原子力産業新聞

福島考

震災以降、医師として福島県浜通り地方に関わり続ける筆者が、地元に密着した視点から記すコラム。

暴言と常識

18 May 2021

「常識的に考えて、あり得ないでしょう!」

先日参加した講演会で、ある専門家の原発事故後の対応につき、別の専門家やジャーナリストが集団罵倒する、という場面に遭遇しました。福島の復興に関わった方であれば、一度は目にしたことがある光景だと思います。

興味深いこのような状況で頻回(ひんかい)に用いられるのが「常識」という言葉だ、ということです。

常識と自意識

今般のコロナ禍でも見られることですが、有事には雨後の筍のように様々な「常識」が生み出されます。しかしそれは本当に常識なのでしょうか。

言うまでもなく常識とは「人々が共通に持っている知識や判断基準のこと」であり、大災害とはその常識が通じなくなる為に生じる社会混乱のことです。目まぐるしく状況が変化する被災地では、もとより共通に持てる価値観は存在しません。そう考えれば被災地で聞く常識が多くの人の「当たり前」である可能性は低いのではないでしょうか。

「常識的に考えて福島に住むことはあり得ない」

「常識的に考えて健康被害が出ることはあり得ない」

当時福島県ではこのような正反対の「常識」同士が戦っていたこともあります。当時の私には、これらは常識ではなく、それを主張する方の「自意識」であるように聞こえました。

常識人とトリックスター

常識は、ある人間が他人を測る為に用いられるものさしです。人はその「ものさし」が自分に近いほど、自分が他人を評価する権利があるかのような気分になりがちです。

大災害後にはこのものさしが失われてしまうため、一刻も早く新たなものさしを作ろうという動きが盛んになります。その時なるべく自分に近いものさしを作れば、自分が測られる側になることを避けられます。有事に生まれる「常識論」が「自意識論」の押し付け合いとなりがちなのは、そんな自己防衛を反映しているように思います。

これまでこのコラムでは、復興最前線で生き生きと暮らしていた方々を多く紹介してきました。そういう方々からは、不思議なほど「常識」という言葉を聞いたことがありません。非常時にあって淡々と日常を暮らす方、むしろ愉快に過ごされる方、新たなことに邁進される方…自分の物語を展開することに没頭する「トリックスター」たちは、他人を測るものさしなど不要だったのではないでしょうか。

異能への攻撃

一方、有事には行動を起こさず安全な場所から常識の後だしじゃんけんをする人々もいます。そういう方々の槍玉に上がりやすいのが、このトリックスターたちです。行動の結果生じた誤りを「過ち」であると責め、その功績を貶める。それは今もなお繰り返されている光景です。

不安な方々が秩序を取り戻すため、自分のものさしで人を測ろうとする。そのこと自体が全て悪いわけではありませんし、秩序を取り戻す際に必要なこともあるでしょう。問題は、それを「共通の価値基準=常識」とするために、マナー違反の「暴言」を用いて人を攻撃する方も多い、ということです。

常識と暴言の親和性

悪口はシンプルで没個性的な方が効果的、という事は子どもの頃に多くの方が経験されているのではないでしょうか。気の利いた言葉や正確な言葉を使おうと思うと、悪口は何となくつまらないものになります。

これは、悪口というものが「大勢である人間を悪し様に評価する」ために用いられる共通言語だという点にあると思います。この「悪し様に」という部分を除けば、前述の「常識」と悪口の目的はよく似ているのではないでしょうか。秩序を求めて常識論を振りかざす人々と、暴言を吐く人々の親和性が高くなるのはこのためだと思います。

そして残念ながら良い言葉よりも悪口の方がグルーヴ感を生み出すことは容易です。「常識」を訴える方が時に恍惚として平時には許されないルール違反の暴言を吐く、という矛盾が度々見られるのは、おそらくこの為なのではないかと思います。

体制批判と同調圧力

同じ事が「体制批判」にも言えます。徒党を組んで批判をするためには、檄文という名の暴言・悪口を使うのが一番簡単です。社会混乱が増し、対処すべき物事が複雑化するほど、紋切り型の体制批判をする人間もまた人を集めるための「暴言」を用いるようになります。つまり体制・大勢批判をしている筈が、結果として「常識」という言葉を用いて同調圧力を強要する、という矛盾も生じるということです。

恐ろしいことは、その結果「非常識」と言われること恐れ、有事に動けない責任者が増加してしまうことです。それは医療訴訟を恐れて医者が手術しなくなる、という状況と同じくらい危うい状況だと思います。

今般のコロナ禍でも行政の一挙手一投足が批判を浴びていますが、そのような硬直した体制を作り上げた責任の一端は、批判と常識という名の元に暴言を吐いてきた方々にある、という側面は無視できないと思います。

徒党からの独立

幸いなことに、今の私たちの暮らしは、ひと昔前ほど徒党を組まなくても生きていける仕組みになっています。テレビを消し、スマートフォンを閉じれば「空気を読む」必要は激減します。

オンライン記事で書くには矛盾だらけの結論ではありますが、有事だからこそ、この現代の恩恵を享受し、大勢・常識から耳を塞いで過ごす時間を作ることも大切なのかもしれません。

越智小枝Sae Ochi

Profile
東京慈恵会医科大学臨床検査医学講座 准教授
1974年生まれ。東京医科歯科大学卒。都立墨東病院医長などを経て、インペリアルカレッジ・ロンドンで公衆衛生を学び、東日本大震災を機に被災地の医療と公衆衛生問題に取り組んでいる。

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