原子力産業新聞

メディアへの直言

岸田首相の「9基稼働」 幸運が招いたサウンドバイト?

二〇二二年八月五日

 岸田首相が七月十四日の記者会見で「今冬の電力供給を確保するため、最大9基の原子力発電所の稼働を指示した」と発言した。これを受けて、翌日の主要新聞は一斉に「原発 最大9基稼働」の大見出しが躍った。この見出しから、新たな原発再稼働に向けて、岸田首相がいよいよ動き出したと思った人もいたに違いない。実際はそうではないのだが、これは意図せざる「サウンドバイト」の奏功例と言えよう。ただし、記者側の裏事情が招いた幸運なサウンドバイトだった。

どの新聞も一斉に「9基稼働」

 七月十五日の早朝。毎日新聞(七月十五日付)を見て、眠気が吹っ飛んだ。一面トップの見出しに「首相、原発9基稼働指示」が飛び込んできたからだ。当時、私の頭の中には、原発は現在四基か五基が稼働しているという程度の知識しかなかった。このため、見出しを見て、「岸田首相の力強い主導で、ようやく九基が稼働することになるのか」と感慨深く思ったのだ。そして、国民から抵抗感の強い原発再稼働に向け、「岸田首相がいよいよリーダーシップを発揮するのか!」といくぶん頼もしさも感じたのだ。

 他紙の報道が気になり、職場で他紙を見た。読売新聞も一面で「原発 最大9基稼働 首相、経産相に指示」と首相の主導ぶりをうかがわせる見出しだった。日本経済新聞も一面トップで「原発 冬に最大9基稼働 首相表明 消費電力の1割」だった。日経新聞の見出しからは、9基稼働すれば、消費電力の一割をまかなえるという強力なメッセージも伝わってきた。朝日新聞も扱いは小さいながらも、一面の見出しは「今冬 最大9基の原発稼働」だった。見出しを見る限り、肯定的な内容である。産経新聞は二面で「首相『原発最大9基稼働』」だった。

 原発に批判的な東京新聞でさえも、「今冬 原発9基稼働 首相、危険性には触れず」との見出しで9基の稼働を伝えた。さすがに「危険性には触れず」と言う小見出しを入れるところは東京新聞らしいが、電力供給の不足が予想される今冬に向けて、なんとしても9基の原発を稼働させるという政府のメッセージは伝わったようだ。

六紙の共通の見出しは「サウンドバイト術」の成功例 

 主要六紙が一斉に「原発9基 稼働」との見出しをうたった意義は大きい。岸田首相は記者会見でコロナ対策や物価高対策なども語っており、原発再稼働にしぼった会見ではなかった。それでも、記者たちが9基の稼働に着目したのは、9基という数字がインパクトのある数字に見えたのだろう。私が毎日新聞を朝一番に読んだときの気持ちは、おそらく会見に居合わせた記者たちの新鮮な気持ちに近いものだったと思う。

 これまでのコラムでも述べてきたように、短い言葉で強力なメッセージを伝えるのが「サウンドバイト術」の基本である。その観点に立つと、今回の岸田首相の会見は、首相が意図したかどうかはともかく、結果的に「9基の稼働」を国民に広く伝えたサウンドバイトの成功例といえるだろう。

翌日の新聞で各紙一斉に「稼働 織り込み済み」を強調

 ところが、である。翌日になって、形勢がやや微妙に変化した。毎日新聞は十六日付朝刊で「明らかなのは、岸田氏はあくまで再稼働済みの原発を最大9基運転させようとしていることだ。(中略)決して新たな原発を追加で再稼働させようとしているわけではない」と報じ、首相が指示せずとも9基の原発は稼働する計画だったことを強調した。

 朝日新聞も十六日付朝刊で「冬の電力不足 首相『原発9基稼働』電事連会長『織り込み済み』」との見出しで、もともと「電力会社の計画では、来年一月には9基が稼働する見通しだ」と報じた。産経新聞も「9基は原子力規制委員会の新規制基準での審査を通過して、再稼働済みの原発だが…」と報じた。西日本新聞(十六日付)も「今冬はもともと計9基が動いている予定となっており、新規の再稼働は含まれない」と分かりやすく伝えた。

