遺伝子組み換え作物と原子力発電所の輸出・再稼働、世界から遅れる共通要因は何か!
二〇二六年九月九日
遺伝子組み換え(GM)作物が世界で流通し始めて、今年でちょうど30年になる。日本は海外から大量のGM作物を輸入し、家畜の飼料や食用油など幅広く利用しているものの、いまだに日本国内では商業目的の栽培(花を除く)は実現していない。この「失われた30年」の背景を考えてみると、意外にも原子力発電所の輸出・再稼働にも共通する要因が浮かび上がった。それは何か。
GM作物はすぐれたテクノロジー
遺伝子組み換え(GM=Genetically Modifiedの略)作物の栽培・流通は1996年、米国とカナダで始まり、その年から日本も輸入するようになった。GM作物とは簡単に言うと、別の生物から有用な遺伝子を取り出して細胞に組み込み、新しい性質を持たせた作物のことだ。
たとえば、害虫が茎や葉をかじると死ぬGMトウモロコシ(害虫を殺す微生物由来の遺伝子が作物に組み込まれているが、この殺虫たんぱく質は有機農業でも利用されており、人への安全性も確認されている)がある。これだと殺虫剤を使わずに済む利点がある。また、特定の除草剤を撒いても枯れないGM大豆がある。このGM大豆だと雑草退治が楽になる。つまり、雑草が生えてきたら、さっと除草剤をまくだけで雑草だけが枯れ、大豆は収穫できるというすぐれたテクノロジーなのだ。
世界30ヵ国で栽培
これまでの数々の研究報告では、GM作物には「農薬の使用量の削減」「収量の増加」「生物多様性の増加」「土壌流失の防止」「開発途上国の農家の収入の増加」「地球温暖化の防止」など数多くのメリットがあるとされる。
その結果、現在、世界では米国、カナダ、ブラジル、アルゼンチン、インド、中国、フィリピン、スペインなど約30カ国で栽培されている。米国ではトウモロコシ、大豆、ナタネ、綿の9割以上はGM作物に切り替わっている。ブラジルやアルゼンチンでは大豆の100%近くがGMだ。
当たり前のことだが、農家にとっては栽培するメリットが大きいから、GM作物をどんどん栽培する。GM作物を輸入する側にとっても、非組み換え作物よりも価格が低いため、リーズナブルな価格の商品を生産できる。輸入する側の日本では、すでに家畜飼料のほぼ100%がGM飼料であり、もはやGM作物の輸入なしに日本の家畜産業は成り立たないといってもよい。
国や自治体に反対運動を跳ね返す力なし
不思議なのは、ここからだ。これだけのメリットがありながら、日本ではいまだに商業的な栽培が行われていないことだ。農業生産者に栽培意欲がないわけではない。かつて「バイオ作物懇話会」(最大約700人)の生産者が茨城県などで試験的にGM大豆を栽培しようとしたが、一部の過激な反対派が畑に侵入し、トラクターでつぶしてしまった。犯罪行為だったが、刑事事件にもならず、以来、生産者たちは試験栽培を断念してしまった。
国や県(岩手や愛知など)の公的研究機関も「病気に強いGM稲」など国産のGM作物を独自に開発しようとしたが、市民団体による強力な反対運動(訴訟も含む)に勝てず、研究開発は次々に中止へ追い込まれていった。あろうことか反対派や反対議員の動きに押された地方自治体(北海道、新潟、岩手、兵庫など)までが事実上、GM作物の栽培を禁止する条例までつくり、GM作物の栽培や研究開発にブレーキをかけた。その流れで民間企業も次々に撤退していった。
とどめを刺したのは、2009年に誕生した旧民主党政権だった。当時、農水省はGM稲を栽培する計画まで立てていたが、あっけなく中止され、研究開発予算も削られた。GM作物を科学的に分かりやすく解説した副読本も大量に廃棄された。政権を担う自民党の政治家も無関心だった。結局、国に長期的な展望がなかったため、国産のGM作物は実らなかった。かといって「失われた30年」を総括する空気もなく、国の責任もあいまいなまま今日に至っている(詳しくは筆者の編著『バイテク農業の未来・遺伝子組換え作物とゲノム編集食品』をお読みください)。
原子力輸出の好機を逃す
当時、私は現役の記者(毎日新聞社)だった。メディアが流すニュースは、私の記事を除き、ほとんどネガティブだった。こういう動きをみていて、世界で普及していくGM作物がなぜ、日本では全く足踏み状態になるのか。そこに、日本独自のGM作物を開発するんだという強い国家的な意思・覚悟がなく、研究機関とメディアの連携もなく、政治家も無関心だったことが、「失われた30年」を生み出したのだと気づいた。
翻って、原子力発電所の状況を見たとき、似た構図が見えてくる。そう思っていた矢先、その思いにぴったり合う名著『新・世界エネルギー戦争』(講談社)に出合った。日本の深刻な状況を思い知り、日本の将来が心配になって体が震えた。著者の吉井英生氏は東京電力や日立製作所での勤務経験を持つ、エネルギー問題の実情に詳しい専門家だ。
同書によると、いま世界中で原子力が再評価されている。フランスは新規の原発建設を国家戦略として宣言し、米国は数十年ぶりに原発の新設認可を出した。英国は小型モジュール炉の導入に踏み切り、ロシアは中東やアジア、中国はアフリカに自国製の原子炉を売り歩く。脱炭素とエネルギーの安全保障を両立できる電源として、世界は原子力という技術を選び始めているのだ。ところが、日本はこの国際的潮流に取り残され、33基ある原発のうち、稼働しているのはたったの15基(26年6月時点)。日本は技術も、人材も、燃料サイクル設備もあるのに、その能力を使いきれていない。
英国の挫折
例として、英国への原子炉輸出の挫折がある。日立製作所の子会社であるホライズン・ニュークリア・パワー社は、ウェールズのアングルシー島に英国版の改良型沸騰水型原子炉(UK-ABWR)を2基建設する計画だったが、2020年に建設プロジェクト事業から撤退してしまった。日本政府の原発輸出戦略の一環として進められていたのだが、メディアでは総事業費が3兆円規模に膨らむことなど、事業リスクを指摘する報道も目立った。このプロジェクトに対して、吉井氏は「世界的に見て極めて条件のよい原子力案件だった。しかし、プロジェクトを成立させることの国際的な意義も一部の人を除いて見ていなかった。官民が協調して全体戦略をきちんと立案し実行すれば、極めて成功確率の高いプロジェクトだった」と述べている。
そして、次のように訴える。「原子力は、資源よりも、技術、標準炉、金融、国家の信用が力になるが、日本では原発事故以降、国内の原子力は停滞し、輸出戦略も崩れた。そのあいだに中国は国内での建設を重ね、標準炉を完成させ、海外へ展開し始めている。すでに勝負はついてしまった」。
メディアはもっと直視を
中国が世界の原子力市場でじわじわと地歩を固めているのに、日本は立ち止まったままだという認識は、世界で普及するGM作物から取り残された日本とどこか似ているではないか。
一番問題なのは、そういう国家の覚悟なき、深刻な日本の原子力の状況に大手メディアが強い関心を寄せないことだ。このままだと20年たったら、日本だけが原子力の世界で周回遅れになっていることは目に見えているが、国にも政治家にもメディアにも、そういう危機意識が見えない。吉井氏の本を読んで目を覚ましてほしいものだ。
