原子力産業新聞

放射線を「特別なもの」にしないために

放射線の測定値を地図上に可視化するWEBアプリが、教育現場に新たな可能性をもたらしている。現場の制約の中で生まれたこの試みは、「測って終わる」実習をどのように変え得るのか。

愛媛大学 学術支援センター
医科学研究支援部門 特任講師

岩﨑智之 先生

2026.04.14

text:石井敬之

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1分でわかるサマリー

高校の放射線実習は、多くの場合、測定して数値を記録するところで終わってしまう。結果をどう読み、どう考えるかという時間は、必ずしも十分に確保されていない。こうした課題に対し岩﨑先生は、測定データを地図と連動させて可視化するWEBアプリを開発した。放射線の値を「点」ではなく「軌跡」として示すことで、「どこで、なぜ変化したのか」を考える学習へと転換を図る。

アプリは、モニタリングポストなどの公開データとも連携し、自分たちの測定結果を社会のデータと重ね合わせて理解することを可能にする。また、デジタル教育やSTEAM教育との接続により、放射線に関心のなかった層にもアプローチできる点が特徴だ。一方で、生成AIの活用が広がる中、岩﨑先生は「考える主体は人に残すべきだ」との立場をとる。自動化はあくまで手段であり、何を考えるのかを設計することが重要だという。

単発の授業にとどまらず、継続的な学びの必要性も含め、放射線教育のあり方を問い直す試みが、現場から始まっている。

GoogleMap上に重ねられた航空写真を拡大する。松山空港のターミナルビルだけ、ドットが真っ赤である。

「ここ、めっちゃ赤いんです。空港のここだけ」

愛媛大学学術支援センター医科学研究支援部門でRI実験施設とバイオインフォマティクス支援分野を担当する特任講師の岩﨑智之先生は、松山から東京へ向かった日の測定データを示した。手荷物検査を通過したわずかな時間、計測した線量を示すドットとグラフは、明確なピークを示す。

「なんでここ赤くなってるでしょう?って聞くと、みんな考えるんです。で、“手荷物検査だ!”ってなる。そしたら『手荷物検査の時に放射線を使ってるんです』、と話を展開できる」

放射線を“教える”のではない。身近な出来事と結びつけ、問いを生む。

さらに機体が離陸すると、もう一つの変化が現れる。グラフは一度だけ、がくんと下がるのだ。

「1回飛ぶとグッと下がるんですよね。これは大地の放射線を受けなくなるからです」

地表から離れれば、大地由来の影響は弱まる。しかし飛行機の高度が上がるにつれ、今度は宇宙線の影響で数値は再び上昇する。教科書に書かれている説明が、カラフルなドットとあるいは一本の線となって画面に現れる。このデータは、単なる数値ではない。位置と時間に結びついた“体験”である。

岩﨑先生が開発したWEBアプリは、放射線の測定値を数字の羅列としてではなく、行動の軌跡として可視化する。どこで変わったのか。なぜ変わったのか。問いは自然に立ち上がる。測定値は、答えではない。それは、考える時間への入口である。

「測って終わる」実習への違和感

岩﨑先生が放射線教育に関わり始めたのは、現在の立場になる以前からだった。だが当初は、主担当というよりも補助的な役割だったという。

「その頃は、そこまで強く意識していなかったんです」

転機は2017年前後、自身が中心となって授業を組み立てる立場になったときだった。

放射線の基礎を説明する座学。霧箱による飛跡の観察。測定器による線量の測定。──いずれも放射線教育では定着した実習であり、決して悪いものではない。霧箱は、目に見えない放射線を「見せる」強力な装置であり、生徒の記憶にも残る。

「霧箱は本当にいい実習なんです。関心を持ってもらうには、あれ以上のものはなかなかない」

しかし、問題はその後だった。

測定し、数値を書き留める。「どこが一番高かったですか?」 「ここです」——そこで時間が尽きる。

1コマ50分前後という授業時間の制約。片付けの時間。次の授業への移動。ときには「次が体育なので早く終わらせてください」と急かされることもある。そんな時は実質30分少々しかないという。

「研究者の立場からすると、結果が出てからが本番なんです」

なぜその値になったのか。理論値とどう違うのか。誤差はどこから来るのか。本来、科学の核心はそこにある。だが教育現場では、そこに十分な時間を割けない。

「やっただけで終わってしまうのは、もったいないなと」

怒りではない。失望でもない。むしろ、科学の魅力を十分に伝えきれていないことへの“もどかしさ”だった。さらに、放射線という題材には、もう一つ難しさがある。

「知識を学べばいいだけじゃないんですよね」

放射線は、物理現象であると同時に、原子力発電や事故、地域性、感情といった要素と結びつく。愛媛と福島では受け取り方が違う。原子力発電所の近くに住む人と、遠く離れた地域の人でも印象は変わる。だからこそ、単なる数値の理解では足りない。

