2024年11月15日、女川2号機が発電を再開した日、当時保全部長だった女川原子力発電所の諸井睦(もろい・まこと)所長は事務棟の緊急対策室の大型モニターの前にいた。
安全対策工事を担当する保全部長として再稼働準備を指揮してきた立場でもあり、運転員が操作に集中できるよう中央制御室には入らなかった。画面越しに発電所の各種データの数字が動く様子を見守りながら、約14年ぶりとなる発電再開の瞬間を迎えた。
「自分のセクションの仲間が設置してきた設備がちゃんと動いて、発電再開できたという意味では、震災後14年ぶりということもあって非常に感慨深かった。若干、目元がうるうるときました。ただ、部下にその姿を見せないように必死に我慢していました」
長期停止を経て実現した再稼働。その舞台裏には、安全対策工事や組織運営、人材育成など、多くの課題を乗り越えてきた歩みがあった。
2026.08.20
「新築よりリフォームが難しかった」
諸井氏は1992年に東北電力へ入社。女川2号機建設にも携わり、これまで通算23年間を女川原子力発電所で過ごしてきた。
再稼働までの歩みを振り返り、「最も苦労したのは安全対策工事だった」と語る。
「建設の時は一から順序立てて、積み上げて工事を進められます。しかし今回は既に設備があり、さらに発電所内には原子燃料もある。その状態で既設設備に影響を与えず改造していかなければならなかった。そこが一番苦労しました」
工事計画認可の審査には約8年を要した。当初想定の2~3倍の期間が掛かってしまったという。
さらに女川2号機は、BWRとして国内初の再稼働という立場でもあり、先行事例が限られる中、一つひとつ課題への対応を積み重ねながら再稼働へとたどり着いた。
発電所全体で課題解決
長期停止後の再稼働は、運転、保全の担当部に限らず、発電所全体を巻き込むプロジェクトだった。
当時は保全部長としてプロジェクトに携わった諸井氏は、部門を超えた議論が重要だったと振り返る。再稼働に向けて設置されたプロジェクト会議には、管理職だけでなく、担当者も参加。部長以下のメンバーが自由に議論し、発電所として最適な答えを出す——あえて所長は参加しない形で運営されたこの会議が課題解決策の提案の場となり、最終判断を所長に仰ぐプロセスを構築した。
技術継承と人材育成
女川2号機は2026年1月から再稼働後初となる定期事業者検査を実施し、5月11日に原子炉を起動。発電所は、いま運転と定事検を繰り返す通常サイクルへ戻りつつある。
一方で、14年間の停止期間による世代交代も進んだ。
諸井所長によると、再稼働時点で発電所員の約4割が運転未経験者だった。
東北電力は米国のエドウィン・I・ハッチ原子力発電所(BWR、90万kW級×2基)での研修や国内の他社原子力発電所および自社火力発電所での実機研修に加え、STA(シフトテクニカルアドバイザー)制度を導入した。
燃料装荷段階から再稼働後の定期事業者検査までの約1年間、過去に発電課長を経験したベテランを各直に3交代で配置。運転員の動きを俯瞰的に確認しながら助言や相談対応を行い、運転員を支援したという。
「過去の経験を継承することと、新しい知見を取り入れてさらに安全性を高めること。この二つを並行して進めていくフェーズだと理解しています」
自然に愚直に向き合う
女川原子力発電所では震災後、全長800メートルにわたる海抜29メートルの防潮堤を整備した。基準津波が23.1メートルに確定する前の段階から、「技術的に可能な限り高い防潮堤を」との方針を決めていたという。
東日本大震災でも、敷地高さを十分に確保していたことが津波から重要設備を守ることにつながった。諸井氏は、自然環境や新たな知見の変化を踏まえ、安全対策を継続的に見直していく姿勢が重要だと強調する。
再稼働を果たしてから1年半余り。大きな目標を達成した発電所の現在地について尋ねた。
「再稼働したらロスが起きるかと若干心配したけれど、やはり電気を作っているということで、地域社会に貢献できていることがモチベーションになっている。元気は変わらないですね」
※所属・役職は5月取材時のものです









