原子力産業新聞

日本が学ぶべきウクライナの教訓

07 Feb 2022

ウクライナ情勢がにわかに緊迫の度合いを増した。10万人とも言われるロシア軍がウクライナとの国境に集結したことで、米国、欧州主要国は同国による侵攻を強く牽制している。124日、米国のジョー・バイデン大統領は、国防省に対し北大西洋条約機構(NATO)即応部隊へ8,500人規模の米軍増派を短期間で行えるよう準備を命じた。さらに、同大統領は、22日、それとは別にノースカロライナ州フォートブラッグ陸軍基地からドイツ、ポーランドへ2,000人を派遣、ドイツの駐留米兵1,000人をルーマニアに再配置することを決めている。

ロシアがウクライナへ圧力を強めているのは、同国がNATOへの加盟を求めているからだろう。

19911225日、ミハエル・ゴルバチョフ大統領が旧ソ連の消滅を宣言した。「ソ連」は即ちソビエト社会主義共和国連邦の略称であり、同国は15の社会主義共和国による連邦国家だったわけだ。この15か国の中心はロシア社会主義共和国だが、残る14か国のうちウクライナ社会主義共和国が今のウクライナ、白ロシア社会主義共和国がベラルーシに他ならない。改めて言うまでもなく、ウクライナは旧ソ連領であり、今はロシアと1,576㎞の国境で接する隣国である。

ちなみに、1917年の革命以前における帝政ロシアは、ウクライナの大半、ベラルーシ以外にもポーランドのほぼ全域、フィンランドなども領土としていた。旧ソ連は帝政ロシアの一部を独立させたが、その多くは第2次大戦後に親ソ東ヨーロッパ諸国としてワルシャワ条約機構を構成したことは周知の事実だ。

198911月のベルリンの壁崩壊で東欧各国の民主化が進み、旧ソ連の消滅と共に15共和国がそれぞれ独立、エストニア、ラトヴィア、リトアニアのバルト3国は20045月にEUに加盟した。一方、残りの12か国はロシアを中心に独立国家共同体(CIS)と呼ばれる緩やかな国家連合へ移行したのである。もっとも、ウクライナ、トルクメニスタンはCIS憲章を批准せず準加盟国の扱いとされた。また、旧グルジア、現在のジョージアは同憲章を批准したものの、南オセチアを巡る領土問題で2008812日に批准を撤回、同29日にはロシアと断交してCISを脱退している。

さらに、ウクライナも2014年のクリミア危機により同年319日にCISからの脱退を宣言した。前日にロシアがウクライナ領内であったクリミア自治共和国及びセヴァストポリ特別市の編入を決めたことへの対抗措置に他ならない。もっとも、両国関係はそれ以前からかなり悪化していた。ウクライナがロシアとの対立を表面化させたのは、20051月から20102月かけてのヴィクトル・ユシチェンコ大統領の時代だ。親米欧派の同大統領はEUのみならずNATOへの加盟を目指してロシアを刺激した。

ロシアにとり、西隣のウクライナは旧親ソ国であったポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリーなどと共に西欧との緩衝地帯になっている。皇帝ナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍、アドルフ・ヒットラー総統のドイツ軍に侵攻され存亡の危機に立たされたロシアとしては、ウクライナのNATO加盟は安全保障上の大問題なのだろう。また、ロシアが編入を宣言したセヴァストポリには、伝統的にロシア海軍黒海艦隊の母港として海軍基地が置かれてきた。

さらに、旧ソ連時代、ウクライナには多くの軍事産業が集積しており、ウクライナ国営ユージュマス社はロシアの大陸間弾道弾(ICBM)のエンジン、同じく国営アントノフ社は大型輸送機を製造、ロシアの軍事力の重要な部分を担ってきたのである。そうした歴史的・軍事的事情が、ロシアの対ウクライナ政策に大きく影響していると見て間違いないだろう。

 

危機ムードの醸成を図るロシアの真意

旧ソ連崩壊以降、ロシアはエネルギー資源に乏しいウクライナとの関係を維持するため、天然ガスを国際市況に対して割安な価格で供給した。また、ロシアからウクライナ経由で西欧に天然ガスを供給するパイプラインの通過料収入は年間30憶ドルに達し、ウクライナ政府の歳入の7%程度を賄っていたのである(図表1)。

しかしながら、ユシチェンコ政権の親米欧路線に対抗して、ロシアはウクライナ向けの天然ガス輸出に関して市場価格への引き上げを図り、これが新たな両国の緊張関係の火種になった。ロシアとウクライナはこの天然ガスの価格を巡る問題で衝突を繰り返している。

