原子力産業新聞

福島第一原子力発電所事故から15年。中間貯蔵施設に集約された除去土壌は、2015年3月の搬入開始から30年以内に福島県外で最終処分する――。期限は2045年3月だ。だが「どこで、どう処分するのか」は、いまだ具体像が見えにくい。残り19年という時間は長いのか短いのか。

2026年2月21日、京都府舞鶴市の舞鶴工業高等専門学校(舞鶴高専)で開かれた討論フォーラムは、その問いを、若い世代に差し出した。「どうする? 除去土壌の復興再生利用・最終処分―私たちの選択―」。討論型世論調査の手法を参考に設計された一日が、技術論から制度論、さらに「互助」の倫理へと議論を押し上げていった。

参加した学生は舞鶴高専22名、福島工業高等専門学校(福島高専)3名。いずれも機械学科の学生が中心で、原子力技術への関心はもともと高い。福島側の参加は、当初からの設計というより、「舞鶴高専が閉寮時期で集まりが悪かった」ことから急遽決まった“混成”だったが、これが結果的に議論の焦点を豊かにすることとなった。

「結論を出す場ではない」

本討論フォーラムの実行委員会委員長である大場恭子・長岡技術科学大学准教授が冒頭で強調したのは、討論の目的が「結論」ではないという点だ。多数決で賛否を決めるのではなく、資料を読み、問いを立て、互いの言葉で確かめる。そのうえで、グループとして「専門家に聞きたい質問」を作る。

議論は午前・午後の二部構成。いずれも除去土壌をテーマとし、午前は「再生利用」、午後は「最終処分」について、4グループに分かれたグループ討論と全員が勢揃いした全体会議(専門家との質疑)を行った。

プログラム(概要)

  • 午前:グループ討論(再生利用)→ 全体会議(専門家との質疑)
  • 午後:グループ討論(最終処分)→ 全体会議(専門家との質疑)

グループ討論で特徴的だったのは、学生が「わからないこと」を放置せず、資料に戻って確認しながら議論を進めたことだ。討論が、意見のぶつけ合いではなく、理解の積み上げとして巧みに運用されていた。

本稿では、議論の流れを追いやすくするため、筆者が傍聴したDグループを中心に記述する。Dグループには、福島高専の女子学生1名と舞鶴高専の男子学生5名が入り、静かだが熱心な討論が続いた。議論はまず、実装上の疑問から始まる。

「(除去土壌から)分別された小石はどうなるのか」「(除去土壌を)道路に使ったら、地震で割れたときに嫌がる人がいるのでは」「でも日本で地震を気にしていたらキリがない」――。安全の問題を“ゼロリスク”の有無としてではなく、設計・運用・社会受容のトライアングルで捉えようとする姿勢が見えた。

除去土壌の再生利用の議論は、いつしか「災害時の影響」「生物濃縮は起こりうるか」「利用場所の選定基準」「地震対策」「メンテナンスのコスト」「助成金の有無」へと広がった。つまり、技術だけでなく、制度・運用・費用まで含む“実装論”へと深化していった。そして、その実装論は、午前の全体会議で遠藤和人氏(国立環境研究所福島地域協働研究拠点廃棄物・資源循環研究室 室長)ら専門家にぶつけることで、より根本的な工学・放射線管理の議論へとつながっていく。

例えば遮蔽材に関する質問では、土とコンクリートの違い(密度・隙間の有無)が論点となり、放射線遮蔽は「隙間を作らない」ことが基本であると説明された。また減容処理については、体積を100分の1にすれば単純計算で濃度は100倍になりうるという関係が改めて示され、徹底して減容するならば、1億ベクレル級まで濃縮することも可能だが、それでも許容できるか?という、現実的なスケール感が共有された。

