原子力産業新聞

福島考

放射線の恐怖を煽り、遺伝子組み換え食品の恐怖を煽り、メディアはどこへいくのか?
単に市民の声、懸念を伝えるのではなく、科学的事実を読み込み、そうした懸念に応える建設的な提案も含めた情報、メッセージを発信すべきではないか?
報道の現場を知り尽くした筆者が、強く訴える。

「当事者意識」の有無で報道はこんなに違う!

17 May 2021

東京電力福島第一原子力発電所の敷地内にたまる「ALPS(アルプス)処理水」の海洋放出が今年4月13日、決まった。廃炉作業に向けて、大きな一歩を踏み出したといえるが、政権の動向次第では決定が覆される可能性もあり、予断を許さない。カギとなるのはやはり今後の報道だろう。今回は、事態をなんとか前進させようとする「当事者意識」をもっているかどうかで、新聞記事のトーンが大きく異なることを指摘したい。

 

最初に「当事者意識」を定義しておきたい。ある事柄に直接かかわっているという自覚をもつことを当事者意識というが、もっと言えば、傍観者(評論家)のようにならず、自分の問題として事態を良くしようとするスタンスのことだ。この当事者意識の観点から、政府の海洋放出決定を受けた4月14日付けの朝日新聞と読売新聞を読み比べてみた。

どの新聞でもそうだが、論調の違いはまず見出しに表れる。朝日の一面トップの見出しは「処理水 海洋放出へ 風評被害、適切に対応」「政府方針決定2年後めど開始」。さらに同じ一面に載った解説の見出しは「唐突な政治判断 地元反対押し切り」だった。

一方、読売の一面トップは「福島第一 処理水23年めど海洋放出 飲料基準以下に希釈」で、副見出しは「政府決定『風評』東電が賠償」だ。

朝日と読売で決定的に異なるのは、読売が見出しに大きな文字で「飲料基準以下に希釈」という言葉を入れたことだ。朝日では地元の反対を押し切ったというニュアンスが強く伝わるのに対し、読売はあえて処理水について「飲料基準以下に希釈」をうたい、安全性を強調した。どちらが安心感を醸成するかはいうまでもなかろう。

この差は一面トップ記事の冒頭の前文からもうかがえる。

朝日の一面トップの冒頭の文章は「菅政権は13日、海洋放出する処分方針を決めた。風評被害を懸念する声は根強く、放出が終わる時期の見通しは立っていない。先行きが見えないまま、処理済み汚染水の保管を続けてきた対策は大きな方針転換を迎えた」(一部省略)とある。まるで他人事のように冷めた目で事態を見ていて、「先行きが見えない」と事態を突き放すかのような印象を与える内容だ。

これに対し、読売は「政府は13日、海洋放出を正式に決めた。事前に大量の海水で薄め、放射性物質の濃度を飲んでも健康に影響がないとされる国際基準よりもさらに引き下げる。東電は2023年をめどに放出を開始し、期間は30年以上の長期に及ぶ見通し」。読売も放出が長期に及ぶとしているが、「先行きが見えない」という他人事的な言葉は使っていない。それどころか、短い文字数の前文であえて「飲んでも健康に影響がないレベルにしてから海洋に放出する」という事実を強調している。

この処理水問題では、海洋放出によって人体や環境にどのような影響が及ぶかが世間の最大の関心事である。このことにどう応えるかが注目されるが、読売は「飲んでも健康に影響がない国際基準よりもさらに低いレベル」を強調し、世間の不安に応えようとしていることが分かる。

■海外でのトリチウム放出をどう伝えるかがポイント

政府の決定に対して、朝日と読売がいかに異なったスタンス(政治姿勢)で記事を書いているかの差は2面、3面にも表れる。

読売は「海洋放出 世界の通例」との見出しで韓国や英国、フランス、中国、国内の他の原子力発電所でもトリチウムを含む処理水を流している状況を詳しく報じた。「海洋放出は国内外で実績が多く、安全管理の方法は蓄積されている。住民の健康や環境への悪影響は考えられず、・・」と書き、各国の放出量の数値を一覧表にして掲載した。海洋放出は日本だけの特別な事例ではなく、これまで長期間にわたり国内外で放出されてきたという事実を国民に伝えれば、安心感が生まれるはずだというニュアンスが伝わる内容だ。

