原子力産業新聞

風の音を聴く

ジャーナリストとして国際報道の最前線を、時に優しく、時に厳しく、歩み続ける筆者によるコラム。──凛と吹く風のように。

海岸浸食進む、マレーシア東海岸コタバルの今

01 Feb 2018

昨年11月にマレーシアを訪れた折り、マレー半島北端の東海岸へ思い切って足を伸ばした。かねがね南シナ海を臨むクランタン州の州都コタバルを見てみたいと思っていたからである。

マレー語でコタは町、バルは新しい。もっともある年代以上の日本人には、「新しい町」より「懐かしい町」かもしれない。太平洋戦争は1941年12月8日、日本軍のハワイ真珠湾攻撃で始まったが、実際にはそれより1時間半ほど早く、ここコタバルへの日本軍上陸から火ぶたを切ったのだった。

それから75年余り。上陸地点はすぐ分かるだろうかとの私の不安を察知するように、ホテルで頼んだタクシー運転手は「大丈夫。何度も行っている」とニコニコしながらハンドルを握り、途中、「モスクはどう?」とか「ちょっと失礼」とイスラムのお祈りに消えるなど実に気さくで人懐こかった。

しかし走ること数十分、車を停め「ハイ、ここ」と言われた時は我が目を疑った。確かに目の前は南シナ海だけれど、コタバル市内の戦争博物館の展示写真にあった椰子の浜辺も、上陸の記念碑もない。寄せては返す荒波に立ち向かうように積まれた瓦礫が見渡す限り続いていた。

今は波に洗われる日本軍の上陸地点

「本当にここ?」と訝る私に、運転手は「その通り」と頷いた。聞けば雨季の海岸侵食で砂浜は水没、記念碑も流されてしまったのだという。

もっとも私は事前に記念碑の存在を確かめておいたので、このまま町へ引き返すわけにはいかない。碑のある地名を再確認し、何人もの地元の方に尋ねて探すこと数十分、侵食もここまではと思えるようなカンポン(村)の林を縫って入った奥地に、茶色の碑がひっそりと立っていた。水没したものに替えて新たに建てられたのである。。

まだ真新しい上陸記念碑

「ここは初めて。見つかって良かった」と運転手は心底ホッとした様子で、私も「次からは難なく案内出来るわね」と相槌を打った。

南シナ海の打ち寄せる大きな波音を聞き、訪れる人も稀に違いない真新しい碑を眺めていたら、不意に「夏草や兵どもの夢の跡」と場違いな句が浮かんだ。『戦史叢書 マレー進攻作戦』(防衛庁防衛研修所戦史室 1961年)によれば、コタバル上陸作戦は「決死の覚悟」だった。当時英領マレーのコタバルには重要航空基地があり、上陸の奇襲作戦が成功しても英軍の強力な反撃が予想された。しかしコタバルを占領しなければその後の戦いは出来ないと、陸軍は海軍の強い反対を押し切って作戦を敢行、成功させたのだった。東海岸は断崖が多く上陸可能な海岸は限られてもいたようだ。ともあれ日本軍はタイ国境と英領コタバルからマレー半島を一路南下、翌年2月15日には最速でシンガポール陥落となったのである。

今は海と化した上陸地点はクアラ・パク・アマン・ビーチと言う。英軍は防御陣地をコタバル海岸のタイ側からバンダン、クアラ・パク・アマン、サバクに配備し、当時の作戦計画では飛行場にもっとも近いサバク付近を予定。先の叢書に掲載の地図もサバクの地名しか見当たらない。ところが潮流・風速が予想を超え、しかも夜陰で視認出来ずに船は西方に流され、上陸したらサバクではなくクアラ・パク・アマン・ビーチだったということのようだ。

このことは現場に立って一段とよく分かったことだった。とにかく風が強い。波も荒い。おまけに夜中の作戦時は激しいスコールだったというから、部隊は上も下もまさに「決死の覚悟」だっただろう。

しかしそれ以上に現場で実感したのは歳月と気象相俟っての侵食の凄まじさだ。あらためて調べると、歴史を跡形もなくさせたマレーシア東海岸の海岸浸食は積年の問題でもあるようだ。2014年当時の現地紙によれば、過去10年間にクランタン州では雨季に海岸53キロが侵食され、毎年約5メートルの海岸が水没、そのため24の漁村が消滅したと言う。

ネット検索すると浜辺も真っ白い石碑も2006年時点では存在しているので、水没はそれ以降だろう。この10年で海岸浸食は一段と加速したのだと思われる。今、地球温暖化で氷河が大変なスピードで崩落していく問題がしばしば取り上げられる。しかし海岸線の消失は人々の暮らしにさらに重大な影響を及ぼす。

ここでまたもや唐突ながら、私は米国の「パリ協定」離脱は決して軽視してはならない問題だと今さらのように思った。海岸浸食も地球温暖化と決して無関係ではあるまい。

歴史を訪ねるコタバルの旅は未来を問う旅ともなったのだった。

千野境子Keiko Chino

Profile
産経新聞 客員論説委員
神奈川県横浜市出身。早稲田大学第一文学部卒業後、産経新聞社入社。マニラ特派員、ニューヨーク支局長、外信部長、シンガポール支局長、論説委員長などを歴任。最新刊は「戦後国際秩序の終わりー世界の中の日本」。

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