小グループでの「除去土壌をどう使うか」という問いは、全体会議で「どのような物理的前提で管理されるのか」という確認へと姿を変えたのである。

「活用できるが、距離が壁」

午前の全体会議で、専門家の一人である鈴木雄吾氏(東日本高速道路株式会社 関東支社 管理事業部 調査役)がこう語った。

「(除去土壌が一般的な土壌として活用できることが前提となるが、)品質的に問題がなければ活用することができる」

だが、その直後に付け加えられた一言が、教室の空気を変えた。

「ただし、通常の土木工事では、搬送距離が30〜40km圏内でなければ採算が取れない」

安全性の議論に、物流という現実が入り込んだ瞬間だった。

土木工事における土砂の運搬は、基本的に“距離がすべて”と言ってよい。燃料費、人件費、ダンプ台数、往復回数、積み込み・荷下ろし時間――。距離が延びれば、それだけでコストは跳ね上がる。再生利用は「材料費が無料」になるわけではない。放射線管理に伴う追加的な管理コストや、住民説明のプロセスも必要になる。技術者の言葉は、再生利用が単なる「善意の選択」ではなく、明確な経済条件の上に成り立つプロジェクトであることを示した。教室は一瞬静まった。

これまでの議論は、

  • 地震で割れたらどうするか
  • 生物濃縮は起こるのか
  • 8000ベクレルの根拠は何か

といった、安全性や管理の問題に集中していた。

しかしここで初めて、「できるかどうか」ではなく「成立するかどうか」という問いが立ち上がったのである。

再生利用は、理論上は可能でも、物流距離が延びれば急速に事業としての成立性の課題が浮上する。制度的前提と、経済合理性は必ずしも一致しない。福島県外で大規模に使う場合、輸送距離は必然的に長くなる。そのコストを誰が負担するのか。国か、自治体か、電力会社か。

学生たちは、風評や不安といった“心理的要因”だけでなく、プロジェクトとしての条件を考え始めた。

  • 「じゃあ、県内利用の方が合理的なのでは」
  • 「国が補助すれば成り立つのでは」
  • 「それでも、社会が受け入れるかどうかは別の問題だ」

技術と経済、そして社会受容。この三者が噛み合わなければ、再生利用は進まない。安全であることは必要条件だが、十分条件ではない。NEXCOの技術者の発言は、再生利用の議論を一段引き上げた。それは、理想論から現実論への転換点だった。

「風評被害ってあるんでしょうか?」

午前のDグループでの討論で、議論が社会的な位相へと移ったのは、福島高専の女子学生の一言がきっかけだった。

「風評被害って、あるんでしょうか?」

それは反論でも主張でもなく、問いだった。教室の空気が、静かに止まった。

それまでの議論は、地震や生物濃縮といった技術的な安全性をめぐるものだった。数値で管理され、基準があり、遮蔽設計もある。合理的に考えれば、過度に恐れる理由はない――そうした前提が、暗黙のうちに共有されつつあった。その前提に、彼女はそっと疑問符を置いた。

問いを受けて、舞鶴高専の学生が続ける。

「震災直後の価値観を捨てきれていない人たちが、まだそう思っているだけなんじゃないですか」

福島県産の食品はきちんと測定されている。自分の周囲では避ける人を見たことがない。むしろ「福島のものはちゃんとしている」という感覚もある。福島出身の知人もいる。合理的に考えれば、風評はすでに過去の問題ではないか――。その整理は、悪意ではなく、工学的合理性に立脚した素直な見立てだった。しかし、議論はそこで単純な「ある/ない」に落ちなかった。

  • 風評とは何か。
  • 売上の減少なのか。
  • イメージの問題なのか。
  • 県外の不安なのか。
  • それとも、当事者の側に残る時間の問題なのか。

「震災直後の価値観」という言葉が出た瞬間、議論は“時間”をめぐるものへと広がった。事故から15年が経った現在、当時の感情や判断基準は、すでに過去のものと言えるのか。それとも、なお現在に影を落としているのか。学生たちは、風評被害を「ある/ない」で整理するのではなく、事故からの時間経過と人々の認識の変化という文脈の中で捉え始めていた。

