原子力産業新聞

風の音を聴く

ジャーナリストとして国際報道の最前線を、時に優しく、時に厳しく、歩み続ける筆者によるコラム。──凛と吹く風のように。

出番です、ニッポン

14 Jan 2022

年末に年賀状を書くのは一仕事だけれど、お正月に戴いた年賀状を1枚、また1枚と読むのはやっぱり楽しい。ふと1枚に目が留まった。「出番ですよ」とだけある。誰が?何が?日本語は主語のない文章が珍しくないし、意識的に主語を省くこともあり、それ自体日本的と言える。主語は日本。日本の出番ですよ。そう思ったのは、1年前の1月6日、トランプ米大統領(当時)の支持者たちが首都ワシントンの議事堂へ乱入・占拠した現場映像を、テレビで久々に目にしたからだった。当時、「議事堂へ行こう」とアジるトランプ氏に「ミュンヘン一揆」がだぶった。1923年11月8日夜、ヒトラーは武装した600人のナチス突撃隊とミュンヘンのビアホールを襲撃、集会を開いていたバイエルンの州総監や軍司令官を脅迫し、自分たちの「国民革命」一揆に協力させた。目論見は失敗、ヒトラーは禁固5年の刑を受ける。だが出所後のヒトラーは雄弁や行動力で国民を熱狂させる。総統となったヒトラーが、ユダヤ人大虐殺と第2次世界大戦で世界を破滅の淵に追い込んだのはご存知の通りである。何を大袈裟な、と一笑に伏されるかもしれない。しかし歴史は繰り返さないが、韻を踏むという。用心するのにしくはない。あれから1年。米社会の分断と対立は深まる一途のように思える。テレビ等の世論調査によれば、大統領選で本当はトランプ氏が勝っていたと今も信じる人は共和党支持者で8割に近く、逆に民主党支持者の8割はトランプ氏の主張は嘘と考えている。事件は今も全容解明には遠い。トランプ氏の仕返しを恐れて証言を断る者もいて協力を得られない。社会は完全に真っ二つ。メディアでは今や内戦の可能性さえ論じられ始めた。米国は南北戦争という内戦を経験済みだし、内戦はあり得ない話ではないのかもしれないが、想像するだけでゾッとする。昨年、バイデン大統領はアフガニスタンからの米軍完全撤退は、リソースを全て米中対立に振り向けるためと述べた。けれど拠って立つ社会が根底から瓦解しかねないような状況では、米中対立に勝利しても意義は半減だし、そもそもそんな有様で勝利出来るのだろうか。バイデン氏の発案で開かれた民主主義サミットも不完全燃焼だった。いくら民主主義の優位性を説いても、肝心の米国への信頼や共感なくしては説得力に欠ける。参加国が米国は自分たちの民主主義の立て直しが先決ではないかと思ったとしても不思議ではない。米民主主義後退のダメージは大きい。米国はもとより国際社会にもそのツケは及ぶ。米国は本腰を入れ、リソースやエネルギーを国内にもっと注いで欲しいと思う。それが米中対立にも資することになる。そして日本もそのために協力する。そこに出番がある。1月から欧州連合(EU)の議長を務めるマクロン仏大統領は、「世界に冠たる欧州になる。欧州の運命は欧州が決める」と述べている。EUは英国が離脱し、ドイツもショルツ首相の就任からまだ日が浅い。比重が増すフランスにマクロン氏は自らの出番を意識し、決意のほどを言葉に込めたのだろう。日本は「世界に冠たる日本になる」などと見えを切らずとも、出番もやるべきことも少なくないはずだ。去る6日、岸田首相とオーストラリアのモリソン首相が署名した日豪円滑化協定はその好例だ。自衛隊と豪国防軍の協力活動を円滑化するもので、安全保障・防衛協力の促進とともに自由で開かれたインド太平洋構想の進展にも寄与するはずだ。同構想に東南アジア諸国の関心は温度差があるし、太平洋島嶼国には構想自体まだまだ遠い。ここにも日本の出番がある。皮肉にも日豪を準同盟に近づけた立役者?は中国だ。自らの不都合は封印し、日本にはレアアース輸出、豪州には牛肉等農産品輸入をストップし、報復した。同じような手法を止めない中国は今や、リトアニアはじめ旧東欧圏やアフリカなどで相次ぎ離反されている。中国も米国の民主主義の劣化を哄笑している場合ではない。

