原子力産業新聞

風の音を聴く

ジャーナリストとして国際報道の最前線を、時に優しく、時に厳しく、歩み続ける筆者によるコラム。──凛と吹く風のように。

災害を忘れない、しかし前へ進む

15 Feb 2016

2月6日に台湾南部で起きた地震で、東日本大震災の際に倒壊した病院を台湾からの寄付で再建出来た宮城県南三陸町の病院が、恩返しにといち早く募金箱を院内に置いたニュースに、どこかホッとする思いがした。

また同じ頃、東京電力福島第一原発事故のため全町避難が続いている福島県大熊町で、除染が終わった田畑の耕作を試験的に再開したという男性のニュースもあった。収穫された作物に放射能汚染の恐れはないが、食べることは出来ない。野生のイノシシのエサになるだけという。男性の無念の気持ちを慮りながら、それでも私はやはり少しだけ安堵した。

東日本大震災から5年という節目を前に「災害を忘れない」ことと「前へ進む」ことの大切さをあらためてかみしめたい。人は忘れることで癒されることはもちろんあるが、災害の教訓や備えを忘れてはいけないし、立ち止まらず前へ進むことが復興・再生に繋がる。先のニュースもこの2つの要素があったからこそ、厳しさの中に明るさが感じられたのだと思う。

ところで今、心待ちにしている旅行がある。今秋、スペイン・マドリードで開かれるスペイン日本研究学会の総会で日本研究者たちが「日本における旅行」をテーマにさまざまな切り口から発表するのだが、私も「災害を超えて-ツーリズムと復興」という題で飛び入り参加するからだ。

昨年、主催者から「『観光と東北』というテーマで何か発表をして頂けませんか」とお誘いのメールが届いた時、「旅」はとてもタイムリーなテーマな上に、東北とはスペインの人も東日本大震災を忘れていなかったのだと、2つ返事で承諾した。実は同学会がセビリアで総会を開いた3年前に、「慶長遣欧使節団から400年 日本と日本人」と題して東日本大震災と日本人の災害観を紹介した。

このことは原子力産業新聞がまだ紙の時代に書かせて頂いた(「日西(日本スペイン)交流史話に想う大震災」、2014年7月10日付)し、ウェブ上でも読めるので説明は繰り返さないが、仙台藩主・伊達政宗の命で支倉常長率いる使節団が派遣された1613年の2年前にも同じように三陸大津波と大地震があったこと、遣欧使節団はその復興・再生を願ってのことだったのかもしれないという歴史の妙を取り上げたものだった。

ちなみにスペインは原発事故の初期対応に献身した消防・警察・自衛隊関係者を「福島の英雄」として、同国でもっとも権威ある賞の1つとされる皇太子賞を彼らに授与し、東日本大震災を支援してくれた国のひとつでもあった。

今回与えられた「観光と東北」のテーマに、私は迷わず東日本大震災のその後を伝えることにした。復興はまだまだ道半ばとの声は多いが、前途へ明るい兆しがないわけではない。支援をしてくれた海外の人々もそのことを知りたいだろうと思った。

「災害を超えて-ツーリズムと復興」で選んだ主人公は、福島県いわき市の娯楽施設「スパリゾートハワイアンズ」のフラガールたちだ。3月11日そして4月11日に同市を襲った直下型地震(震度6弱)のため大きな被害を受けた施設は休業に追い込まれ、彼女たちも活躍の舞台を失ったが、挫けることなく全国きずなキャラバンを開始する。パワフルなダンスは観る人々を逆に勇気づけ、活躍ぶりは映画にもなったからご存じの方も多いかもしれない。

施設は翌年再開、フラガールも舞台復帰し、さらに2015年には太平洋島嶼国首脳らが参加しての第7回太平洋・島サミットの会場ともなったのだった。

もともと施設もフラガールも石炭産業の斜陽化による炭鉱の閉山という逆境の中から生まれた。そして今、再び過酷な状況に置かれながら復興の牽引役を果たしているのだから、東日本大震災の復興のシンボルと言ってもほめ過ぎではないと思う。

海外ではまだほとんど無名のフラガールたち。フラメンコの国の日本研究者たちは彼女らのことをどのように受け止めるだろう。

千野境子Keiko Chino

Profile
産経新聞 客員論説委員
神奈川県横浜市出身。早稲田大学第一文学部卒業後、産経新聞社入社。マニラ特派員、ニューヨーク支局長、外信部長、シンガポール支局長、論説委員長などを歴任。最新刊は「江戸のジャーナリスト 葛飾北斎」。

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