政策変更に至る経緯:方針転換の連続
こうした経済・環境・安全保障上の現実を前に、ベルギーの脱原子力政策はこの10年で何度も修正されてきた。当初の「2025年までに原子力ゼロ」というロードマップは、度重なる延期・変更により、空虚なスローガンとなっていった。主な節目を以下にまとめる。
- 2011-2012年:
- 福島第一原子力発電所の事故を受け、ベルギーでも反原子力の世論が再燃し、政府は脱原子力政策の再確認を表明。チアンジュ1号機(PWR、100.9万kWe)を2015年に閉鎖するとした。しかし電力逼迫が懸念されたことから、政府は2012年、同機の運転期間の延長(10年間)を決定。
- 2015年:
- ドール1-2号機(PWR、各46.5万kWe)が運転開始から40年を迎え停止期限に達した。政府は直前になり法改正で両機の運転期間を延長(10年間)する措置をとり、2003年原子力廃止法の主要条項を一部覆した。これにより直近の電力不足リスクが緩和され、ブラックアウトを回避。両機にチアンジュ1号機を合わせ、計3基が2025年まで運転することに。
- 2018年:
- C.ミシェル政権下で脱原子力政策を再度確認。同時に原子力発電所停止後の電力供給策として「容量市場の導入」や「ガス火力新設」を決定(前述の360万kW新設計画)。一方、運転期限が2022年に迫った4基(ドール3-4号機、チアンジュ2-3号機)は予定通り閉鎖する方針を維持。
- 2022年:
- ウクライナ戦争によるエネルギー危機の中、連邦政府(A.デクロー首相)は方針を大転換。3月、比較的新しいプラントであるドール4号機(PWR、109万kWe)とチアンジュ3号機(PWR、108.9万kWe)の運転を10年延長し2035年まで稼働させる決定を下した(「脱原子力」の実質的延期)。首相はこれを「地政学的に不安定な環境下で、化石燃料依存を回避するため」と説明した。その一方で、ドール3号機は2022年9月に、チアンジュ2号機は2023年1月に、予定通り閉鎖された。
- 2023年:
- 前述のElia社からの警告もあり、6月にベルギー政府と国内原子力発電所を所有・運転するエレクトラベル社の親会社である仏エンジー社が、ドール4号機並びにチアンジュ3号機の運転期間の10年延長(2035年まで)で合意。12月には、2035年まで両炉を運転するための法整備作業が開始された。他方、既に停止したドール3号機およびチアンジュ2号機や残りの3基の、再稼働/運転期間再延長は見送られ、2025年までに順次閉鎖する従来計画が維持された。
- 2024-2025年:
- 2024年末の政権交代により、N-VAのB.デウェーバー党首主導の新政権が発足。同政権は従来の脱原子力政策を明確に撤回し、原子力発電設備容量400万kWeの維持を主張。既存炉2基の10年延長に加え、20年延長への可能性調査や、小型モジュール炉(SMR)の導入検討も盛り込まれた。さらに2003年原子力廃止法そのものを撤廃する法案が2025年4月に提出され、連邦議会は2025年5月15日、原子力廃止法を正式に撤廃した。
2003年原子力廃止法が撤廃されたことで、ドール4号機とチアンジュ3号機の運転期間延長(2035年まで)は法的に裏付けられ、さらに新たな原子力発電所建設の道も開かれた。ただし、具体的な新設計画や運転期間延長の詳細については、今後の政策決定や規制当局との協議に委ねられている。
こうした動きは、エネルギー供給の安定性や気候変動対策の観点から、原子力を再評価する欧州全体のトレンドとも一致している。ベルギーの政策転換は、他国にとっても示唆に富む事例となるだろう。

法案可決を喜ぶM.ビエ・エネルギー大臣(MR所属)© Mathieu Bihet / X
新方針への懐疑: 原子力への回帰と残る課題
