【第48回原産年次大会】セッション2: このままでいいのかニッポン

 大会2日目午前は、澤昭裕氏(21世紀政策研究所 研究主幹、国際環境経済研究所 所長)がモデレーターをつとめ、「このままでいいのかニッポン」と題し、ジョナサン・ハットウェル氏(駐日欧州連合代表部 副代表・公使)による欧州連合における原子力事情に関する基調講演の後、日本の原子力を取り巻く環境について、各界の専門家から意見を聞いた。

 豊田正和氏(日本エネルギー経済研究所 理事長)は、原子力発電の意義についてエネルギー政策やマクロ経済の観点から強調。福島第一原子力発電所事故について、「独立した規制機関の欠如」が最大の原因だとし、国際標準に照らしても、国際原子力機関の基本安全原則10項目のうち2番目に「独立した規制機関の設置」がうたわれていると指摘した。また問題視されている現在の原子力規制体制について、TMI事故後の米国での例を挙げ、「事業者の不満もわかるが、今は規制が過剰なまでに厳格な時期。この時期を越えればいずれ規制を適正化する時期が必ず来る」と予見した。

 松原隆一郎氏(東京大学大学院 総合文化研究科教授)は社会科学の観点から、これまで事業者が原子力についてリスクがあることを隠蔽し続けて来たことが最大の問題だと指弾。「リスクが少しでも存在するならば原子力には反対」という原理主義的な反対派を考慮しすぎたあまり、今では一般国民からも疑問を呈されてしまっている状態だと厳しく指摘した。また「想定外」という用語について、未来が不確実である以上すべての事象が想定外であり、想定外な事象にも誰かが責任を取らない限り、信頼を勝ち取ることは出来ないと主張した。

 法学者である櫻井敬子氏(学習院大学 法学部教授)は、法律は「近代的かつ合理的な人間」を対象として制定されて来たが、近年は消費者法に見られるように「必ずしもそうではない人間」を対象とするように変わりつつあると紹介。これからは原子力施設を安全に作るだけでは不十分であり、原子力安全を追求するプロセスに国民を実際に参画させることで納得感を与える必要があると説明した。また民主主義の特長である合議制の欠点として、「最終的な決定が誰の意見でもないため責任の所在が曖昧になる」ことを指摘した。

 中でもユニークだったのは藤沢久美氏(シンクタンク・ソフィアバンク代表)の指摘だ。同氏は、反対派の「原子力はとにかくイヤなんだ」という感情的な主張を「当たり前のこと」と指摘。大衆は国益やマクロ経済等の理屈では納得しないと強調した。そして原子力の広報が抱える大きな問題点として、起きたこと全てを公開するよう求められていることを挙げ、起きたことよりも、何が起こりうるかというリスクを事細かに公開し、危険度で分類した上で、公開するレベルを定める方が納得につながるとした。ネット時代と呼ばれる現代では、共感してもらわねばならず、そのためにはすべてを公開するよりも、現場で使命感を持って作業している人々にフォーカスするなど大衆の感情の琴線に触れねばならないと指摘した。
 また責任のあり方については、投資信託のポートフォリオを例に挙げ、大事なことを合議で決定することはあり得ない。担当者が全責任を負って決定する事項であると強調した。
 藤沢氏によると、原子力広報担当者の劣等感/被害者意識/疲弊感を見ているとかつての消費者金融を思い出すとのこと。零細企業への資金供給源としての一面を持っていた消費者金融は、現在は違法化されてほぼ消滅したが、これにより零細企業が続々と姿を消すことになった。藤沢氏は、これと同じようなことがエネルギー業界でも起こるのではないかと懸念を表明した。

 澤氏は原子力をめぐる不透明性として、政治的不透明性(原子力シェアの数字を決めたとしても、政治面でのバックアップがあるか不明)、政策的不透明性(電力市場自由化により新規原子力発電所建設時のファイナンスが難しくなっているが、対応は未検討。また、核燃料サイクル政策の責任者が誰なのか、見えてこない)、規制的不透明性(規制のあり方というよりも、訴訟のリスク。司法の世界では一旦出た判決を覆すのは困難になる)−−の3点を指摘。今後の過酷事故対策では様々な事象を想定する必要があるが、限られたリソースをメリハリを付けて配分することが大切だとした。そしてその際の責任体制を明確にしなければいけないとセッションを締めくくった。