原子力産業新聞

福島考

震災以降、医師として福島県浜通り地方に関わり続ける筆者が、地元に密着した視点から記すコラム。

「福島のリスクコミュニケーション」の落とし穴

23 Jan 2017

「分かりやすい情報提供」、「常に相手の立場に立った視点」、「双方向性のコミュニケーション」、「住民主体の解決」、…。福島に関わる多くの方が、一度はこのような言葉を耳にされたことがあると思います。

震災の後、日本のリスクコミュニケーション学はとても発達したと言われています。それなのに、福島のリスコミが上手くいっているか、というと、首肯しがたいものがあるのはなぜでしょうか。

もちろん、色々な歴史的・政治的・文化的背景や立場の違いを乗り越えることは、そう簡単ではありません。しかし私は、福島県の中と外の間には、もっと根本的な所でギャップがあるのではないか、と感じています。

今、傾聴は重要か
災害直後には、住民の方々の苦難に耳を傾ける「傾聴ボランティア」の活動は重要でした。まわり中が被災者という中、近しい人には言えない悩みを他人に吐露できることで、心を癒すきっかけにもなるからです。

今の福島は、当たり前ですが、その段階をとうに過ぎています。地域のコミュニティーが徐々に回復し、お互いの経験を共有するゆとりが生まれつつある現在、住民の方が「よそ者」に「傾聴」してもらう必要のある場面はとても少なくなりました。むしろ突然外からやってきた方に、「私は私心なくあなたの意見を聞くためにきました、どうぞ本音を聞かせてください」と言われても、本音を吐こうと思う方は少ないのではないでしょうか。

しかし県外からいらっしゃる方々を見ていると、今でもまだ「ただ聞くこと」を重要視しすぎている方も多いように思います。

無私は信頼を構築するのか
「常に相手の意見を聞き、相手の立場に立って発言しなければ、信頼関係は築けない」

それ自体はとても正しいことです。ただし、ここには2つ問題があります。

1つ目は、完全に相手の立場に立てるようなフラットな人間が存在するのか、という点です。たとえ個人が努力しても、「役所」関係者、「原子力」関係者、「大学」関係者、「研究者」、「福島の住民」、…。個人の持つ背景は、決してなくなりません。それは福島から避難した人々がいつまでも福島、というレッテルを貼られるのと同じことかもしれません。

そういう中、組織から派遣されてきた方が、「私はフラットな立場から情報提供とコミュニケーションを行います」と言って、信用されるでしょうか。むしろよけいに胡散臭く聞こえ、不信感が増してしまう可能性もあると思います。

2つ目は、「信頼関係」とはそんなに簡単に築けるのか、という点です。
昨年の熊本・大分大地震の後、ある熊本の方が申し訳なさそうに言われたことがあります。

「災害ボランティアには本当に感謝しているし、家の片づけボランティアを喜んでいる方も大勢います。でも、家の中に他人に入って欲しくない、っていう人もいっぱいいます。それは信用とか信用しないとかいう問題ではありません」

たしかに2回、3回と対話を繰り返すうちに築ける関係もあります。しかしそれは、相手が関係を築くことを望んでいる場合に限ります。現場で一緒に対話をすれば信頼関係が築ける。信頼とはそんなに安易なものではないのではないでしょうか。

信頼関係は必要か
さらに厳しい見方をすれば、福島の住民の方々が外の方との「信頼関係」を望んでいるのか、という疑問も出てきます。
もちろん不信感を抱きながらコミュニケーションはできませんし、本当に地域にコミットしている方であれば、その人間性が信頼されなければ活動は難しいでしょう。また、信頼できる人と出会うことはうれしい体験でもあります。

しかし外の方に期待されるのは、人格を信頼されることではなく、「信頼できる情報を提供する」ことです。そして、人当たりのいい人や話の上手い人が説明した、というだけでその情報を信頼するほど、人々は愚かではありません。逆に、人と人との信頼関係を築かなければ、と躍起になるほど、住民にとってその「信頼関係」は押し付けられたもの、と映ることもあり得るのではないでしょうか。

立場の理解、気持ちの理解
コミュニケーションにおいて、相手の立場に立つことが大切、これは常識です。しかしそれはかならずしも相手の「気持ち」に立つことではない、という、冷徹な判断も時には必要だと思います。同じ経験をしないかぎり、実際のところそれは不可能だからです。むしろ大切なことは、「相手の立場からみて本当に必要な情報」を「相手が望む形で」提供することです。

たとえば農家であれば畑と作物の線量とその下げ方、漁師であれば魚の線量と生態ごとの違い、一方消費者から見ればそれを食べるか否かの判断の付け方、子どもであれば将来の就職や結婚に関わる知識や考え方など、同じ放射線であっても人それぞれに知りたい情報やその情報の形態は全く異なります。「どの立場にも中立」な情報は、言い換えれば、そのどの立場にとっても価値の低い情報になりかねないのです。