その問いは、教室の外にいる私たちにも向けられていた。

教育・責任・県内再生利用

小石の処理、地震時の露出、生物濃縮、減容化、輸送コスト――。Dグループのホワイトボードには、具体的な技術課題が並んでいった。

問いは、次第に上位構造へと向かう。最終的にDグループが午前の全体会議で専門家に投げた質問は、以下の三つに絞られた。

1)放射線教育はどうするのか
2)除去土壌問題は東京電力の問題か、福島県としての問題か、国としての問題か
3)法律では県外最終処分が定められているが、県内での再生利用はどう考えられているのか

第一の問いは、知識の基盤を問うものだった。理解が広がらなければ、いかに技術的に安全であっても、社会は動かない。

第二の問いは、最も本質的だった。「除去土壌問題の捉え方として、その責任の所在は東電にあるのか、福島県にあるのか、国の問題になるのか」。専門家は、公害の一種として一次的には事業者責任があるとしながらも、原子力政策を推進してきた国の責任、そして電気を享受してきた地域(主に関東地方)の責任も否定できないと答えた。すでに多大な被害を受けている福島県を「責任主体」として語ること自体が難しいとも指摘された。責任は一つに定まらない。だからこそ、この問題は単純な賛否では解けない。誰が、どの程度、どのように負担を分かち合うのか。

第三の問いは、制度のねじれを突いた。県外最終処分が法律で定められている一方、県内での実証事業(再生利用)は進む。その関係はどう整理されているのか。

技術的疑問を積み上げた先に現れたのは、安全性ではなく、責任と合意形成の構造だった。この収束こそが、熟議の成熟を物語っている。技術的疑問を一つひとつ積み上げた結果、学生たちは「安全かどうか」ではなく、「誰が担い、どう合意をつくるのか」という上位構造にたどり着いた。その収束は偶然ではない。

熟議とは、単に意見を出し合うことではない。論点を削ぎ落とし、本質的な問いを浮かび上がらせる過程そのものだ。Dグループが最終的に選んだ三つの質問は、まさにその“構造”を突いていた。

県内完結論と「30年の壁」――最終処分の空白が生む焦燥

午後のDグループ討論(テーマ:最終処分)は、午前よりも明らかに重たい空気を帯びて始まった。午前は再生利用という“使い方”の議論だった。しかし午後は、「どこに置くのか」という問いから逃れられない。Dグループでまず噴き出したのは、「福島県外」という前提そのものへの疑問だった。

最終処分先は決まっていない。輸送にはコストとリスクが伴う。ノウハウや関連施設は福島周辺に集中している。であるならば、

  • 福島県内で完結した方が合理的ではないか
  • 中間貯蔵施設を“中間”ではなく、最終地点として活用できないか

という意見が出るのは自然でもあった。しかしすぐに、反対方向の論点が提示される。

  • 電気の恩恵は福島だけが受けたわけではない
  • 事故の影響を福島に固定化してよいのか
  • 利益を享受した側が後始末を福島に押し付けるべきではない

議論は、合理性(コスト・輸送・ノウハウ)と、倫理(受益と負担の分配)の間で揺れた。午後のDグループが鋭かったのは、この二つを単純に「正解・不正解」で割らず、両方の論理が成立し得ることを互いに理解した上でなお、「ではどうするのか」を探ろうとした点にある。

この揺れを加速させたのが、午前から引きずった「教育」の問題だった。午前の全体会議で「放射線教育を学校カリキュラムとして体系的に組み込む予定は(少なくとも直近では)見通せない」という趣旨の説明があり、学生側には不満と驚きが残っていたのだ。

「じゃあ、どうやって全国に理解を広げるのか」「知識の共有ができないまま、県外最終処分の合意形成は成立するのか」

知識を広げる仕組みが見えないまま、2045年が迫る。“時間が足りない”という感覚が、午後の議論の底流にあった。

午後の全体会議(専門家との質疑)では、最終処分をめぐる学生の問いが、さらに直球で投じられた。

  • 最終処分の定義は何か
  • 「30年」とした根拠は何か
  • 当初、30年で完了させるためにどのような計画を描いていたのか
  • 念頭に置いていた候補地はあったのか
  • もし2045年までに地元の了解が得られなかったらどうするのか