 原発の再稼働に関する状況を熟知していなかった私は、十五日の初報の時点では、これまで動いていなかった原発が新たに再稼働するのかと思ったのだが、翌日の新聞を読んで初めて「9基の稼働はどれも計画されていたものだった」と分かった。

 それなら、なぜ各紙は十五日の初報で、わざわざ一面トップの大見出しで「9基稼働」と報じたのだろうか。そんな疑問がわいた。

 そこで、改めて読売新聞の初報(十五日付)をよく読むと、新たに稼働する5基に関して「定期検査などで稼働していない5基が冬には再稼働できるため、原発稼働は最大で9基に達する見込みだ」と書かれていた。東京新聞(十五日付)も「再稼働を見込むのは、定期検査などで停止している関西電力や九州電力の5基…」と報じていた。

 そうした事情があったにせよ、どの新聞も「9基稼働」を1面で大きく報じたのは、今冬の電力供給に向けた岸田首相の並々ならぬ決意を肌で感じたからだろう。たとえ予定通りとはいえ、不測の事態が生じる可能性はあり、やはり「9基の稼働」はインパクトを感じさせたのだろう。これは、記者会見での熱情あふれる発言は、大きな見出し(強力なメッセージ)にもつながるという教訓でもある。

初報で大事なメッセージを届けるのが会見のキモ

 そして、冒頭で述べた記者側の裏事情とは、最初の会見にいた記者と翌日の新聞で解説記事を書いた記者は別の記者だということだ。

 たとえば、毎日新聞(十六日付)は「最大9基動く前提があったにもかかわらず、岸田氏はなぜ改めて会見で強調したのか」と問い、電力業界の声を載せている。もし、最初の会見で記者たちが「9基の稼働は計画通りのことで、何ら新鮮味がない」ことを熟知していたなら、十五日の第一報で「首相は9基の稼働を指示したが、全く新鮮味なし。そんなことは織り込み済みだ」と否定的に報じることもできたはずなのに、それをしなかった。つまり、最初の会見にいた記者たち(おそらく政治部の記者だろう)にとっては、9基の稼働が大きなインパクトをもつと映ったわけだ。ゆえにこの時点では、とりあえずサウンドバイトは成功したといえるわけだ。

 これは私の推測だが、原子力問題に詳しい記者ばかりが最初の会見にいたならば、9基の稼働は織り込み済みで大きなインパクトを与えなかったかもしれない。これは、同じニュースでも、どの部署の記者が記事を書くかで内容も扱いも変わるという問題と似ている。

 各紙の記事を読むと、どの新聞も翌十六日の解説的記事のほうが内容は濃い。原子力関係に詳しい記者が、翌日の記事で初報のイメージを軌道修正した形跡がうかがえる。翌十六日の新聞の多くは、9基が稼働しても電力需給の改善効果は限定的と報じた。

 しかし、いくらあとで再稼働の意味と限界を報じても、初報の威力ほどではなかったと思う。たとえ織り込み済みの9基でも、首相の主導で確実に稼働させるのだという強い決意は国民に伝わったように思う。記者会見を巧みに使って初戦(初報)を制す。これもサウンドバイト術のなせる技(わざ)のひとつといえるだろう。

小島正美Masami Kojima
元毎日新聞社編集委員
1951年愛知県生まれ。愛知県立大学卒業後に毎日新聞社入社。松本支局などを経て、1986年から東京本社・生活報道部で食や健康問題に取り組む。2018年6月末で退社し、2021年3月まで「食生活ジャーナリストの会」代表を務めた。近著「みんなで考えるトリチウム水問題~風評と誤解への解決策」(エネルギーフォーラム)。小島正美ブログ「FOOD NEWS ONLINE

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