「傾聴」、「無私」、「信頼」、…。耳当たりのいい単語やもっともらしい用語に流されず、私たちは本当にそれが良いことなのかを、もう一度考えてみるべきではないかと思います。

もう一つよく耳にする言葉に、「双方向性のコミュニケーション」というものもあります。この「双方向」についての認識もまた、人や立場によって大きく異なります。そのなかでもとくに、「双方向」のつもりが「トップダウンを単に裏返しただけ」の情報交換になっていないか。その点には注意が必要ではないかな、と感じています。

それは「双方向」か
ある看護師さんは、「現場の意見を聞きたい」という問い合わせにはもう応えたくない、と言われます。

「震災の後、現状を理解したいのでお話を聞かせてくれ、ってたくさんの人が来ました。でもあの人たちが本当に何かを学んで帰ったのか全く分かりませんし、現場がそれでよくなったこともありません。最近は、そんな暇があれば一人でも患者さんのケアをしたいって思っちゃいます」

形の上でどんなに熱心に耳を傾けても、聞いたことを自身の血肉としなければ、本当に傾聴したことにはなりません。意見を聞くだけ聞いて、そこから何を学んだのか、どう考えたのかのフィードバックもなく帰って行かれる「外の人々」に、苦い思いを抱く人々も少なからずいるのです。

相手の意見を聞いていれば、たしかに意見の押し付けにはならないでしょう。しかし、何も学ばずに帰っていく「会話」もまた、逆の意味での一方的なコミュニケーションといえるのではないでしょうか。私は、「信頼関係ができるまで、淡々と傾聴と説明だけを繰り返す」という態度がむしろ、「対話をくり返してもお互いの理解が進む気がしない」と、多くの方の「対話離れ」を招いてしまっているのではないか、と感じています。

相互理解とコミュニケーション
もう一つ、理解はコミュニケーションの最終目標ではない、ということも再認識する必要があります。

「国の人はこう考えている、東電はこう考えている、ということがわかったとしても、『はあ、そうですか、まあぼくらにもぼくらの理屈がありますんで』というところから進展しませんよね」

先日浜通りのあるNPOの方が言われたことですが、正鵠を射ていると思います。もちろん相手の意見や立場を理解しなければ、コミュニケーションは始まりません。しかし、理解したところでそれは本当のコミュニケーションとは言えないでしょう。

私見にはなりますが、私はリスクコミュニケーションというのは「産みの苦しみ」だと思っています。相手の言葉を受けて「新しい」何かを返す、それは、お互いの「既成の」意見を交わす作業とは全く異なります。つまり片方が想像力と思考力を放棄すれば、コミュニケーションは単なる相互理解で終わってしまう可能性があるのです。そういう意味では、「住民主体の問題解決」という言葉もまた、ややもすれば情報提供側の思考放棄、ともとられかねないな、と感じています。

知識を得る努力と創造しようという努力は、全く異なります。勉強熱心な方がいたずらにコミュニケーション学だけを学んでも、おそらくリスコミは成功しません。なぜなら学問だけでは思想は深まらないからです。

「あいつは偉そうだ」、「理解する気がない」。そういう不満を持つ方のお話をよく聞いてみると、不満の元は相手が「理解」しないことではなく、相手が「学ばない」ことにある、ということが見えてきます。

「変わらない」のは福島なのか?
震災から6年。福島の中は、驚くほどに進化を遂げています。「東電」と「住民」、「母親」と「研究者」。すぐに二項対立されていた垣根はかなりの部分で取り外され、むしろ人々は「未来を語るのか、語らないのか」という基準に立って集まるようになりました。

しかし、一歩福島の外に出てみると、そこには震災から一ミリも動いていない「福島」像が横たわっています。リスクコミュニケーションの問題は、福島の中よりもむしろ、この「変わらない外」にあるのではないでしょうか。そして外から見た福島像を変えるのは、中の住民ではありません。

福島で震災体験を共有していない私自身もまた、「よそ者」です。そういうよそ者が変わる努力をしないかぎり、現場とのギャップが埋まることはないでしょう。

相手のことを聞こうとするあまり自分自身が創造の努力をおこたってはいないか。そのことを日々反省するところに、福島におけるリスクコミュニケーションの原点はあるのではないでしょうか。

越智小枝Sae Ochi

Profile
東京慈恵会医科大学臨床検査医学講座 主任教授
1974年生まれ。東京医科歯科大学卒。都立墨東病院医長などを経て、インペリアルカレッジ・ロンドンで公衆衛生を学び、東日本大震災を機に被災地の医療と公衆衛生問題に取り組んでいる。

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