原子力産業新聞

福島考

震災以降、医師として福島県浜通り地方に関わり続ける筆者が、地元に密着した視点から記すコラム。

福島における放射線教育の行き詰まり

12 May 2015

放射線教育5年目を振り返り

原発事故後5年目を迎えた今、福島県の「放射線教育」が行き詰っている。そのように感じる方は少なくないのではないでしょうか。

放射線の基礎知識、福島県の線量、被ばくによるリスクの説明、食の安全、リスク・コミュニケーション…原発事故の後、様々な情報が提供されてきました。その情報が分かりにくかったり、隠されたりしているとは思いません。むしろ福島の住民の方は、明瞭かつ詳細な情報を十分に与えられている、と感じています。それではなぜ住民の方の満足感が上がらないのでしょうか。

私は、その一因は、現在の放射線教育に健康という意識がうすい、ということがあるのではないかと考えています。これは簡単に言えば、「放射線教育を受けても健康(幸福)になれる気がしない」ということです。それどころか、健康に対する無関心が、むしろ住民の健康を悪化させている可能性すらあります。

見過ごされる健康被害と健康リスク
例えば原発事故による健康被害の議論があります。議論が放射線障害というせまい視野に終始するあまり、「原発事故で亡くなった人はいない」というような発言をされる方すらあるのです。

しかし実際の所、現在福島で起きている健康被害のほとんどは、放射線による健康被害ではありません。避難生活、失業、生活習慣の変化、精神的ストレスや作業環境… 今、福島を健康にするためには、健康についてできる限り幅広い議論をしなくてはなりません。しかし実際には、健康ではなく放射線が語られることにより、事故の波及効果で引き起こされた広範な健康影響が見過ごされてしまっているのです。

実は、放射線教育は、健康そのものについて考え直す貴重な機会です。しかし、放射線について詳細に語る一方、日常に溢れる健康リスクが説明されないことで、むしろ健康の「ゼロリスク神話」を助長している現状もあります。

特に放射線の過剰回避による健康リスクが過小評価されることは問題です。放射能リスクを「小さい」と言い続けても、「では何のリスクが『大きい』のか」ということがしっかり説明されなければ、むしろ健康被害・風評被害は増大する一方でしょう。

原子力産業と医療が目指す共通ゴール
私は震災をきっかけに、エネルギーや電力関係の方々とお会いする機会をいただくことが増えました。特にシニアの方々のお話しを伺うと、電力の安定供給が社会の幸せにつながる、という信念を強く感じます。少し古い話なのかもしれませんが、原子力産業の発展による人々の幸福、それが究極のゴールなのではないでしょうか。

原発事故の後の放射線教育も、まったく同じことだと思います。教育を通じて福島が健康にならなくては意味がない。このような考え方は本来、病気ばかり見ている我々医師よりも、健康な社会を見つめている原子力産業関係の方々にこそ親和性の高い考えではないでしょうか。

健康とは、病気を治す医師ではなく、生活を支える全ての人々によって達成しうる、複合的な状態です。エネルギーは生活を支え、農業は食を支え、多くの産業は経済を支え、教育は人間そのものを支えています。言い換えれば、健康に関する問題においては、全ての人々に負うべき責任がある、とも言えるのです。

これまで改めて健康という事を考えて来られなかったかもしれない、でも確実に健康に貢献されている方々に、福島と健康についての情報を少しでも伝え、多くの知恵を拝借する事。それが相馬で勤務する医師としての私自身の役割かな、と考えています。

越智小枝Sae Ochi

Profile
東京慈恵会医科大学臨床検査医学講座 主任教授
1974年生まれ。東京医科歯科大学卒。都立墨東病院医長などを経て、インペリアルカレッジ・ロンドンで公衆衛生を学び、東日本大震災を機に被災地の医療と公衆衛生問題に取り組んでいる。

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