者が多く取り残されたと考えられています。避難区域の北側にある小高消防署の記録によれば、避難勧告の出た後の3月12日、13日だけで6件の救急要請があったと言われています。その多くは「逃げ遅れたので運んでほしい」というものだったとのことです。救急要請もできなかった方や、寝たきりの身内を抱えるため避難所に行けず、敢えてとどまった、という方もいらしたそうです。

(2)20~30キロメートル圏内の屋内退避指示
 逃げ遅れの問題は、実は20キロメートル圏内に限りませんでした。屋内退避指示の出された20~30キロメートル圏内では、放射能に対する恐怖心から、多くの方が屋内退避よりは県外退避を選択されました。
 屋内退避という指示は、科学的には妥当です。少なくとも日本家屋においては、屋内に退避することで放射能の外部被ばく線量を減らすことができるからです。しかし、一般の住民の方に、この指示はどのように映るのでしょうか。これは、4月に福建省で起きた化学工場の爆発を見ても分かると思います。この事故の際、当局は住民に対し、半径5キロ圏外への退避命令を出しました。しかしその結果、1万人を超える住民が工場から18キロメートル離れた地点まで避難したと言われています。
 福島でも同様の事が起こりました。緊急時避難区域の住民のうち、退去が可能であった人はほぼ全員が一斉に県外に避難。その一方で、外から物品を搬入する多くの業者は、原発から半径50キロメートル圏内にスタッフが入ることを禁止しました。この業者には、食料品の流通業者、ガソリン業者、医療機器の業者なども含まれます。
 各会社には社員の安全を守る義務があるので、これはやむを得ない判断であったかもしれません。しかしその結果起きたことは、いわゆる災害弱者、すなわち情報弱者である独居老人、車を持たない人々、および病院入院中の患者とその職員などが、食料もないままに放置されるという事態でした。
20~30キロメートル圏内の方々にお話を聞くと、ほとんどの方が「食料がなかった」という事を一番に言われます。
 「1週間ぐらいラー油ばかりなめていた」という教職員の方や、「背に腹は代えられないから、隣の畑の大根を取ってきた。放射能とか窃盗とか気にする余裕なんてなかった」という医療関係者もいらっしゃいます。
 事故の後1か月間、南相馬の住民の検死にあたったある医師は、家の中やすぐ外で、明らかに食べ物も水もないために亡くなった、という方を何人も検死した、とのことです。多くは独居老人や障害者などの弱者でした。

(3)今後の避難計画の課題
 このような事実から浮かび上がった、従来の原発事故対応に欠けていた点とは何でしょうか。
 まず1つは、社会的弱者の避難が十分考慮されていなかったことだと思います。病院避難の計画を、自身も被災者である病院職員に丸投げする形になったことは、多くの死者をも出しました。
 それだけではなく、地域の高齢化や独居老人の増加を高齢化した社会では、避難勧告をされても自力で遠方へ避難できない、あるいは、避難勧告すら把握できない方々がたくさんいらっしゃいます。また、逃げ遅れなかったとしても、 避難自体が寝たきりや死につながるような、環境変化への適応力が極度に落ちた高齢者をどのように安全に避難させるか。そのような議論はまだなされていないと思います。
 もう1つは、社会のパニックに対する不適切な対応です。パニックというものは起こしてはいけないものではありません。適度なパニックは人々の判断スピードを上げ、むしろ避難などが早く進む、という専門家もいます。つまり、今回の原発においても、放射能に関する情報は、早く伝われば伝わるほどよかったと思います。しかし今回実際に起きたパニックは、むしろ情報と物資が入らないことによる不信から生じたパニックでした。もし20~30キロメートル圏内にガソリンや食料、医療用酸素などが潤沢にあったのなら。今回のようなパニック、およびそれに伴う餓死者のような被害は、もっと少ない人数にとどめられたのではないでしょうか。
 今後原発を再稼働するのであれば、とにかく避難計画は充実させてほしい。そしてその中でも置き去りをなくすこと、避難区域の隣接部の物流とインフラを保つことだけは最低限考えていただきたい。心より願います。