最終章に入った「パックス・アメリカーナ」
08 Apr 2026
柄にもなく大風呂敷を広げてコラムを始めたい。
米国がイスラエルと始めたイラン攻撃は、トランプ大統領が期待した体制転換も無条件降伏も絵に描いた餅のまま、今ではホントは早く止(や)めたいのに止められない状況に陥っているかのようである。イランが危機であるのは当然だが、米国も危機だ。私たちは「パックス・アメリカーナ(アメリカによる平和)」の最終章を目撃している──というのが風呂敷包みの中身である。
渦中にいる時は分らないが、後になって「そうそう、あの時がそうだった」と振り返るエポック。歴史の分岐点と言い換えても良い。この世に永遠不滅なんて事態は、そうそうない。始まりがあれば終わりがある。自然の理だ。パックス・アメリカーナが現れる前の「パックス・ブリタニカ(大英帝国)」がそうだった。
ナポレオン戦争が終わった1815年に始まり、「太陽の沈まぬ国」とまで言われた、輝けるブリタニカのピークは第1次世界大戦勃発の1914年までの100年とされる。2度の世界大戦、経済の疲弊、米独の台頭、植民地の相次ぐ独立等々。衰退は続き、最後の一撃は1956年のスエズ動乱(第2次中東戦争)だった。ナセル大統領のエジプトがスエズ運河の国有化を宣言すると、英国はフランス、イスラエルと共に軍事作戦を敢行した。しかし運河閉鎖による石油供給の停止や国際金融市場の混乱、国際社会からの強い非難に作戦は1週間で中止に追い込まれ、撤退し完敗。1968年にはスエズ運河以東のアジア駐留英軍も撤退し、大英帝国は世界の舞台から消えて行った。
ブリタニカが興隆する前の、朝貢と冊封の華夷秩序によって東アジアを治めた漢、唐や清によるパックス・シニカ(中華帝国)も、清が大英帝国の仕掛けたアヘン戦争(1840~42)に敗れたことを以て終わった。1912年、清は中国史上最後の王朝として歴史の中に収まった。
「パックス・ロマーナ(ローマ帝国)」も同様だ。アウグストゥス即位の紀元前27年から、マルクス・アウレリウス・アントニヌス帝死去の180年まで、地中海世界の支配はブリタニカよりは長かったが、それでも約200年で終わった。皇帝の乱立、指導力の不足、経済の停滞、対外的には異民族・ゲルマン人の侵攻などによる軍事費の増大などが終焉の原因とされる。
こうしてざっと振り返ると、戦争、経済苦境、指導者の劣化が、時代を超えて共通する要因であることが分かる。
パックス・アメリカーナに再び戻ると、終わりが俎上に上るのは今に始まったわけではない。バイデン前政権下のアフガニスタン駐留米軍の撤退(2021年)でも、米国の影響力の低下が盛んに論議された。ただアフガンとイランは同じ失敗でも、ダメージの大きさが桁違いだ。イラン攻撃は短期決戦による勝利の目算が狂い、トランプ氏自らの体制転換の呼び掛けも無視され、イランに足元を見透かされ、ホルムズ海峡の開放をめぐってはG7の残るすべての国から協力を断られた。米国の威信や面子がこれほど蔑ろにされたことは、かつてあっただろうか。
さらに、もっと深刻に思えるのは、米国への信頼や信義、信用が大きく損なわれたことだ。これらは軍事力や経済力と共に、「パックス・アメリカーナ」を支える重要な要素だった。同盟国や国際社会は、強大な軍事力や富だけになびいたのではなかったはずだ。これらの修復は可能なのか、可能としてもどれほどの時間がかかるのか、今は誰にも分からない。
イラク攻撃で延期された米中首脳会談は5月14、15日に北京で行われる。習近平氏はこれをパックス・アメリカーナからさしずめ「新型のパックス・シニカ」への移行式にと、密かに企んでいるかもしれない。習近平・国家主席はじめ中国がこの間、一貫して掲げてきた中華民族の復興とは、アヘン戦争で嘗めさせられた屈辱へのリベンジであると同時に、パックス・シニカの夢よ再びに違いないからだ。しかし野望は白昼夢に終わるだろうし、そう願う。
では次にはどのような世界が開けるのか、残念それにはもう一枚大風呂敷が要る。