「正しく判断できるようになってほしい」

しかしそのためには、まず“扱う”経験が必要だ。測定して終わるのではなく、測定結果を見て、考える。その時間を、どう確保するか。岩﨑先生のWEBアプリは、一つの答えだった。

数字を「軌跡」に変える——WEBアプリの設計思想

岩﨑先生が開発したWEBアプリの最大の特徴は、放射線の測定値を「点」ではなく「軌跡」として見せることにある。

従来の実習では、測定値は紙の上の数字だった。「0.08 μSv/h」「0.12 μSv/h」——その差を眺め、せいぜい高低を比較する。だが岩﨑は、その“点”を動かした。測定器とGPSを連動させ、位置情報と線量を同時に記録する。取得したデータは、地図上にプロットされる。歩いた軌跡が、そのまま色の濃淡として可視化される。

「どこが高かったですか?」ではなく、「どこで変わりましたか?」へ。視点が変わる。

橋の上では線量が下がる。古い土壌のある場所ではやや高い。建物の内部では変動がある。

「なんででしょう?」

問いは自然に生まれる。

さらにこのアプリは、単なるマッピングにとどまらない。APIを通じて、原子力規制庁のモニタリングポストの公開データを取得し、同一画面上で比較できる。地質情報とも重ね合わせられる。自分が測った値。公的に公開されている値。地質的背景。それらを一枚の画面で俯瞰できる。

「公開データと比べることができると、急に“社会とつながる”感じが出るんです」

放射線は、自分の足元だけの問題ではない。社会の中で測られ、管理され、公開されている。その構造を、体験として理解できる。

「自分で作る」ことの意味

このアプリは、市販の教育ソフトではない。岩﨑先生自身がコードを書き、試行錯誤しながら作り上げた。

もともとプログラミングの専門家ではなかった。RI施設の管理業務と、バイオインフォマティクス部門の担当という立場から、データ解析を学ぶ必要が生じた。

「せっかくなら、自分の教育研究と結びつけようと思った」

自らコードを書き、動かし、修正する。現場で使い、反応を見て、改良する。

「やりながらアップデートしていく感じですね」

この“自作”であることが重要だと岩﨑先生は言う。もしすべてを外部に委託していたら、あるいは生成AIに丸投げしていたら、教育現場の細かなニュアンスは反映されなかっただろう。

「自分で作らないと、結局ほしいものにならない」

教育と技術の接点に立ち、自分の手で橋を架ける。そこに、岩﨑先生なりの矜持がある。

データは「蓄積」される

岩﨑先生は、出張や旅行のたびに測定器を持ち歩く。松山から東京へ。ジェット機とプロペラ機の違い。橋を渡るときの変化。

データは蓄積されていく。

「みんなでデータを集めたら、日本地図みたいにできるかなと思って」

将来的には、複数校で取得したデータを統合し、広域的な放射線マップを作る構想もあるという。それは単なる教材を超え、参加型の科学教育へと発展する可能性を秘めている。

自動計算やグラフ化は、思考を奪うのではないか? その問いに対して、岩﨑先生はこう答える。

「目的次第ですね」

平均値の出し方を学ぶことが目的なら、計算を自動化すべきではない。だが放射線の特性を理解することが目的なら、計算部分は省略してもよい。重要なのは、何を考えてほしいのかを明確にすること。自動化は思考停止ではない。設計次第で、むしろ思考を促す装置になる。このバランス感覚こそ、岩﨑先生のアプリの本質である。

こうした仕組みは、技術的に見れば、より洗練された形で再構築することも可能だろう。より高機能に、よりスマートに。しかし重要なのは、完成度の高さではない。高校の授業という制約の中で、「測って終わらせない」ために、現場から立ち上げられたという事実そのものに価値がある。

アイデアは、現場の違和感から生まれた。データは、出張や移動の中で地道に蓄積された。改良は、授業の反応を見ながら繰り返された。最初に一歩を踏み出した者がいるからこそ、次の改良も、次の発展も生まれる。

このアプリの本質は、高度なプログラミング技術ではなく、「教育を変えたい」という意思の可視化なのである。

デジタル教育から放射線へ

岩﨑先生がICT活用に踏み出した背景には、教育環境の変化がある。GIGAスクール構想により、生徒一人に端末一台という環境が整備された。小学校低学年からタブレットを持ち歩く時代である。

