原子力産業新聞

福島考

忘れる自由、思い出す支援

19 May 2025

能登での気づき

先日、震災後の能登半島を車で一周する機会がありました。

沿岸部に伸びる真新しい道路を進むと、視界の片側には手つかずの美しい山海が広がります。そして同じ視界のもう片側には地形が変わるほどの大規模な地盤崩落と大量の損壊家屋が延々と続くのです。自然の豊かさと厳しさを同時に訴えかけるような風景に、震災数年後の福島県の沿岸部を始めて車で走った時の衝撃を思い出しました。

しかし思い出した、ということは、当時の気持ちをいつの間にか忘れていた、ということでもあります。浜通りや災害と常に関わり続けていても、人はこうして心に刻み付けたはずのことを忘れてしまう。その事実に気づき、二重にショックを受けました。

復興はなぜ常に「遅れる」のか

世界中の紛争やトランプ旋風…災害級のイベントが次々と起きる中、能登の被災地が報道される機会は激減しています。それはもちろん被災地が順調に復旧していることを意味しません。たとえば輪島市のデータによれば、202557日時点で公費解体が予定されている1万棟余りの家屋のうち、解体を完了したものは66%。3分の1の建物に加え、公費解体の対象外の建物の多くが手付かずの状態で残っているとのことです。

「能登は半島だから・高齢化が激しいから復興が遅れているのだ」

そんな解説も時折耳にします。では能登の復興は、その前の大災害に比べて極端に遅れているのでしょうか。

災害から1年半後といえば、たとえば2012年秋ごろの福島沿岸部、2021年冬のコロナ禍の社会に当たります。どの災害も1年半程度で収まるものではありませんでした。これまで何回も大災害のニュースを見てきた私たちは、それを「知っている」筈です。しかし私たちは不思議なほどそのことを忘れ、毎回のように同じ批判を繰り返してしまいます。その背後には、被災地の一日も早い復興を願う気持ちもあるでしょう。しかしそれだけでなく、ニュースを見る世間の側が常に同じ忘却を繰り返している、という側面もあるのではないでしょうか。

忘れる自由

私たちはなぜ繰り返し大災害を忘れてしまうのか。それは決して世間が薄情だからではないと思います。むしろ、心優しい人々こそが日々を暮らすために防御反応として忘れようとしがちなのではないでしょうか。心の痛む映像やニュースを見続けることは、時に大きな心的負担となり得ます。実際に災害時にテレビニュースを見る時間が多い人は抑うつ状態になりやすかった、という報告もありますから、無理をして災害を記憶し続けることが必ずしも良いこととは限りません。災害後には、被災地や災害に無関心になる人たちを引き留めたり支援者を鼓舞したりするために、「不幸な被災地」が繰り返し報道される風潮があります。しかしそのことはむしろ、心を痛めた人々の傷を抉り、被災地離れを加速してしまうのではないでしょうか。

薄情に聞こえるかもしれませんが、否応なく巻き込まれる当事者を除けば、私たちは自分が辛い時に、不幸なことから目を反らす自由があります。しかし災害の時にはこの「忘れる自由」が悪いことと思われ過ぎているように思います。

もちろん被災地には長期的な支援が必要ですし、辛いことに蓋をすることが良いこととは思いません。けれども、一番辛い時に寄り添った人々だけがその後も被災地に関われる、という意識は、時に被災地への門戸を狭くしてしまいます。心の中では被災地を支援したいけれども、見るのが辛い、と考えている方々が「好きな時に」「好きなだけ」被災地を忘れ、そして思い出せる自由を確保すること。私はそれこそが、災害を風化させないための鍵となるのではないかと考えています。

思い出すという支援

支援を続けるために、災害を忘れてはならない。大災害の後、支援者はそう考えがちです。しかし冒頭で述べた私自身のように、忘れていないと思い続けることで、むしろ忘れていることに気づかない、ということもあるでしょう。忘れまいと思っていた事実も、改めて振り返ると記憶と違っていた、ということもよくあることです。そう考えれば、一旦すっかり忘れてから改めて覚えなおす方が、むしろ記憶の劣化を防げることもあるかもしれません。

2011年の福島県でどんな議論が交わされていたのか。2020年のコロナ禍でどんな発言が横行していたのか。今改めて検索すると、少し笑えてしまうようなことが真面目に議論されていたりもします。あるいは、当時の議論が現在の全く別の局面に応用可能であることに気づいたりもするでしょう。「忘れない災害」ではなく、「思い出す災害」だからこそ関心を持てる。そういう人もあるのではないでしょうか。

今だからこそ付き合える被災地

大きな災害をそんな簡単に忘れたり思い出したりできるものか、と思う方もいるでしょう。しかし私は、今だからこそそれが可能になったと考えています。現代のインターネット社会では、私たちは見たくない時には画面を閉じ、見たくなったときには検索することに慣れているからです。

もちろんリアリティに欠けた情報手段は、信憑性の問題やや戦時の情報操作の可能性など、多くの欠点もあります。その欠点を加味しても、嵩張らない記憶の引き出しが常に手元にある、というのは、長期に災害と関わるための大きな強みにもなるのではないでしょうか。なぜならこれまで一度離れれば永遠に被災地に戻れなかった人々が、自分の生活と精神力に合わせていつでも被災地に関われる可能性が高まるからです。

記憶をコンピューターに任せることで人類は馬鹿になった、という批判は昔から聞かれます。しかし脳みそを軽くするからこそ重い真実・辛い事実と長く付き合い続けられる、そんな側面もあるのではないでしょうか。世の中に見たくない不幸が蔓延している今だからこそ、その軽さを大切にしたい。そしてあわよくば、近い過去・遠い過去に起きた災害を「覚え直す」方が増えれてくれれば、と願っています。

越智小枝Sae Ochi

Profile
東京慈恵会医科大学臨床検査医学講座 主任教授
1974年生まれ。東京医科歯科大学卒。都立墨東病院医長などを経て、インペリアルカレッジ・ロンドンで公衆衛生を学び、東日本大震災を機に被災地の医療と公衆衛生問題に取り組んでいる。

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