原子力産業新聞

2025.12.10

text:石井敬之

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科学を媒介として社会と対話する――Nプロジェクトは、その理念を掲げて発足した、教育手法の開発を主目的とした研究活動である。大阪高校を拠点として、高校生が主体的に科学を学び、その内容を地域社会に伝えることを通じて、双方向のコミュニケーションを育む点に独自性がある。

12月5日、大阪高校において次週の出前授業(12月15日・19日)に向けた事前説明会が開催され、参加する高校生らが授業計画の共有と準備を進めた。今回の対象校は、佐竹台小学校、千里たけみ小学校、桃山台小学校の3校である。いずれも吹田市・千里ニュータウンに位置し、地域理解や教育活動の積極的な協力姿勢で知られる。佐竹台小学校では3年生から6年生までの約520名を対象に体育館イベントが実施され、在大阪・神戸米国総領事館との共同プログラム「日米クイズ」も行われる予定である。国際的な教育協働としても注目度が高い。

Nプロジェクトは「インプット」と「アウトプット」を往復する学習設計を特徴とする。研究者が科学的テーマをクイズや実演を交えて楽しく伝える“インプット”を経て、高校生が小学校や町の憩いの場など、街中で学んだ内容を伝える“アウトプット”へと循環させていく。この過程で高校生は主体的な理解を深め、他者と関わりながら科学を言葉にしていく力を身につける。

事前説明会では、中村秀仁助教(京都大学)から授業設計の根幹が改めて共有された。「スケッチブックを用いた説明」はNプロの象徴的手法であり、高校生が自分の言葉と視覚的デザインで科学を再構成する点に価値がある。また、今回は気象教育の工作として必須となる「風向計づくり」について、ストローの長さや穴位置など、前回授業で生じた課題を踏まえた詳細な改善点が説明された。全班で“同じ形状”の風向計を完成させることが、授業品質の均衡確保のための重要な条件となる。

高校生にとって最も負荷が高くなるのは12月15日の佐竹台小学校である。9時20分からの体育館イベント「日米クイズ」終了後、各クラスに分かれた瞬間から、高校生が40分間の授業を担う設計となったため、これまで中村助教が行っていた「導入のウォーミングアップ」が存在しない。初動の10分でクラス全体を惹きつけなければならず、班長・副班長は特に入念な準備を求められている。

大阪高校でNプロを取りまとめている宮本聡教諭は高校生たちに、「10分の授業をまかされるのであれば、倍の20分の授業をやる準備が必要である」と繰り返し強調した。予期せぬ反応が返ってきたときに柔軟に展開を変えられるよう、さまざまなクイズや話題を用意せよとの、プロ教師からの助言である。また、授業中のスマートフォン利用については「調べるための操作」であっても、外部から“遊んでいる”ように見えかねないため、極力避けるべきと注意があった。現場は教育の場であると同時に、地域住民からの視線にさらされる公開の場であることを高校生に自覚させたかたちだ。

宮本教諭

高校生はなぜ変わるのか——Nプロが生む“意識の変容”

今回の事前説明会で印象的だったのは、参加する高校生の意識の高さである。学期末試験期間中にもかかわらず多くの生徒が集まり、班ごとのグループワークや連絡体制の整備が手際よく進んだ。中村助教が語る「高校生が自ら動くプロジェクト」であることが、現場の空気からも強く感じられた。

Nプロでは、「高校生が小学生に教える」という構造が大きな転換点となる。学習の成果を他者に伝えることは、単なる知識獲得以上の負荷を伴い、理解の質を高めると同時に、主体性や責任感を育む。この“伝える学習”により、多くの高校生が自信をつけ、表情や行動が変わっていく過程がこれまでの授業でも数多く観察されてきた。

前回の津雲台小学校での授業後には、「スケッチブックに工夫を凝らして紙芝居に仕上げた班が児童の心をつかみ、教員が涙した」との声も寄せられた。高校生が工夫し、児童が理解し、教員が感動し、研究者が注目する——Nプロは多層的な学びの連鎖を生み出している。

大阪高校の特徴も、Nプロの効果をより際立たせている。2000人規模の大規模校であり、約7割が文系である点は、一般的には科学教育の浸透に不利と見られる傾向がある。しかし、放射線や気象といったテーマを「ゼロスタート」で学ぶことから、先入観や事前知識の差がなく、生徒間の“学びの平地化”が生まれやすい。これは学習心理学的に非常に重要な条件であり、進学校やSSH(スーパーサイエンスハイスクール)とは異なる教育価値を持つ。

