原子力産業新聞

福島考

震災以降、医師として福島県浜通り地方に関わり続ける筆者が、地元に密着した視点から記すコラム。

福島のイメージにみる科学者の「幸福感」-幸せ上手な福島に学ぶ

30 May 2017

「福島県の相馬市から来ました」

県外でそう自己紹介をすると、多くの人が浮かべる何とも言えない表情があります。笑顔を浮かべていいんだろうか、差別をしていると思われたらどうしよう、すぐ放射能を思い浮かべてしまったけど、その話題を振って良いんだろうか…そういう様々な気遣いをうかがわせる表情です。

「不幸な人にどう対応していいか分からない」
福島に対するそのようなイメージは、差別や偏見という積極的な負のイメージ以上に根深く、「面倒くさいから関わらない」という多くの無関心層を生む原因となっています。

しかし実際のところ、今の福島には幸せ上手な方が多い、というのが私の実感です。それは
「けなげに生きている」
「大きな不幸があったから小さな幸せに気づいた」
というだけのものとは、根本的に質が異なります。

「小高(おだか:福島県浜通りの地名)に高校生の笑い声が帰ってきて、嬉しい。だから、彼らの立ち寄れる本屋さんを作りたい」
「福島には私たちが生きるために必要なものが全てそろっています。避難してそれに気づいたから、その素晴らしさを色々な人に伝えたい」
「風評被害で大手会社が福島産から離れた今は、『美味しい』だけで勝負するビッグチャンスだ」

私の筆力ではなかなか伝えきれませんが、ここには明らかに、積極的に幸せになる外向きの回路を持つようになった人々がいるのです。

震災直後から子どもたちの心の支援を続けてきた「相馬フォロアーチーム」というNPO活動があります。このスタッフの方によれば、被災という経験は必ずしもマイナスの要素だけではなかった、といいます。

「震災後に家族と別居することで、それまで疎遠だった家族と客観的に関われるようになった子がいます。もともとイライラしやすかったけれども、自分自身をしっかりと見つめられるようになり、考え方がポジティブになった、という生徒もいます」

大きな災害の後にはPTSD(心的外傷後ストレス障害)が増えることは良く知られています。しかし一方で、PTG(心的外傷後成長)という言葉もあるそうです。これは、災害を乗り越えることで人々の心や人間関係がむしろ良い方向に変化することです。

この6年間、福島では多くの人が、幸せとは何か、どうやったら幸せになるかを問い続けてきました。もちろんその悲しみを乗り越えることのできなかった方もたくさんいます。しかしそれでも、悲しい体験をした人が不幸とは限らない。震災という大きな「染み」をも利用してより深い「たのしみ」を描いている方にお会いする度にそう思います。国中に抑うつ感の漂う昨今、このような幸福力こそが、災後の福島から発信すべき正の遺産ではないでしょうか。

では、このような力強い福島像は何故外へ伝わらないのでしょうか。
自省も込めて言うならば、私は、これは福島を伝える専門家たち自身の「幸福感」の貧しさからきているのではないか、と思っています。

「『すごい』は一度だけ、『楽しい』は何度でも。」
先日「しくみデザイン」という会社の社長さんにお会いした時にお聞きした言葉ですが、正に今の福島に当てはまると思います。経験のすごさばかりを書いた書物は一度読むのは面白いけれども二度読みたいとは思わない。「くり返し読みたい」と思う、この福島が伝わらないのは、私たちが3.11の瞬間に囚われて、いまだ「すごい」ばかりを探してしまうせいなのかもしれません。

廃炉技術、深層防護、地域創生…今の福島からきちんと学べば、その議論は必ず楽しくなります。この「楽しい」は、愉快な、という意味ではなく、知的好奇心や深い思想を刺激する、という意味の面白さです。その面白さは「出来事」だけでは成り立ちません。夢と、道程と、その試行錯誤の末に生まれる思想―今の福島の魅力はそこにあります。

しかし、伝える側の人間にその面白さを知る感受性と伝える国語力がなければ、これを伝えることはできません。そう考えれば、福島への無関心層の増加は、未だ人を惹きつけるだけの思想と言葉を持てない、私たち専門家にも責任があるのかもしれません。

福島、と聞いた瞬間に、人々が目を輝かせて食いついてくる。
そんな福島像を伝えるために、これからも福島に挑んでいきたいと思います。

越智小枝Sae Ochi

Profile
東京慈恵会医科大学臨床検査医学講座 准教授
1974年生まれ。東京医科歯科大学卒。都立墨東病院医長などを経て、インペリアルカレッジ・ロンドンで公衆衛生を学び、東日本大震災を機に被災地の医療と公衆衛生問題に取り組んでいる。

cooperation