原子力産業新聞

福島考

震災以降、医師として福島県浜通り地方に関わり続ける筆者が、地元に密着した視点から記すコラム。

9年目の福島:振り返る大切さ

30 May 2019

震災から8年以上が経ちました。この8年の間に様々な災害・事件が起こり、東日本大震災や福島第一原子力発電所事故の話は、それらのイベントに上書きされる形で徐々に話題に上ることが少なくなっています。福島の風評払拭の活動もまた、そのような情勢変化に合わせ変わってきています。その風評は、沈静したのでしょうか、風化したのでしょうか。

いじめという「寝た子」
昨年・一昨年に浮上した福島出身の子どもたちに対するいじめ問題は、「一定の収束をみた」という判断のもとに、報道されなくなる傾向にあります。昨年度から行われていたある風評払拭の活動では、広報資料から「いじめ」の文言が削除されることが決まりました。その理由につき、担当の方からこんなお話をいただきました。

 「いじめもだいぶ沈静化しているようですし、寝た子を起こしたくもないので、いじめについてはあまり広報には組み込まないことにしました」

「いじめ」という言葉を聞いただけで辛い思い出を想起して苦しむ方もいる。そう考えれば、それは必要な配慮だと思います。しかし一点だけ私が気になったのは、その理由でした。
「寝た子を起こしたくない」ということはすなわち、「起きた子を寝かせる」術を、私たちは未だに手にしていない、ということでもあります。

風評か風化か
これはいじめの問題に限らないと思います。先日、ある海外の研究者から

「微量の放射線被ばくの遺伝的影響を測定するキットがあるのだが、福島の人々に提供できないか」という提案がありました。未だ海外には風評は根強い、ということを認識すると同時に頭に浮かんだことは、「もしその検査を誰かが持ち込み、実際に測定を始めたとしたら、そこで巻き起こる議論にどのように対処すればよいのだろう」ということです。そして、自分自身の中にはそれを解決する良いアイデアが全く浮かばないことに愕然としました。もしかしたら福島の風評は時と共に風化しただけであり、何一つ解決はされていないのかもしれません。

未回答の問い
このような風評被害も含め、次に似たような災害や事件が起きた時に、私たちは3.11以前よりも賢くふるまえるようになったのでしょうか。改めてそう思い当たり、私自身がこれまでに福島で提起してきた問題をふと思い起こしてみました。

  • 放射能被害以外の健康影響を含めた原子力発電所事故の影響を俯瞰する方法
  • 災害が起こることを前提とした安全対策のパラダイムシフト
  • 再現性を求める科学と個人の暮らしの集合である社会との乖離
  • ネット検索されない包括的な情報をいかに伝えるか(情報の辺境化の回避)
  • 負の遺産から正の遺産を生み出す方法

ランダムに書き出してみましたが、その一つとして、自分の中にきちんとした解決方法を見いだせていないことに驚きます。これまでの8年間、私は課題を見つけ出し発信することにばかり専念し、回顧が不十分であった、と深く反省しました。

人のせいにするわけではありませんが、これは、被災地でとてもポジティブな方々にばかりお会いしていたことも原因ではないか、と思っています。被災地でお会いした人々の多くはどんな課題にもしなやかに、したたかに立ち向かい、厳しいことを口にしても目は常に前を向いている。そんな方が多かったと思います。その強さから学ぶことが面白く、同じ視点を得たい、と思う私もいつの間にか一緒に前だけを向いてきたのかもしれません。

災後の歴史を残すために
しかし、この一連の出来事はいつか個々の記録ではなく、一つの歴史として集約する必要があると思います。そうしなければ、これまで提起されてきた問題を、後世の人々が改めて問い直す機会を失ってしまうからです。それは今も福島で歴史を編み続けている人たちではなく、私たちよそ者の役割なのだと思います。

災後の歴史を改めて残すため、これからは自分事から少し離れ、振り返る福島もまた大切にしていきたいと考えています。

越智小枝Sae Ochi

Profile
東京慈恵会医科大学臨床検査医学講座 主任教授
1974年生まれ。東京医科歯科大学卒。都立墨東病院医長などを経て、インペリアルカレッジ・ロンドンで公衆衛生を学び、東日本大震災を機に被災地の医療と公衆衛生問題に取り組んでいる。

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