回答の中で繰り返し浮かび上がったのは、「場所が決まっていない」という厳然たる事実だった。
そして、30年という期限については「科学的根拠というより政治的な決定」という説明も示され、学生たちは“制度が時間だけを置き、場所を置けていない”構造に直面する。

極めつけは、専門家の一人からの率直な言葉だった。

「(2045年までに処分地が決まらない場合は)法律を変えるしかないということになるかもしれません」

それは制度の限界を示すというよりも、現実の難しさを隠さず共有しようとする言葉だった。期限はある。しかし、合意形成は容易ではない。そのギャップをどう埋めるのかという問いが、若い世代の前にそのまま提示されたのである。

法律があるから進むのではなく、社会が納得するから進む。その順序を逆転させることの難しさが、あらためて浮かび上がった。ここで示されたのは、行政の失敗ではなく、合意形成という営みの困難さそのものだった。

「互助」の言葉――議論が倫理に着地する

午後の総合討論が終盤に差しかかったころ、会場の空気は午前とは明らかに異なっていた。午前は、遮蔽材や減容化、濃度といった数値が飛び交った。午後は、制度の空白や30年という期限の現実が語られた。だが最後に残ったのは、技術でも制度でもなく、「人」の問題だった。専門家の一人は、繰り返しこう述べた。

「困っている人々に手を差し伸べることが、日本をより良くする」

事故は福島に起きた。だが、原子力発電は国のエネルギー政策として選択され、電気の恩恵は全国に広がっていた。受益が広域に及ぶ以上、負担もまた広域で分かち合うべきではないか――。その論理は、単なる制度論ではなく、倫理の言葉で語られた。「互助」という言葉が、ここで提示された。

それは、賛成・反対のどちらの立場にも属さない。だが、いずれの立場にも重くのしかかる。

福島の生活者として参加していた菊野里絵氏は、さらに場を静めた。

彼女は、自身が元東京電力社員であることを明かした。脱サラして移住して、被災した。事故を起こした会社に勤めていたという事実。そして現在は福島で農業に携わり、被災地で暮らしているという事実。その二つを、彼女は隠さなかった。

「どうしてくれるんだ、と思いました」。率直な怒りがあった。

だが、続けてこうも語った。

「それでも、この会社を嫌いになれない自分がいる」

事故への戸惑いと、そこで働いた大好きな同僚たちとの記憶。会社の負うべき責任と、自分自身の生活。

矛盾を抱えながら、それでも前を向いて生きるという現実。

さらに彼女は、中間貯蔵施設用地の現状に触れた。広大な土地がバリケードで閉ざされ、立ち入りが制限されている。たとえ30年後に帰還が可能になったとしても、「15年前の暮らしは、もう戻らない」

その言葉は、教室の中にいた学生たちに、時間の不可逆性を突きつけた。技術的に安全かどうか。制度的に正しいかどうか。経済的に合理的かどうか。そうした議論を積み重ねてきた一日の終わりに、示されたのは「戻れない時間」という現実だった。

互助とは、単に負担を分け合うことではない。失われたものが戻らないという前提を共有した上で、それでもなお社会としてどう向き合うのかを問う姿勢である。

学生たちは、拍手も歓声も上げなかった。ただ静かに、言葉を受け止めていた。この瞬間、討論は「是非」から「責任を引き受ける覚悟」へと移った。技術の議論から始まった一日は、倫理の言葉で幕を閉じたのである。

「場」をつくることが社会を変える

討論終了後、会場のざわめきが収まったころ、大場恭子・長岡技術科学大学准教授に話を聞いた。

まず振り返ったのは、今回のフォーラムの“想定外”だった。

「今回は、全員が資料を読んでいない状態から始まりました」

普段は事前に電子版で資料を配布し、事前に読んでくるように伝えた上で、当日、PC等を開かなくても議論ができるように印刷版を改めて渡す。だが今回は結果的に“未読スタート”となった。そのことを、彼女はむしろ肯定的に受け止めていた。