「日本外交の150年」から令和の外交を考える

30 Oct 2019

今年は外務省が創設されて150年。先日、東京・六本木の外務省外交史料館の前を通りかかると、記念の特別展示「日本外交の150年」が行われていた。外交はもはや外務省の専売特許ではなくなったが、明治からこのかた日本の外交活動の中心が外務省だったのも確かで、外務省150年は日本外交の150年でもあるわけだ。外務省所蔵の史料を通して、明治2(1869)年の外務省創設から現在までの日本外交の道のりを辿っている。ガラスケースの中の古式ゆかしい条約文書や小道具はいかにも歴史を感じさせ、条約第1号となったオーストリア=ハンガリー帝国との修好通商航海条約(明治2年9月14日)には、初代外務卿(外務省の長官)沢宣嘉の花押があった。花押は平安時代中期から使われてきた署名の形で外務省草創期ならではだ。同条約は不平等条約としても知られる。開国間もない日本は手練手管の欧米諸国から見たら赤子も同然で、不平等条約を結ばせるのは朝飯前だっただろう。だから条約の改正交渉は新設外務省の重要な仕事ともなった。そして25年後の明治27年7月16日、日英通商航海条約が調印の運びとなり、これにより条約交渉は大きく進展したといわれる。ここにはヴィクトリア女王の端正なサインがあった。思わず釘付けになったのは、昭和20年7月20日の駐ソ連大使、佐藤尚武が外務大臣、東郷茂徳に宛てた終戦意見電報である。《満州事変以前ヨリ余リニモ外交ヲ軽侮シ国際関係ニ無頓着ナリシコトカ即チ今日ノ禍ヲ招キタル原因タリ(中略)防共協定以来ノ我対外政策ハ完全ニ破綻セリ…本使ハ率直ニ今次戦争ノ将来絶望トナリタル事実ヲ認識スルヲ要ストナスモノナリ(中略)無益ニ死地ニ就カントスル幾十万ノ人命ヲ繋キ以テ国家滅亡ノ一歩前ニ於テ之ヲ食止メ七千万同胞ヲ塗炭ノ苦ヨリ救ヒ民族ノ生存ヲ保持センコトヲノミ念願ス》電文はまだまだ続く。政府の所信に反することを知りながらこれを言う以上、自分は罪の甚大さを自認するし、敗戦主義者として非難されても結構、どのような責任を問われても受けよう…など等。初めて目にする極秘電報。それにしてもこんな気骨ある外交官がいたとは。もっとも先の戦争では開戦、継戦、終戦のさまざまな局面で、少なからぬ人々が反対や異議申し立てをし、和平を試みた。問題はそれにもかかわらず、沖縄、広島、長崎の悲劇に至るまで誰も破局を食い止めることが出来なかったことであり、そこに失敗の本質がある。終戦工作ひとつとっても後手に回り、時すでに遅く、情勢判断は甘かった。見学者は私と男性1人だけというシーンとした館内で、しばし歴史に浸り立ち尽くして外へ出ると午後の日差しが眩しかった。さて新しい令和の時代の日本外交はどうあるべきだろうか。今や先進国と途上国とを問わず自国第一主義とポピュリズム(大衆迎合主義)が幅を利かせ、国際協調や自由貿易の戦後国際秩序は旗色が悪い。日本がこの風潮にどっぷり染まっていないのは救いだが、そうなる兆しがまったくないわけではない。賢く折り合い、国益に繋げていくことが求められているのだと思う。「永遠の同盟はない。あるのは永遠の国益のみ」とは英国政治家の名言である。電報の「外交の軽侮や国際関係への無頓着が禍を招いた」との文言も切実に響く。また多様なプレーヤーをどれだけ持てるかも外交力の内だろう。10月22日の「即位礼正殿の儀」に191か国・国際機関が参加したことに、私は日本の底力のようなものを改めて感じた。日本は国連加盟国より多い195か国と外交関係を有し、しかもその殆どが出席し、平成の御代替わりの際の160か国・国際機関から大幅増ともなった。政治と一線を画しつつも、令和の時代に皇室外交が日本と国際社会のために役割をますます増して行けば素晴らしい。さらにラグビー・ワールドカップに続いて、オリンピック・パラリンピックというスポーツ外交も国民外交とともに重みを増している。令和の時代は「外交の国・日本」を目指したい。

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