原子力産業新聞

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ジャーナリストとして国際報道の最前線を、時に優しく、時に厳しく、歩み続ける筆者によるコラム。──凛と吹く風のように。

明治150年、岩倉使節団が見たスイスは今…

08 Aug 2018

明治維新から150年の今年、メディアを中心に明治維新があらためて話題になっている。今年で平成が事実上の幕を下ろすのも、時代の転換であった明治維新への関心を掻き立てるようだ。

今夏ジュネーブへ行く計画を立てた時に思い浮かべたのも、明治維新の一大事業、岩倉使節団のことだった。

特命全権大使の岩倉具視を団長に、御付きや留学生も含めると総勢107人、維新から間もない明治4(1871)年11月、アメリカを振り出しに約1年9か月にわたり欧米12か国を歴訪、不平等条約の改正に向けての外交交渉や各国事情視察をしたが、スイスは最終公式訪問国なのである。

明治6年6月19日、独ミュンヘン経由でチューリッヒに到着。20日に首都ベルン、続いてルツェルン、24日にはベルンに戻り、29日にローザンヌを経てジュネーブへ。7月15日夕に仏リヨンに向けて発ち、20日マルセイユから帰国の途に就いた。

日本の近代国家としての骨格は使節団により作られたと言っても過言ではない。彼らは何を見、何を思ったのだろう。去る7月半ば、ジュネーブ→ベルン→ルツェルン→チューリッヒ→独と使節団とは逆回りで訪れ、一番の感想は145年前の出来事が昨日のように思えたことだった。

何よりもスイスの変わらなさ。風景や建物、生活ぶりの多くに当時が残る。そして使節団の見聞記の新鮮さ。少しも古びていない。彼らと同じと言っては不遜かもしれないが、『現代語縮訳 米欧回覧実記』(久米邦武編)でスイスの項を読むと、その通りと頷くことしばしばで我ながらビックリ。スイスが変わらないのか、明治維新はもしかしたら意外に近いのか。多分両方に違いない。

スイスの国柄について《アルプスを背負った山国で湖水も多く、その風光明媚が賞されて諸外国から観光客が集まる。産業としては精密工業、牧畜、紡績、観光が主であり、国民は貧富の差があまりなく、安定した暮らしをして質実素朴、教育は行き届いている》との説明は今も通用する。

ベルンで大統領に謁見後、市街を回り《道路は良く整備され、清潔である》も同様。当時すでに何百年を経ていた建物は145年後の現在も健在だった。公園のレストランで休憩中に教練中の小学生の鼓笛隊が来て演奏を聞かせてくれると、久米は心情をこう吐露した。

偶然、出合った村の吹奏楽団

《子供の心は純粋そのものであり、ひたすら教えられたことを守って業に励むうちに自ずから<内を平和に保ち、外からの侵略を防いで国権を全うし、他国と礼を守って交際する>というスイスの国是に導かれ、遠く海外の異国からやって来た使節に向かい妙なる調べを奏する。この一致協力して国に尽くそうとする姿はまことに感動に堪えない》

奇しくも私も似たような経験をした。スイスではなくお隣ドイツでだが、村の道端で吹奏楽を奏でる光景に遭遇し、車を停め聞き入ると、私たちのためにも演奏してくれたのだ。お揃いのユニフォーム。村の同好の士なのだろう。シニア主体に高齢化社会も垣間見え、のどかな田園に広がる共同体の一致協力ぶりに、久米ではないが感激した。

傭兵に倒れたスイス人を称える瀕死のライオン像

また久米はルツェルンへの途次、立ち寄った村の民家に掲げられたスイス独立の英雄ウィリアム・テルの絵の説明に次のような感想を綴る。

《欧州ではどこもこのように自主を尊び、郷土の歴史を記憶して、その志を受け継ぐのに熱心なのだ。ルツェルンには獅子の洞窟があり、これもその武烈と愛国心を示すものであって、女子供まで誰もが記憶して雄弁に人々に語り、世界一優れた国であることを力説する。これこそ自主独立を遂げる源なのだ》

これもまた145年後のスイスに重なる。獅子の洞窟は内外の観光客で賑わい、星条旗好きのアメリカも顔負けしそうに国旗が町に溢れていた。いささか過剰だが、愛国心も健在なり。永世中立を200年以上も堅持し、欧州の中心にあって欧州連合(EU)に入らず、国連加盟も2002年、190番目と遅かった。しかしこれらを自国第一主義ではなく自主独立と思わせるところにスイスの面目躍如があると言える。

小道にも溢れる国旗

145年前と今の、変わらなさや共感を少し強調し過ぎたかもしれない。決定的に違う点も書きたい。それは岩倉使節団そのものである。

岩倉具視以下、木戸孝允、大久保利通、伊藤博文と明治新政府の実力者たちが、2年近くも政府を留守にし外国へ出掛ける。しかも皆若い。伊藤は31歳、木戸も39歳である。使節団の陣容や規模、期間、そのすべてから彼らの意気込みや必死さが伝わって来る。彼らは皆本気なのだ。

政治家や役人のすべてとは言わないが、昨今の物見遊山的な視察などとは根本的に違う。国会会期中は首相や外相が数日の海外出張さえままならない風土では、使節団の「偉業」など生まれようもないかもしれないが。

しかし明治維新がそう遠い出来事ではないというのも実感だった。そうだとすれば、貪欲に欧米世界を見、吸収し、日本を近代国家に作り替えた岩倉使節団のスピリットを追体験し、何かを汲み取ることはまだ可能だ。スイスはそのことも感じさせてくれた。

千野境子Keiko Chino

Profile
産経新聞 客員論説委員
神奈川県横浜市出身。早稲田大学第一文学部卒業後、産経新聞社入社。マニラ特派員、ニューヨーク支局長、外信部長、シンガポール支局長、論説委員長などを歴任。最新刊は「江戸のジャーナリスト 葛飾北斎」。

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