ロシアが究極の対抗措置としたのが、ウクライナを通らず、ドイツ、イタリアなどに天然ガスを供給するパイプライン網の整備に他ならない。元々、ウクライナを経由しないルートとしては、ロシアのミンスクからベラルーシ、ポーランドを通ってドイツに至る「ヤマル・ヨーロッパ」があった。これに加えて、2005年に西シベリアで生産された天然ガスを黒海経由でトルコへ輸送する「ブルーストリーム」、2011年にバルト海を通過してドイツへ直送する「ノルドストリーム」を開通させている。

さらに、2020年には黒海経由でトルコから南ヨーロッパへ至る「トルコストリーム」が稼働し、昨年はノルドストリームに並行する「ノルドストリーム2」が竣工した。ノルドストリーム2はまだ稼働していないものの、2010年に1,200億㎥だったウクライナ経由での欧州向け天然ガス輸出量は、2017年は850億㎥へ減少、2021年は450億㎥程度まで落ち込んだと見られる。ロシアのウラジミール・プーチン大統領は、クリミア・セヴァストポリの編入後も、経済・軍事両面でウクライナへの締め付けを強化してきたわけだ。

他方、ドイツの政権交代でノルドストリーム計画を推進してきたアンゲラ・メルケル首相が退任、オラフ・ショルツ新首相はEUと共にノルドストリーム2の稼働に慎重な姿勢を崩していない。ロシアは、ウクライナへの牽制に加え、EU主要国にプレッシャーを掛ける意図もあって、欧州向けを中心に天然ガスの輸出量を抑制している模様だ(図表2)。NATOの拡大阻止と欧州への安定的な天然ガス販路の確保───これがウクライナ国境に大きな軍事力を展開したプーチン大統領の意図なのではないか。

 

ロシアに依存する欧州のエネルギー事情

昨年1031日から1113日、英国のグラスゴーで開催された国連気候変動枠組条約第26回締約国会議(COP26)では、石炭の段階的使用削減が決まった。地球温暖化抑止に積極的な欧州は石炭に極めて厳しい姿勢で臨み、ドイツも石炭・褐炭による発電を2038年までにゼロにすると公約している。

一方、EUの執行機関(内閣)である欧州委員会は、22日、地球温暖化抑止に貢献する持続可能な経済活動の分類、即ち『EUタクソノミー』の「グリーン・リスト」に脱炭素化に貢献する投資先として原子力発電と天然ガスを加える法案を正式に発表した。欧州理事会(首脳会議)と欧州議会で審議し、年央にも可否を決定する。現実的な立場に立てば、石炭の使用を削減する場合、代替的なベースロードの確保は必須だ。原子力と天然ガスを選択するのは合理的な判断だろう。

欧州ではドイツを中心にロシア産天然ガスへの依存度が高く、地球温暖化抑止のための石炭の使用削減でさらにその傾向は強まるだろう(図表3)。特に昨年夏は異常気象によりスペイン、英国などで風力発電が機能不全に陥った。結果としてさらに天然ガスの需要が拡大している。

もっとも、ウクライナ危機により、EUは新たな問題に直面した。欧州で消費される天然ガスの3040%を供給してきたロシアの圧力が強まっているからだ。特に天然ガスの調達でロシアへの依存度が高いドイツは、電力価格などが高騰し経済的な苦境に追い込まれつつある(図表3)。

2019年の平均が4.80ドル/100Btuだった欧州の天然ガス価格は、昨年1221日、59.67ドルの史上最高値を付けた(図表4)。1月は28ドル台へ調整したものの、新型コロナ禍前と比べて6倍になっている。その結果、昨年12月、ドイツの消費者物価上昇率は前年同月比5.3%に達し、19926月以来、約30年ぶりの高水準になった。

また、日本の輸入するLNGもその影響を受け、市場価格が急上昇している。23日、ブルームバーグはロシアがウクライナに侵攻するリスクを念頭に、日本などが購入契約を結んだLNGの一部を欧州へ提供できないか、米国政府が関係国に打診したと報じた。ウクライナ危機はアジアに飛び火し、世界的なインフレ圧力となる可能性がある。

再生可能エネルギーによる発電比率が総発電量の50%に達したドイツは、脱石炭化のみならず、今年中に3基の原子力発電所を全て止める計画だ。もっとも、原子力と石炭火力は依然として同国の総発電比率の40%近くを賄っており、それを全て再エネで代替することは困難だろう。畢竟、脱原子力を先送りするか、それとも燃料コストの上昇に耐えて天然ガスの利用を拡大するか、実質的に二択を迫られた状態にある。