一方、朝日は「いちから わかる!」という解説コラムでトリチウムの放出リスクについて触れている。「日本に限らず、海外でも原発1施設あたり、年間数兆~数十兆ベクレルを排水している。国(日本)の放出基準は1リットルあたり6万ベクレル。基準の40分の1まで薄めるそうだ」と他国でも放出している様子に触れているが、すぐそのあとに「でもやっぱり不安もあるなあ」と書く。

読売がWHOの飲料水ガイドライン(1リットルあたり1万ベクレル)よりもはるかに低い濃度で放出すると書いたことに対して、朝日は数字を記した表を載せ、そこに「WHOの飲料水ガイドラインは1リットルあたり10000ベクレル、東京電力の放出時は1500ベクレル」と載せ、よく見れば、飲料水のガイドラインよりも低く放出することが分かるが、あえて読売のような記述的な解説をしていない。

■もっと建設的な提言ニュースを期待したい

さらに、朝日は「処分方針への態度をあいまいにし、決断を先延ばしし続けてきた」と書き、「風評対策 効果見通せず」と批判的なトーンを展開。それに加え、「中国が『深刻懸念』 韓国『強い遺憾』 米は決定を評価」(※筆者注:「米は決定を評価」の文字が小さい)との見出しで中国や韓国の言い分を載せている。中国や韓国も海へトリチウムを放出しているという事実をしっかりと詳しく書いてほしいところだが、その誠意は見られない。

また、朝日は決断の先延ばしを特に問題視しているが、では仮に、5年前に政府が海洋放出を決定していたら、「よくぞ決断した。評価したい」と政府を後押ししただろうか。それはまずありえない。5年前に決断していれば、間違いなく「国民との議論を十分にせず、熟議を経ないまま海洋放出した」と非難しただろう。政府の決断が早ければ、「議論を打ち切った」と非難し、決断が遅ければ「先延ばし」と批判する。私はこういう報道スタンスを「評論家的」と呼びたい。

いずれは必ず実行せねばならない課題に対して、自分は高見の見物に位置して、批評を繰り返すような報道スタンスに、はたして国民は共感するだろうか。もし先延ばしが許されないなら、新聞社自らが政府の決断を促すような建設的な記事(情報)を流し、事態を前進させようと頑張ればよいのに、この処理水問題を見る限り、そういう事態を打開するような当事者意識が朝日には見られない。

もちろん朝日新聞のこうした批判的な姿勢を評価する人が多いことも承知しているし、朝日新聞が政権の問題点をただすうえで数々の良い記事を書いていることも分かっているが、それでも、この種の「避けて通れない難題」に対してはもっと建設的な提言記事を期待したいところだ。処理水の海洋放出に対して国民が抱くイメージは報道次第で良くも悪くもなる。報道機関が「当事者意識」をもって処理水問題を報じてくれれば、事態はもっと良い方向に向かうのになあ、と今回の読み比べで認識した次第である。

同じテーマを追いながら、2紙を比べるだけでもこれだけの差がある。やはり新聞は1紙だけに頼るとその1紙の色に染まってしまう。新聞はできるだけたくさんあったほうが民主主義にとって健全である。1紙だけを長く購読するのではなく、主要な新聞を半年ごとに交互購読するのがよい。ふとそんなことも感じた。

小島正美Masami Kojima

Profile
元毎日新聞社編集委員
1951年愛知県生まれ。愛知県立大学卒業後に毎日新聞社入社。松本支局などを経て、1986年から東京本社・生活報道部で食や健康問題に取り組む。2018年6月末で退社し、2021年3月まで「食生活ジャーナリストの会」代表を務めた。近著「みんなで考えるトリチウム水問題~風評と誤解への解決策」(エネルギーフォーラム)。小島正美ブログ「FOODNEWS ONLINE

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