「うちの子も、小学一年生のときから端末を持ってました」

宿題もタブレット。授業スケジュールも端末で管理する。“デジタルは特別なものではない”という感覚が、すでに子どもたちの側にはある。

「じゃあ、そこに放射線教育をどう乗せるか、ですよね」

岩﨑先生の発想は逆転している。放射線を学びたいからICTを使うのではない。デジタル教育に関心を持つ学校や教員に、放射線という題材を提示する。

「放射線に興味がある人だけに届けても、広がらない」

実際、放射線教育を希望する学校は限られている。受験科目でもなく、専門的知識も必要とされるため、教員側が躊躇することも少なくない。だが、データサイエンスや情報教育への関心は高い。

「デジタル教育をやりたい、というところから入ってもいいと思うんです」

例えば、校内を歩きながらデータを取得し、地図に可視化する。そのデータが“たまたま”放射線である。すると、生徒はまずデータ処理や可視化の面白さに触れる。その過程で、自然放射線や宇宙線、大地放射線といった概念に出会う。

「いつの間にか放射線をちょっと知ってもらえる、という広がりもあるかなと」

これは、放射線教育の“裾野”を広げる戦略でもある。

STEAMの中の「A」

近年、STEAM教育が重視されている。Science、Technology、Engineering、Arts、Mathematics。岩﨑先生の取り組みは、SやTだけではない。測定データを地図上に描き、軌跡として可視化する。そこには、視覚的なデザインや表現の要素も含まれる。

「アートって、融合の仕方次第ですよね」

データをどう見せるか。どんな色で示すか。どう説明するか。数字を“語れる形”に変換するプロセスは、単なる技術ではない。放射線というテーマは、物理現象であると同時に、社会的・文化的な文脈を持つ。だからこそ、STEAM的な横断が意味を持つ。

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「放射線は「入口」になり得るか」

放射線は「入口」になり得るか

岩﨑先生は、放射線を“特別なもの”にしたくないと言う。だが同時に、放射線は極めて特徴的な教材でもある。

  • 目に見えない現象を扱う
  • 日常生活と深く結びついている
  • 医療やエネルギーとも関係する
  • 感情や印象とも絡む

「知識を教えればいいだけじゃないところが、特殊かなと思います」

だからこそ、デジタルという別の入口から入ることに意味がある。放射線を前面に出すのではなく、データを扱う力を育てる中で、自然に触れさせる。この“回り道”は、結果としてより広い層に届く可能性を持つ。

岩﨑先生はこうも語る。

「本当は、興味がない人たちにこそ知ってもらいたい」

学びたい人は、自ら学ぶ。問題は、関心を持たない多数である。放射線に限らず、社会的なテーマは、関心の濃淡によって情報格差が生じる。デジタル教育との接続は、その格差を少しでも埋める試みでもある。

ICTは目的ではない。だが、入口にはなり得る。

生成AI時代の「線引き」——便利さと存在意義の間で

岩﨑先生のアプリは、データを扱う装置であると同時に、デジタル時代の教育を象徴する存在でもある。だからこそ避けて通れないのが、生成AIの問題だ。アプリ開発において、岩﨑はAIツールを補助的に活用している。コードを書いていると、次に来るべき記述を提案してくれる機能も使う。だが、それを全面的に任せることはしない。

「線引きをしている、という意識はあまりないんです」

そう前置きしたうえで、彼は続ける。

「全部お願いすれば、同じようなアプリは作れるかもしれない。でも、それをやる自分にメリットはないんですよね」

彼にとって、このアプリは単なる成果物ではない。プログラミングを学び、自分の教育観を形にする過程そのものに意味がある。

「自分で作らないと、ほしい形にはならない」

生成AIは便利な相談相手であり、効率化の道具ではある。だが最終的に何を選び、何を採用するかは人間の側にある。

「結局、選ぶのは自分ですから」

その言葉は、AI時代における人間の立ち位置を示唆している。

放射線とAIの共通点

大学の現場では、別の問題も起きている。学生が提出するレポートに、AIらしき文章が増えているという。

「なんとなくわかるんですよね。AIっぽいな、って」

流暢で整った文章。だが、どこか抽象的で、実感がない。

「これ、本当に理解して作成しているのかなって思っちゃう」

生成AIは、録音を文字起こしし、要約し、整った文章へと変換する。それ自体は否定すべきものではない。だが、それを“そのまま信じる”ことには危うさがある。

「AIの言ってることが絶対だ、みたいになってほしくない」

放射線に関するニュースが出たとき、AIに「これは危険ですか?」と問い、その答えをそのまま受け取る。そうした態度は、岩﨑先生の目指す教育とは相容れない。

放射線教育も、生成AIも、“見えないもの”を扱うという点で共通している。数値は目に見えるが、その意味は見えない。AIの答えも文章としては見えるが、その裏にあるプロセスは見えない。だからこそ、扱う力が必要だ。