このドイツを象徴とする欧州の苦境は、プーチン大統領の描いたシナリオ通りと言えるかもしれない。ロシア経済も良い状態ではないものの、エネルギー価格の高騰によりインフレ懸念の高まる欧州と我慢比べをすることで、米国とEUの関係に楔を打ち込み、欧州におけるロシアの発言力を強化できる可能性があるからだ。言い換えれば、ドイツをはじめとしたエネルギーのロシア依存度の高さが、ウクライナ危機を招いた一因と考えるべきだろう。

 

ウクライナ問題が示す日本のあるべき経済安全保障

少なくともこれまでのところ、米国のウクライナ問題への対応が効果的であるとは思えない。バイデン大統領は、昨年721日、ホワイトハウスで退任を間近に控えたドイツのメルケル首相(当時)と会談、その際の共同声明でノルドストリーム2の建設を実質的に容認した。また、同91日、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領との会談では、ウクライナのNATO加盟に慎重な姿勢を示している。さらに、128日、同大統領は記者団の質問に答え、ウクライナ有事の場合、「米国が単独で軍事力を使うことは検討していない」と語った。米国は東アジアにおいて中国との覇権争いに注力しており、アフガニスタンから撤退したのと同様、欧州への介入もできれば避けたいのだろう。

そうした姿勢をプーチン大統領に見透かされ、ロシアはウクライナへの圧力を今年に入って一段と強めた。バイデン大統領はNATOの結束を維持し、米国の指導力をアピールする意味で、欧州への米軍増派を決定せざるを得なかったのではないか。また、ロシアのみならず、プーチン大統領個人への経済制裁の可能性を示し、ロシアによるウクライナ侵攻を牽制した。

ただし、ロシアがウクライナに軍事行動を起こすとの見方には疑問が残る。2014年に軍事上の要衝であるクリミア・セヴァストポリを既に実効支配しており、ロシアにとってウクライナへ侵攻するのはリスクに対するリターンが見合わないからだ。従って、プーチン大統領やセルゲイ・ラブロフ外相が繰り返しているように、ロシアにとって安全保障上の大きな脅威であるウクライナのNATO加盟阻止が国境に軍事力を集結した目的だろう。加えて、ノルドストリーム2を稼働させ、ウクライナを経由せずに欧州へ向けての天然ガス供給の強化を図る意図と見られる。

今回のウクライナ危機は、実は日本にとっては大きな教訓と言えるのではないか。エネルギー供給とその運搬ルートの安全確保を他国に依存する場合、経済のみならず安全保障上の大きなリスクになり得ることが示されたからだ。ドイツ、イタリア、スペインなど欧州主要国は正にその脅威に晒され、燃料価格の高騰を一因とするインフレに苦しんでいる。プーチン大統領は、このままウクライナ国境でにらみ合いを続けることにより、EUから妥協を引き出す意向なのではないか。

1941128日、日本が対米国、英国、オランダ、中国に宣戦布告を行って第2次世界大戦に参戦を決断したのも、オランダ領インドシナ(現インドネシア)の油田地帯へ侵攻したことで、原油調達の8割を依存していた米国から石油禁輸措置を受けたことが背景だった。戦時中、日本軍はパレンバンなどの油田の生産能力を回復させたが、本国へのシーレーン上で輸送船が攻撃され、結局、持久戦においてじり貧に陥ったのである。

日本が資源に乏しいことは戦前と変わっていない。エネルギーに関しては、再生可能エネルギーの強化が喫緊の課題だ。ただし、再エネ優等生のドイツですら、ウクライナ情勢でロシアの脅威に晒されている。島国である日本は、地政学的な違いを踏まえた上で、現在の欧州情勢から多くを学ぶべきだろう。再エネには安定したベースロードが必須である上、脱化石燃料も同時に進めなければならない。そうした様々な制約条件を考えれば、原子力発電を継続し、発電所の建替え、新設に踏み切ることこそ、岸田政権が掲げる「経済安全保障」に即したエネルギー政策と言えるのではないか。

市川眞一  Shinichi Ichikawa

株式会社ストラテジック・アソシエイツ・ジャパン 代表取締役
1963年東京都出身 明治大学卒。投資信託会社でファンドマネージャーなどを経て、1994年にクレディ・リヨネ証券にて調査部長兼ストラテジスト。2000年12月、クレディ・スイス・ファースト・ボストン証券(現クレディ・スイス証券)にてチーフ・ストラテジスト、2010年よりクレディ・スイス証券チーフ・マーケット・ストラテジスト。この間、小泉純一郎内閣にて初代の構造改革特区評価委員、民主党政権下で規制・制度改革推進委員会委員、行政刷新会議事業仕分け評価者(仕分け人)など公職を多数歴任。テレビ東京の「ワールド・ビジネス・サテライト」への出演で、お茶の間でも有名。
2019年9月、個人事務所として株式会社ストラテジック・アソシエイツ・ジャパンを設立した。

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