新聞の発行部数はさらに減少 バイアス記事はネットで発覚する時代へ
二〇二六年四月十三日
新聞の記事をどこまで信じてよいか。これは古くて新しい問題だが、最近の記事を見ていて、これでは新聞離れが起きるはずだという例を目の当たりにした。最新の調査では、新聞の発行部数はますます減っている。はたして一強の読売新聞は500万部を維持できるのか。
朝日新聞が
「訂正とおわび」
3月8日付けの朝日新聞の「訂正して、おわびします」という記事を読んで仰天した。どんな記事におわびなのかを知って、二度も仰天した。
朝日新聞は3月1日付けで総合4面全体を費やして、「悩める新人教育 自民執行部、SNSにピリピリ 派閥瓦解 党主体で研修会」との見出しで自民党による新人教育の様子をレポートした。その冒頭の記事は以下のとおりだ。
――新人議員の研修会で、講師役を務める萩生田光一幹事長代行は語気を強めた。「その態度はちょっと失礼じゃないか」。とがめられたのは、比例選出の男性議員だった。研修会の終盤に行われた質疑応答の場面で、男性議員は着座のまま名乗らずに発言。萩生田氏はこの振る舞いを見逃さなかった。出席者の一人は「一気に場が凍った」と振り返った――。
ここまで読んだだけで、萩生田氏の威圧感に満ちた、怖い顔つきの強面ぶりが頭に浮かぶ。この記事を読んだ人は、すでに裏金問題で印象の悪い萩生田氏に対して、こういう新人教育の研修会でも「場を凍らせるほど怖い存在なんだ」というイメージをもったに違いない。
ところが、である。1週間後の「訂正とおわび」を見たら、「その態度はちょっと失礼じゃないか」と言ったのは萩生田氏ではなく、他の党幹部の発言だったというのだ。そして、「萩生田氏はこの振る舞いを見逃さなかった」とあるのも、同じ党幹部の対応だったというのである。朝日新聞は訂正・おわびで「新人議員の研修会は非公開のため、複数の出席者に取材する中で取り違えました」と釈明した。
批判したい気持ちが先行
この記事の本文の冒頭が誤報だったということになれば、この記事の根幹が揺らぐ。なぜ、記者は発言した人物をしっかりと確かめなかったのだろうか。私の推測では、それは記者がそもそも自民党を何とかして批判したいという前提で取材しているからだ。少しでも自民党のほころびを見つけたい。そういう気持ちで取材していたところ、党の幹部が新人を叱責する話を聞き、どうやら萩生田らしいということを聞くにつけ、これは大きなネタになると思い込み、心の中で「やったー」と叫んだに違いない。
普段なら、ニュース価値の高い特ダネほどじっくりと裏を取って記事にするはずだが、この記事を読む限り、自民党や問題議員の印象を悪くする記事を書きたいという気持ちのほうが裏付けの動機を上回ってしまったようだと思われる。
今回の記事は訂正・おわびが掲載されたから、誤報だとわかったわけだが、読者は隅から隅まで新聞を読んでいるわけではない。おわびが掲載されたことを知らない人もいることだろう。
この記事から言える教訓は、記事というものは記者の主観的な価値判断が大きく反映された記者個人の物語、最近の流行言葉で言えば、記者個人のナラティブなのだということだ。ある出来事や現象のどこをどう切り取り、どう加工するかは記者の主観的な判断に任されている。それが記事だ。
日本は右傾化しているか?
インターネットが出現する前は、新聞の記事がどこまで正しいかを知る術がなかった。しかし、ネットの出現で記事の内容にかかわる関係者がブログやユーチューブなどSNSで「この記事はここが間違いだ」と簡単に指摘することができるようになった。
よく日本は右傾化しいているといわれるが、私の認識は全く違う。昔から朝日新聞のような左翼的な言論を批判する保守的な人たちは一定数いたのだが、自らの意見や記事への反論を伝える術をもっていなかった。ネットが出現して初めて、自らの主張を公に発信する機会が増え、その存在があらわになっただけのことである。別に右翼が急激に増えているわけではない。
いまでは、朝日新聞や毎日新聞、共同通信といったリベラル系左派メディアの間違いやバイアスを指摘する保守系識者たちの動画やブログはたくさんある。それらを見れば、新聞記事のバイアスがあっという間にわかる時代になったのだ。新聞に書かれていることだけを信じていたら、物事の一面しかわからないことが、新聞記事を監視するネットメディア(個人の動画も含む)によってわかってきたとも言える。
経済財政諮問会議の発言は「誤報」か!
