原子力産業新聞

福島考

震災以降、医師として福島県浜通り地方に関わり続ける筆者が、地元に密着した視点から記すコラム。

来ないかもしれない未来

15 Nov 2021

日本では9月に入り突然新型コロナウイルスの第5波が収束しました。その原因は専門家にも完全には分かっておらず、いつ第6波が来てもおかしくないという警戒感が続いています。

しかし、それ以上に私たちを不安定にさせる要因は、ひょっとしたら第6波は「来ないかもしれない」という不確かさではないでしょうか。漫然と自粛を続けてもし第6波が来なかったら、今の時間は単なる浪費になってしまうのではないか。一方で先のことは考えずに今をただ楽しむことも、この2年近くの経験を無にする行為ではないか。私たちが今抱えているのは、そんな不確かな未来そのものへの葛藤なのだと思います。

では来ないかもしれない未来へ備えつつ、経験を無為にしないことは可能なのでしょうか。1つの鍵は、病原体という「ハザード」ではなく感染症という「リスク」に備えることにあるのではないかと思います。ハザードへの備えは感染にだけ有効ですが、リスクへの備えは未来の災害全てに有効だからです。

ハザード対策とリスク対策

感染症・放射能などのハザード対策と、健康リスクへの対策とはその性質を異にします。

たとえば病原体へのハザード対策には換気、手洗い、ワクチンなどがありますが、放射線への対策は除染、隔離、避難などであり、各々は違うものになるでしょう。いずれの対策についても、そのハザードに準じた一律かつトップダウンの対策が有効です。

一方でリスク対策はパンデミックと原子力災害で多くの共通点があります。今般のコロナ禍で起きている自粛警察や差別、過剰なリスク回避や買い占めなどの種々の混乱は、福島第一原子力発電所事故後と類似しています。それは私たちが直面したものが「ウイルス」「放射能」という特殊なハザードではなく、「健康リスク」という、ある種普遍的な脅威だったからです。このようにリスクが災害横断的に共通してくる一方で、リスク対策に一律の正解行動はありません。低線量被ばくやウイルスばく露をしても、自分がその後がんや感染を発症するか否かは誰にも分かりません。このように人ごとに異なる「確率的影響」に対して私たちに必要なことは

  • 自分なりのリスク選択基準を決め、そして
  • 他人の基準を許容すること

の2点に尽きると思います。

自分で決める準備

たとえば原発事故の後混乱を招いた一因に、避難の基準、避難解除の基準が不明であったことがあります。モニタリングポストが各所に設置されても、その数値を見てどのように行動すればよいのか分からない。それと同じことが今の新型コロナにも言えます。

毎日の感染者数やワクチン接種率を眺めているだけでは行動の判断はできません。かといって政府の宣言を座して待つだけでは安心は得られないでしょう。人は自分がコントロールできないリスクを恐れる傾向にあるからです。

先が分からない今だからこそ、これから何人の感染者が出たらイベント参加を控えるのか、何人まで減ったらマスクを外すのか、一人一人が自分なりの基準を決め、リスクのコントロール感を増しておくことが大切です。

自分で決められない覚悟

その時におそらく最も重要な点は、それがあくまでコントロール「感」であり、自分で選べないリスクもあると認識することでしょう。

「自分はいつでも自分でリスクを選んでいる」

と考える方の中には、選べないリスクがあることを許容できない方も多いように見えます。その結果、自分とは異なるリスクの選び方をする他人を否定したり、自分のやり方を強要したりしてしまうのです。

原発事故の後、福島の県産品を食べる「べき」か否か、という議論が絶え間なく起こりました。しかし県産品を食べることも、食べることを恐れることも、正解でも不正解でもありません。

新型コロナについても、たとえば東京の1日の感染者数が30人であった時、マスク着用をやめる人もいれば、自粛を続ける人もいるでしょう。その選択は、その人がマスク着用にどれくらい抵抗感を覚え、感染にどれだけ恐怖感を覚えているかという主観によって決まるため、正解でも不正解でもありません。しかし、自分はマスクを着用しているのに隣でマスクを着けずに大声でしゃべる人がいたら、マスクを強要したくなってしまうのではないでしょうか。自分のリスク選択に自信がある方ほど、人に迷惑を掛け得るリスクを冒す人々を受容し難いことも多いのではないかと思います。

しかし、言論や行動の自由を享受することは、自分の受け入れ難いリスク行動を受容することと不可分です。そういう人もいることを受け入れる社会、それを作ることもまた、一つのリスク対策と言えるのではないでしょうか。

未来を楽しむ

ただしそのリスクを受容す「べき」という言葉もまた押し付けですから、万人が万人の受容に寛容である社会というのもまた机上の空論にすぎません。ではそれを分かりながら、なぜそんな理想を提示するのか。不謹慎かもしれませんが、そこには個人的に2つの理由があります。1つは、今そこにリアルな教材があるのに使わなければもったいないから。もう1つは、夢だからこそ今を面白くさせてくれそうだから、です。

「面白き こともなき世を 面白く」

そんな先人の句に倣い、低迷感の溢れる今だからこそ面白く生きる。そのヒントは、見えない未来との付き合い方にあるのではないかと思います。

越智小枝Sae Ochi

Profile
東京慈恵会医科大学臨床検査医学講座 准教授
1974年生まれ。東京医科歯科大学卒。都立墨東病院医長などを経て、インペリアルカレッジ・ロンドンで公衆衛生を学び、東日本大震災を機に被災地の医療と公衆衛生問題に取り組んでいる。

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