“高校生の意識変容”を科学的に捉えるために

原子力安全システム研究所(INSS)は、原子力の「社会的理解」を扱う稀有な社会科学系研究部門を有する。2025年10月、INSSとNプロジェクトは共同研究契約を締結した。この共同研究は、中村助教とINSSが、STEAM教育の観点からNプロが示す”高校生の急激な成長”の背景を科学的に解明することを目的としており、教育実践と研究の融合を目指すものだ。

INSSの浅妻一彦主任研究員は次のように語る。

「放射線のようなセンシティブなテーマを、高校生が自ら学び、自分の言葉で伝える姿に強い価値を感じた。若い人の発信は、大人の受容性を高める力がある。彼らが褒められたり、悔しさを感じたりしながら成長していく心理の過程を、データと併せて捉えたい。」

INSSは12月5日の事前説明会で、初回アンケートを実施した。班長・副班長は既にスケッチブックの構成力を身につけているが、初参加者は“ゼロ”から出発する。この差分が、次回以降どのように変化するかを追跡する計画である。

研究設計は段階的に進められる。まずは高校生へのアンケートとインタビューから開始し、次に高校生を見守る関係者へと対象を拡⼤することも視野に入れている。すでに「家庭での会話が増えた」「子どもの表情が変わった」などの反応が寄せられており、学校内・外で⽣じる変化を可視化する上で重要な視点となる。

さらに浅妻氏は「教える経験によって自己肯定感が高まるのではないか」とし、その達成感の度合いを測定する設計が現在進行中であると語った。高校生が小学生に教えるというNプロ独自の構造は、意識変容を最も強く引き起こす教育モデルとして位置づけられている。中村助教とINSSの共同研究は、科学(Science)・技術(Technology)・工学(Engineering)・芸術(Arts)・数学(Mathematics)を統合したSTEAM教育の実践として、高校生が科学的知識を獲得し、それを創造的に表現・伝達する過程における意識変容を多角的に分析する点に特徴がある。

研究フィールドとしての千里ニュータウン——地域全体で学びを支える

Nプロを語る上で欠かせないのが、千里ニュータウンという“地域の教育文化”である。自治会の連携力が高く、PTA、市議会議員、府議会議員との距離も近い。地域社会が教育活動を積極的に支える構造が、Nプロの成功を後押ししている。

佐竹台・千里たけみ・桃山台・津雲台小学校では、Nプロへの協力体制が厚く、児童の反応だけでなく、教員の満足度も非常に高い。こうした地域の共感・支持は、意識変容研究において極めて重要な“外部要因”である。

科学を学ぶ高校生、その説明を受け取る小学生、周囲で見守る教員、支える保護者、高校所在周辺自治区、米国総領事館—— こうした多層なステークホルダーがひとつの教育プロジェクトに結集する例は全国的にも稀であり、社会科学的に非常に興味深い研究データとなり得る。

12月15日・19日の現場授業では、高校生の振る舞い、小学生の理解プロセス、地域側の反応など、研究に有用な“生きたデータ”が得られることが期待されている。

浅妻一彦氏(INSS 社会システム研究所)に聞く

—— NプロジェクトとINSSが共同研究契約を結んだと伺いました。そもそもの背景を教えていただけますか。

浅妻氏:我々INSSは、原子力について「科学技術的側面」と「社会的側面」の二軸で研究を行っています。後者の社会的側面の研究として、若い世代にエネルギーや原子力をよりよく理解していただく取り組みを支援したいという思いがありました。今年(2025年)の夏に中村先生とお会いして、Nプロジェクトが、高校生が主体的に学んだことを社会へ発信する点で非常に素晴らしい取り組みであることが分かりました。INSSとしてお手伝いできることがあるのではと考え、共同研究に取り組むこととなりました。

浅妻氏

—— なぜ高校生の意識変容に注目されたのでしょうか。

浅妻氏:放射線や気象という科学的なテーマに、文系・理系かかわらず高校生が主体的に向き合い、自分の言葉で社会に発信すること自体が極めて価値があることです。若者が発信すると、周囲も耳を傾けやすくなります。このことはこれまでのNプロの活動でも実証されています。

また、高校生は学ぶ中で「褒められる」「悔しい思いをする」など心理的変化を経験します。その成長の過程も、心理とデータの両面から捉えたいと考えています。

原子力という言葉には抵抗が生まれやすいですが、一方で放射線教育は学習指導要領でも正式に位置づけられており、文科省による副読本も整備されています。そのため、科学として極めて自然に扱える”入口”となります。放射線 → 科学理解 → 発電所見学 という”橋渡し”が自然にできるのです。

