ベタ記事から今、ホットな国際刑事裁判所(ICC)問題を考える
15 Sep 2026
自分の記事がベタになるのは嬉しくないが、ベタ記事は侮れない。
米国のインテリジェンスの専門家が情報源を問われて、「新聞に載っている記事だけですよ。それも小さい記事がいい」と答えていたのを読んだ時は、情報収集の王道に触れたような気がした。
最近、<旧ユーゴ戦犯、ムラディッチ受刑者死亡>のベタ記事が目に留まった。ジェノサイド(大量殺戮)の罪などにより終身刑で服役中に、収監先のオランダ・ハーグの病院で死亡とあった。享年84歳。
あれから30年が経ったのだ。ムラディッチ受刑者は旧ユーゴのボスニア・ヘルツェゴビナで1995年7月に起きたスレブレニツァ事件で、セルビア人勢力軍総司令官として指揮をした。
事件が起きる5か月ほど前、ボスニアの首都サラエボやその近郊で内戦の取材をした。戦闘で廃墟と化した村落は不気味なほど静まり返り、家屋のそこここに撃ち込まれた砲弾の跡が生々しかった。
スレブレニツァはセルビア側に包囲されたムスリム側の小さな飛び地だ。わずか1週間で7千人を超すムスリム男性が殺害され、第2次世界大戦後の欧州に於ける最大・最悪の集団虐殺事件として世界に衝撃を与えた。
ムラディッチは女性や子供、老人は予め避難させ、留め置いたムスリム男性を殺害した。蛮行を隠すため遺体を掘り返し別の場所へ再埋設も指示した。
当時、旧ユーゴ紛争のPKOである国連保護軍(UNPROFOR)の事務総長特別代表だった明石康氏は《ムラディチ(原文のまま)将軍の世界は、セルビア人至上主義に彩られた、怨念と復讐の世界であったと考えられる》と著書『戦争と平和の谷間で』で書いている。
95年12月、ボスニア内戦は紛争当事者のボスニア、セルビア、クロアチアの大統領がデイトン和平合意に調印し、3年半あまりの戦いに幕を下ろした。
ムラディッチは16年間逃亡の末に逮捕された。オランダ・ハーグの旧ユーゴ国際戦犯法廷(ICTY)は2017年に終身刑を下し、1993年に国連安全保障理事会により設置されて以来、24年間の活動を終えた。
ボスニア内戦の終結やICTYの設立などに、当時ことのほか熱心だったのが米国だった。終戦に追い込むべくNATOによるセルビア空爆に踏み切り、ブッシュ(父)政権、続くクリントン政権は党派を超えて、ICTYの構想から安保理決議案作り、設立資金の拠出、専門家チームの派遣まで主導的役割を果たした。米国の支持なしに設立はなかったとさえ言われる。
今、その米国が「米国第一主義」の旗の下、国際刑事裁判所(ICC)の「解体」を叫び、赤根智子所長と上級検察官に制裁を科すのは、大いなる自己矛盾の何物でもない。
2002年に常設国際司法機関として発足したICCは、ICTYや94年に設置されたルワンダ国際戦犯法廷(ICTR)などの活動も受け継いでいるからである。
常設裁判所の構想自体はさらに古く、第2次世界大戦後に設置された米国も関りの深いニュルンベルク裁判と極東国際軍事裁判(東京裁判)が、事後法による勝者の裁きだったことへの反省から、検討が始まったことを忘れてはならない。ただ冷戦最中で議論は一旦立ち消え、冷戦崩壊後の紛争が多発する中で再浮上した。
米国が個別で臨時の国際法廷の開設に熱心な一方、自国の軍人や政治家が国際機関に裁かれるのは国家主権や国益への侵害と考え、ICCに加盟しなかったのは事実だ。しかし非加盟国が「解体」まで言うのは、一般的には内政干渉というものだろう。
そもそもICCは国家の上に立つ機関ではない。ローマ規程(設立条約)は「補完性の原則」として、第一義的に管轄権を持つのは各国の国内裁判所であり、国家が捜査や訴追を行う意思や能力がない場合にのみICCが補完的に介入するとしている。米国には自ら裁く能力も権利もある。
トランプ大統領はこれらを知らないのか、知っていて無視しているのかは分からない。しかし「解体」はICCだけでなく、米国が一貫して果たしてきた貢献をも解体し、不名誉な歴史として残るだろう。日本は辛抱強く米国の翻意を促す他ない。