政策が一転し原子力推進へと舵が切られたこと自体、エネルギーをめぐるベルギーの現実を踏まえれば妥当な軌道修正と言える。しかし批判的に見るなら、ここに至るまでの政策過程には問題も多かった。まず指摘すべきは、エネルギー政策の一貫性欠如である。理想論に基づき原子力ゼロを決めたものの、案の定それを支える現実的プランを欠き、土壇場になって延長や方向転換を繰り返した点は、政策立案の杜撰さを物語る。原子力政策が二転三転したことで電力会社や投資家の計画立案にも混乱を招き、エネルギーインフラ整備の機会損失を生んだ面も否めない。
原子力発電所の長期運転には、バックフィット作業など数年前からの周到な準備や、適切なタイミングでの投資が必要とされるが、延長決定が遅れたためにドール3号機などは手遅れで閉鎖されてしまった。現政権が再延長を検討しようとしていた3基(ドール1-2号機、チアンジュ1号機)についても、既に廃炉工程あるいは廃炉準備が進みつつあり、変更は容易ではないだろう。特にドール1号機は今年2月に閉鎖されている。一度停止した原子炉を再稼働するには安全審査や設備改修に相当のコストと時間がかかるため、政策判断の遅れは大きな痛手となった。
また、ベルギーの新政策に内在する課題として、原子力発電事業の運営主体問題がある。現在ベルギーの原子力発電所を所有・運転しているエレクトラベル社の親会社は、フランス資本のエンジー社である。同社は2035年までの運転期間延長には合意したものの、それ以上の長期運転や新規建設には消極的である。エンジー社はこれまで「原子力は事業戦略の中心ではない」と繰り返し表明しており、仮にさらなる運転期間延長や新設を行うならば、ベルギー政府は運営主体を別途模索するか、原子力発電事業の国有化も視野に入れる必要があると言われている。民間企業が二転三転する政策に翻弄され投資妙味を失った現状では、政府の強いコミットメントと支援策無しに、“原子力ルネサンス” を実現するのは容易ではないだろう。
最後に、原子力政策転換の是非を論ずる上で見逃せないのは、気候変動対策の緊急性である。EUは2050年カーボンニュートラル(温室効果ガス排出実質ゼロ)を掲げており、2030年までに大幅な排出削減を行う中期目標を設定している。その達成には原子力のような安定した無炭素電源の活用が極めて有効であることは自明だ。ベルギーのこれまでの脱原子力路線は、この点で明らかに逆行していたと言える。政策転換によって今後は原子力が気候目標達成に向け再び貢献できる道筋が開けたものの、失われた数十年の間に排出削減の機会を逃したことは痛手である。しかも原子力以外の低炭素オプション(再エネや蓄電技術)の強化も依然課題として残ったままだ。政策の大転換それ自体は現実を踏まえ歓迎すべきだが、同時に将来世代にツケを回さない持続可能なエネルギーミックス構築へ向け、一貫した長期戦略を立て直すことが不可欠である。
ベルギーの脱原子力政策の経緯とその撤回に至る展開は、エネルギー政策策定の難しさと教訓を如実に示している。理想主義的な政策スローガンが現実の前に揺らぎ、結果的に方針を転換せざるをえなくなった過程は、他国にとっても多大なる示唆をもたらしている。エネルギー政策は環境目標/経済性/安全保障という複数の要素を同時に満たすバランス感覚が求められる分野であり、特定のイデオロギーに偏った決定は思わぬ副作用を生む可能性が高い。
ベルギーは今、新たな原子力重視路線へと舵を切った。しかしその航路は決して平坦ではなく、残された課題も多い。将来のエネルギー自立と気候目標達成に向け、理念と現実を踏まえた実効性ある政策を継続的に追求していけるかどうか——ベルギーの挑戦は続いていく。そしてこれは他人事ではない。脱炭素化やエネルギー安全保障という共通課題に直面している日本にとっても、理念偏重や一貫性を欠く政策がいかに混乱を招くか、深刻な教訓を示していると言える。ベルギーの事例を他山の石とし、自戒を込めて政策の再点検を進めていく必要があろう。
(原子力産業新聞 編集長)
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