「冷静に判断できる人になってほしい」

それは放射線に対してだけでなく、AIに対しても同じである。岩﨑先生のアプリは、単に放射線を可視化する装置ではない。ネットやAIの情報を“鵜呑みにしない”姿勢を育てる、静かな練習場でもある。

単発教育の限界と、継続という理想

「正直に言うと、授業を受けた生徒が学んだことを10年後まで覚えてくれているかは、自信ないです」

岩﨑先生はそう前置きする。高校での出前授業は、多くの場合一度きりだ。基礎を説明し、霧箱を見せ、測定を行い、まとめる。それだけでも意味はある。だが、それだけで十分だとは思っていない。

「単発教育は、きっかけ作りだと思ってます」

放射線に対する理解や判断力は、一度の体験では定着しない。むしろ印象として残るだけかもしれない。だからこそ岩﨑先生は、「継続」という言葉を繰り返す。

「一年に一回でもいいんです。少しずつでも学べる機会があれば」

高校一年生で基礎を学ぶ。二年生でデータを扱う。三年生で社会的な文脈を考える。段階的に積み重ねる設計があれば、理解は深まる。だが現実は厳しい。カリキュラムの制約、教員の負担、専門性の壁。放射線教育は、どうしても“特別なイベント”として扱われがちだ。

もし教え子たちが10年後、社会の中で放射線に関するニュースに触れたら。

「冷静に、判断できる人であってほしい」

例えば、原子力発電所に関する報道が出たとき。数値だけが切り取られ、不安を煽るような見出しが躍るとき。すぐに恐れるのでもなく、無関心になるのでもなく、自分で情報を引き、意味を考え、位置づける。それが理想だ。

だが岩﨑先生は、過度な期待を抱いていない。

「自分の授業一回で、そこまでいくとは思ってないです」

だからこそ、継続が必要だと考える。継続的な放射線教育を実現するには、制度的な支えが必要だ。評価の仕組み、予算、教員養成。それでも、岩﨑先生は大きな改革を声高に主張するわけではない。できることを、少しずつ積み上げる。

アプリを改良する。使い方のルールを整備する。協力者を探す。

「楽しくやってるだけなんですけどね」

その言葉は軽いが、実際には持続のための覚悟がにじむ。単発教育を超えて、放射線を“当たり前の学び”へ。その理想は、静かに、しかし確実に形になりつつある。

「面白いからやっている」

大学において、教育活動は必ずしも評価の中心には置かれない。研究論文の本数。外部資金の獲得額。研究実績。それらが可視化しやすい指標であるのに対し、教育の成果は測りにくい。

「理解されづらいところはありますね」

放射線教育の現場に出向き、学校と連携し、アプリを開発し、改良を重ねる。だがそれらは実績としては換算されにくい。また、外部での講義は“兼業”とみなされることもある。教育に時間を割くほど、本来の研究時間は削られる。

「理解されづらいところはありますね」

それでも、やめるという選択肢はなかった。

松山から東京へ向かう飛行機の中でも、測定器は動き続ける。出張先でも、橋の上でも、空港のロビーでも。データは蓄積される。

「楽しくなっちゃってるんです」

その言葉に、計算された戦略はない。あるのは純粋な好奇心と、現場で試したいという衝動だ。自分で作り、使い、直し、また使う。教育現場での反応を見ながら、少しずつ改良する。

「現場で使いながら、少しずつ更新していく」

派手なプロジェクトではない。だが、確実に積み上がっていく。岩﨑が繰り返し語るのは、放射線を特別扱いしないことだ。恐れる対象でもなく、神秘化する対象でもなく、日常の中にある一つの科学現象として捉える。

松山空港で跳ね上がった赤いピークも、離陸直後に一度下がるグラフも、橋の上でわずかに変わる数値も。それらは、驚くべき異常ではない。理解できる現象である。そして理解とは、知識の暗記ではなく、データを扱い、問いを立て、判断する力のことだ。

もう一度、あのグラフへ

松山空港の保安検査場を通過した瞬間、グラフが高く跳ね上がる。

その意味を知るかどうかで、世界の見え方は少しだけ変わる。測定値は、答えではない。それは、考える時間への入口である。

そしてその入口は、まだ限られた現場の中にとどまっている。データの蓄積、教育現場での実装、教材としての発展——それらを広げていくには、個人の取り組みだけでは難しい。

岩﨑先生は現在、この試みをともに育てる協力者や支援者を求めている。その入口がどこまで広がるかは、これからの関わり方に委ねられている。

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