原子力産業新聞

福島考

震災以降、医師として福島県浜通り地方に関わり続ける筆者が、地元に密着した視点から記すコラム。

甲状腺検査とCoVID-19:その患者さんが見えていますか

03 Mar 2020

今、世間の話題の中心はなんといっても新型ウィルスCoVID-19の流行です。毎日のように感染者、死者増加の報道がなされ、治療法が確立していないということも相まって世界的な脅威となっています。

災害の世界では、放射線災害と感染症アウトブレイクはCBRNE災害[1] … Continue readingという同じカテゴリに分類されます。もちろん感染症は人にうつり増殖するものですから、放射能と全く同じには語れません。しかし「目に見えないハザードが引き起こす脅威」という点から見れば、世間の反応には驚くほどの共通点があると思います。

特に既視感を覚えるのは、検査についての議論です。

スクリーニングと差別

武漢におけるCoVID-19感染の拡大に伴い、「日本でも一刻も早く検査を」「全例のスクリーニングを」という報道が増えた2月の初旬、福島県内では

「検査陽性となった方や家族への差別が起きるのではないか」

という声を良く聞きました。福島県の方々にとって「スクリーニング」という言葉が甲状腺検査の引き起こした一連の騒動を彷彿させたからだと思います。そしてその懸念は決して的外れではありませんでした。

「ダイヤモンド・プリンセス号に乗船した医師を差別しないで」

先日、日本災害医療学会からこのような緊急声明[2]日本災害医療学会「新型コロナウイルス感染症対応に従事する医療関係者への不当な批判に対する声明」が出ました。現場に支援に行った医師たちが、職場において「バイ菌」扱いされる。医療者のお子さんの保育園・幼稚園から登園自粛を求められる。職場に迷惑を掛けたと謝罪を求められる。そういう事例が発生したためです。

医療関係者、という、感染症には比較的慣れている集団でもこの状態です。CoVID-19と診断された方やご家族の現状が気にかかります。

陽性が出た、その後は?

福島県で最初の甲状腺検査が行われた時、再検査となった「B判定」のお子さんは2,293人。そのうち、実際にがんまたはがん疑いとされたお子さんは113人でした。

問題は、スクリーニングを行う前には、これだけたくさんの「陽性」が出ることを誰も予想していなかったことです。患者さんやご家族への対応は臨床医に一任され、その中で最善の診療をされた医療者に対して「過剰診療だった」などの批判もなされる結果となりました。またがんと診断された患者さんやご家族へ公的なフォローがなされることもなかったと記憶しています。

人にうつる可能性のある感染症では、初期対応としてのスクリーニングの重要性は甲状腺検査とは異なるでしょう。しかし今の段階になっても「CoVID-19陽性の患者を見つけた後にどうするのか」ということにつき、議論が乏しいように思います。今の状況で検査がルーチン化されれば、隔離不能なほど大勢の検査陽性患者さんが出る可能性は充分あります。「自宅待機」と言われた患者さんが社会生活を送るための配慮は、今のところなされていません。そう考えれば、少なくとも下記の2点が議論されないままに検査がルーチン化されてはならないと私は思います。

一つ目は、陽性と出た患者さんへの医学的・公衆衛生的な対応方法の統一です。これは現場で対処した医療者が後から批判されないためにも必須です。

二つ目は、陽性と出た患者さんが不当な差別を受けないための方法です。社会の合意を得るために、福島における放射能の話以上に慎重なリスクコミュニケーションが必要なのではないでしょうか。

患者不在の論争

原発事故の後にも言われたことですが、被災地にいるのは「ヒサイシャ」ではありません。誰かの親、誰かの子ども、誰かの兄弟姉妹である、一人の人間です。それはCoVID-19において変わりません。そこにいるのは「80代女性」「60代男性」ではないし、「死者3名」「感染者600名」でもありません。肺炎に苦しむ方、風評に悩むご家族、そして現場で戦う医療者が自分の暮らす社会のすぐそばに存在している、ということを私たちは忘れてはならないと思います。

福島県の甲状腺検査の後には、「発見されたがんが原発事故によるものか否か」「『過剰診断・過剰診療』ではないのか否か」、という議論ばかりがなされている場面を良く見かけました。正義漢同士が互いの責任追及に終始し、実際に診断・診療を受けた患者さんや診療を行った医師が議論から置き去りにされていたことは記憶に新しいと思います。

それと同じことが、CoVID-19においても起き得るのではないでしょうか。なぜなら現場にいる患者さんや周囲の方、医療者は、差別を恐れて声を上げづらいからです。現場が発言にためらう間に、患者さんを数字で語り、誰が正しいかを競う議論ばかりが白熱してしまう。そんな福島県での経験を、今回は繰り返して欲しくない、と思います。

今、自分にできること

CoVID-19に対して私たち一般人にできることは「手洗い・うがい・健康管理の徹底」しかない、とよく言われます。自分にできることが少ない、というフラストレーションが、現場で働く人々への過剰な批判を生んでいる、という側面もあるのかもしれません。

では一般人にやれることは本当にないのでしょうか。たしかに流行国日本の目下の目的は、感染をコントロールすることです。しかしその先に目指すべきは、いかなる理由であれ苦しむ方が一人でも少ない社会ではないでしょうか。感染の流行を抑えると同時に差別や過剰な隔離が生まれては意味がありません。疾患や差別に苦しむ人を一人でも減らす。それは、「暮らす」ことの専門家である私たちができることであり、またやらなくてはならないことだと思います。

原発事故後の福島では、「正義」を振りかざすことを放棄して「今」「ここから」「自分が」できることを話し合い、考えた人々の手で、穏やかで確実な復興が成し遂げられてきました。

理想論と言われるかもしれません。でも社会が混乱する今だからこそ、その福島からの学びを活かし、患者さんの顔の見える議論ができればよいな、と思います。

脚注

脚注
1 CBRNEとはChemical(化学物質)、Biological(生物)、Radiological(放射性物質)、Nuclear(核)、Explosive(爆発物)というテロリズムに用いられ得る手段による災害の総称。最近はこれに原発事故や感染症アウトブレイクなど、テロによる災害以外のものも含まれるようになった。
2 日本災害医療学会「新型コロナウイルス感染症対応に従事する医療関係者への不当な批判に対する声明」

越智小枝Sae Ochi

Profile
東京慈恵会医科大学臨床検査医学講座 主任教授
1974年生まれ。東京医科歯科大学卒。都立墨東病院医長などを経て、インペリアルカレッジ・ロンドンで公衆衛生を学び、東日本大震災を機に被災地の医療と公衆衛生問題に取り組んでいる。

cooperation