そういう意味では、たまにはオールドメディアを批判的に見る保守系ブログや動画を見ることも必要だ。最近、こんなことがあった。
経済評論家の須田慎一郎氏の個人動画(ユーチューブ・4月2日)を見たら、3月26日に行われた政府の経済財政諮問会議で米国から招かれた2人の著名な経済学者(マサチューセッツ工科大学のオリヴィエ・ブランシャール氏とハーバード大学のケネス・ロゴフ教授)がどんな意見を述べたかに関する朝日、毎日、日本経済の3紙について、「裏付け取材のない誤報だ」と熱く語っていた。
どんな記事かと思い、図書館へ行き、読売も含め4紙を読んでみた。日経の見出しは「海外識者、積極財政に注文」「PB赤字をゼロ水準に」「国債財源、正当化されず」だった。PBとは基礎的財政収支のことだ。見出しの「注文」という大きな文字からは、高市政権の積極財政に対して批判的な意見を述べたというニュアンスが伝わる。
さらに記事には「ブランシャール氏は『国債を財源とした実行が自動的に正当化されるわけではない』とクギを刺した」という文章がある。「クギを刺す」という言葉の意味を改めて辞書で調べたら、「きつく注意する」という意味だ。やはりブランシャール氏は高市政権の財政運営に批判的なのかと思った。
朝日、毎日の記事にも
「注文」の文字
次に毎日新聞(3月27日付)を読んでみた。見出しは「首相の積極財政 海外学者が注文」だった。ここでも「注文」という文字があった。あまり目立たない1段見出しの記事だが、本文では「高市早苗政権が掲げる『責任ある積極財政』への注文が相次いだ」とある。「注文が相次いだ」という表現から見ると、やはり批判的な意見を述べたのかな、と受け止められる。
そして、朝日新聞(3月27日ネット記事)の見出しは「高市首相の『責任ある積極財政』に海外識者が注文」だった。やはり「注文」という文字の見出しだ(ただし、私の住む千葉県北西部に配達された朝日新聞では1日遅れの28日付朝刊に掲載され、見出しは「財政収支『均衡必要』」で、「注文」の文字はなかった)。
これに対し、読売新聞(3月27日付・2段扱い)の見出しは「基礎的財政収支 均衡必要」。見出しにも本文にも「注文」の文字はない。ブランシャール氏は確かに数年後にはPBの均衡が必要だと言ったようだが、読売と朝日、毎日、日経の3紙では見出しが異なり、3紙からは高市政権への批判がにじみ出ている。
この記事は後日、記者会見でも話題となったようだ。須田氏は自らの取材で「ブランシャール氏の発言は、高市政権の積極財政は実行可能だと言ったのであり、批判したわけではない。3紙の報道は悪意をもった誤報だ。高市政権の消費税ゼロをなんとしても阻止したい財務省の意をくんだ報道だ」と自説を主張した。
発行部数はさらに減少
ここで知っておきたいのは、須田氏のようなネット動画がなかったら、新聞記事のバイアス(間違いとまでは言えないが、記者の意向に沿った偏りのある記事)に気づかなかったということだ。
原子力やエネルギー、気候変動問題でも、この種のバイアス記事はたくさんあるだろう。だからこそ、大手5紙(読売、朝日、毎日、産経、日本経済)を読み比べることが最低限必要なのだが、そんな経済的余裕のある家庭はごく少ない。結局、自分の価値観や思想に合った新聞だけを購読することになるが、それでも、そういう偏りを知ってしまうと一紙だけを購読する意義もなくなり、ますます新聞を読む人は減っていく。
今年2月の新聞発行部数の速報(「広告代理店の未来を考えるブログ」参照)によると、読売新聞は約525万部(24年比14%減)、朝日新聞は約315万部(同10%減)、毎日新聞は約112万部(同29%減)、産経新聞は約75万部(同15%減)、日本経済新聞は約120万部(同14%減)だ。
どの新聞も減少の一途だ。5紙の記事をまとめたような新聞があれば、1紙だけで間に合う。そんな新聞の出現はないものか。読売新聞が500万部を切るような事態になれば、いよいよ新聞の終わりの時代に入る。

