vol08.町長は一時間たっぷりと、新しいビブリスの町づくりを語った。原子力抜きの町づくりを

脱原子力 ドイツの実像
石井敬之Noriyuki Ishii
一般社団法人日本原子力産業協会
政策・コミュニケーション部 副主管
筑波大学附属駒場高等学校卒
一橋大学社会学部卒

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1980, 1981, 1982, 1984, 1985,1987, 1988, 1990, 1991, 1993, 1995, 1996, 1998, 2000, 2004, 2006, 2010
 上記の数字は『大学への数学』に登場する階差数列の例題ではない。日本とドイツの原子力関係者が集う会合の実施年である。
 
 東西ドイツ統一前の1980年より、1~2年おきに、日独双方で場所を変えて開催していた関係者会合だが、ドイツの脱原子力が決定的となった2000年を境に、開催頻度が激減しているのがおわかりになるだろう。ドイツの原子力関係者がそれどころではなくなったということだ。
 そして同会合は2010年を最後に開催されておらず、今後開催されるという話も聞こえてこない。2011年の福島第一事故を境に、日本の原子力関係者がそれどころではなくなったということだ。
 
 こうして日独の原子力関係者のコミュニケーションが疎遠になっている間に、SNSやメディアを通じて、様々なドイツ発の脱原子力成功物語が日本国内を席巻している。それに対し私たちは、ある時は黙殺し、またある時はそれを否定する欧米発のコメントを細々と紹介していた。
 
 ずっと思っていた。実際のところ、ドイツではどうなっているのかと。
 
 2010年4月、当時のビブリス町長、ヒルデガルド・コーネリウス=ガウス氏は、島根県松江にいた。松江で開催された日本原子力産業協会主催の国際会議で、基調講演をするためだった。ビブリス原子力発電所A 号機の残余発電量はわずか6ヶ月の運転期間分が残されるのみで、発電量の移譲や運転期間延長の認可が得られなければ運転終了という状況だった。
 そうした不確実な状況の中、ビブリス町議会は連邦政府の全ての政党に対し、ビブリス発電所の運転期間延長を要請していた。そしてコーネリウス=ガウス氏は、「原子力発電が世界的に見直されてきている今、ドイツは再考する時が来ている」と強く訴えたのだった。
 
 時は移り2015年9月。ドイツ国内でビブリス原子力発電所を筆頭に、原子力発電所がバタバタと閉鎖され始めて4年が経過していた。
 あのビブリス町はどうなっているのだろう? おそらく現地レベルでは、原子力発電所の閉鎖が引き起こしたネガティブな側面が社会問題となっているに相違ない。むしろそうでなければならぬ。
 私は現地のリアルな空気を探るべく、出張稟議を書き上げて、ドイツへ渡った。
 鼻息荒くビブリス町を訪れた私を出迎えてくれたのは、2013年に就任したというフェリックス・フジカ新町長だった。町長は一時間たっぷりと、新しいビブリスの町づくりを語った。原子力抜きの町づくりを。

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