学生に事前に読むように伝えても、読んで来ない学生は少なくない。過去のフォーラムでも8割が読んで来なかったことがあった。資料を読んでいるか否かでは知識差が生まれる。知識を持つ側が発言を主導し、持たない側は読んで来なかったことの後ろめたさも加わり萎縮する。だが今回は、全員が同じスタートラインに立った。だからこそ、素朴で、率直な質問が出た。技術的に洗練された問いではなく、前提そのものを疑う問いが出たのは、その効果かもしれない。

また、福島高専の学生が参加したことも、当初からの緻密な設計というより偶然だった。フォーラム開催時期が舞鶴高専の閉寮時期(※高専は寮を完備しているところが多い)と重なり参加人数が伸び悩んだことから、急遽福島高専からの参加者を加えた。だが結果として、その“偶然”が議論を豊かにした。福島高専の学生も、震災のことを直接記憶している年代ではないが、「肌感覚で福島を知っている学生がいることが、場に違う重みを与えてくれました」と大場准教授は振り返る。

高専生の特性についても触れた。テクノロジーが好きで、原子力を“テクノロジーとして面白い”と捉える層が厚い。一般大学では、原子力に対してポジティブな関心を示す学生は少数派になりがちだが、高専では状況が異なる。機械や材料、構造の観点から議論を始められる素地がある。

だが、大場准教授が強調したのは、技術への理解そのものではなかった。「学生が学食で社会問題を本気で議論することは、まずありません」。だからこそ、討論の場を設計する意味がある。議論の邪魔はせず、場を作り、見守ってくれるモデレータがいて、否定されない安心感がある。そこでは「知らない」ということも含めて、自由に言葉にできる。

「自分の考えを口にすることが大事なんです」

考えるだけではなく、口にする。他者の言葉を聞き、自分の言葉を修正する。その経験が積み重なることで、単なる知識ではなく、社会に向き合う姿勢が育つ。

「いきなり社会は変わりません。でも、こういう経験を持つ人が増えれば、少しずつ変わっていくと思います」

技術でも、政治でもなく、まずは場。一日の議論を通じて見えたのは、正解を出すことよりも、問いを共有できる空間を持つことの力だった。

15年目の現在地――「技術はある。だが時間が足りない」

この一日は、技術の問題として始まり、制度の空白へぶつかり、教育の壁に直面し、最後に互助の倫理へと着地した。

再生利用は技術的には可能だ。管理の枠組みもある。減容や遮蔽の理屈も説明できる。だが、最終処分地は決まっていない。30年という期限の根拠は政治的判断に過ぎず、間に合わなければ制度を見直す可能性も示唆された。

技術はある。しかし、合意はない。

行政側は、理解醸成のための“象徴的な実証”を積み上げている。たとえば国の中枢である首相官邸の中庭や、霞が関の合同庁舎の花壇に除去土壌を用いた。量にして約70。1400万とされる全体量から見れば、ほとんど誤差に近い数字である。それでも「全国的な理解醸成の足がかり」と位置づけられている。

この「小ささ」は、むしろ問題の本質を映している。

技術やルールが整っても、社会は一足飛びには動かない。だからこそ、象徴的な実績を積み、反応を見て、説明の手触りを確かめる。一歩ずつ、空気を変えていくしかない。

舞鶴高専の教室で行われた熟議も、その一つに過ぎない。だが、教室で交わされた問いは、確かに質を帯びていた。──「誰が担うのか」「どう合意をつくるのか」「時間は足りるのか」

今日、学生たちは結論を出さなかった。だが彼らは問いを引き受けた。

70の象徴と、1400万の現実。そのあいだを埋めるのは、技術でも法律でもなく、対話の積み重ねかもしれない。

その意味で、熟議とは、社会が一歩動くための最小単位である。

この教室で生まれた問いは、いずれ社会の意思決定の場に持ち込まれるだろう。そうした問いを抱えたまま前に進もうとしていること。それが、事故から15年を迎えた日本の現在地である。

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