—— 大阪高校の生徒さんを、研究対象として選ばれた理由は何でしょうか。

浅妻氏:大阪高校は生徒数が2000人の大規模校です。Nプロジェクトを校務分掌に位置付けるほど注力しており、興味深いデータが得られるのではないかと考えました。

—— 今回実施されたアンケート調査で、特に注目されている点はありますか。

浅妻氏:今回の初回アンケートでは、Nプロへの初参加者に注目しています。経験者であればすでに「説明のストーリー」を持っていますが、ゼロスタートする初参加者が、回数を重ねるにつれて、説明力、会話力、自己肯定感——これらがどのように変化するかを分析したいですね。意識変容の要素になりますから。

—— 「高校生が小学生に教える」というNプロの構造が、意識変容にどのような影響を与えるとお考えですか。

浅妻氏:人に教える経験は、相手が理解したとき大きな達成感として返ってきます。

この達成感は「自己肯定感」と深く関連して、Nプロで最も強く意識変容を引き起こす要素ではないかと見ています。今回の研究では、この達成感をどのように測定可能な指標として扱うかを設計しているところです。

—— 最後に、今後の展望をお聞かせください。

浅妻氏:INSSとしては、中立的な立場から科学的データを集め、教育と社会の接点を分析することを目的としてNプロジェクトを観察し、生徒さんの成長と心理の変化を捉えていきたいです。

期末試験直前にも関わらず集まったのは、15日および19日の小学校授業に参加する80名。Nプロのメンバー全員が揃うと「講堂じゃないと入りきれません」と中村助教。

教育と研究が融合する“日本初のモデル”へ

NプロジェクトとINSSの共同研究は、単なる教育実践にとどまらず、「高校生はどのように学び、社会とつながり、成長するのか」という普遍的な問いに迫るものである。

STEAM教育の実践として、科学教育・社会心理・地域コミュニティ研究が交差するこのプロジェクトは、他校展開の可能性も含めて全国的な注目を集めている。高校生が科学を学び、創造的に表現し、小学生に伝え、その結果として自ら変わっていく。その変化を社会が受け止める。この”循環する学び”の構造を、研究機関が科学的に解析する意義は大きい。中村助教とINSSの共同研究は、STEAM教育の観点から、知識の獲得だけでなく、それを他者に伝える創造性と対話力を育む教育モデルの有効性を実証することを目指している。

12月15日からの小学校授業では、再び新しい”変化”が生まれるだろう。Nプロが大阪高校から全国へ、そして研究領域へと広がっていく過程を、今後も丁寧に追い続けたい。

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世代をつなぐ科学のバトン
――津雲台小学校に広がるNプロジェクトの挑戦

10月22日、吹田市立津雲台小学校の教室に、にぎやかな声が響いていた。スケッチブックを手に笑顔で立つのは、教師でも科学者でもなく、高校生たちである。京都大学の中村秀仁助教が主導する「Nプロジェクト」は、科学を"教わる"から"伝える"へと転換する学びの実践として、万博での発信を経て地域の教育現場へと広がっている。この日は「放射線」をテーマに、55名の高校生が小学生たちに科学の面白さを伝える特別授業を行った。

「科学を共通言語にした対話型学習」の新展開
文科省で記者会見

「Nプロジェクト」は、2025年10月2日、文部科学省にて重要な記者会見を開催した。科学を「共通言語」として位置づけ、高校生が小学生や地域社会と対話する新たな学習モデルの実践報告と、初の公立小学校への展開(4校、50クラス、計1704名)が発表されたのだ。この記者会見は、Nプロジェクトが3年間の実践を通じて構築した「インプット・アウトプット循環型学習」の成果を社会に示し、従来の科学教育の枠を超えた新しい可能性を示す重要な節目となった。

真夏の万博に 科学の声が響いた

8月の大阪・関西万博会場。スケッチブックを手にした高校生たちが、来場者に笑顔で話しかける姿があった。テーマは「放射線」。人々が避けがちなテーマを、彼らはわかりやすい言葉と身振りで伝えていく。京都大学の中村秀仁助教を中心に展開される「Nプロジェクト」は、科学を“学ぶ”から“語り合う”へと変える教育活動。その理念が、この夏、国際舞台で現実のものとなった。

三菱重工神戸造船所の現場で原子力を学ぶ
——「安全」と「迫力」を同時に体得する一日

大阪府立千里高等学校の生徒たちがこの夏、Nプロジェクトの一環として神戸市の三菱重工業 神戸造船所を訪れた。キックオフ授業に続く第二弾は、原子力産業の「現場」を歩き、耳で聞き、手で確かめる見学会である。

公立SSH校で初の「Nプロ」始動
千里高校キックオフ授業ルポ

2025年7月、大阪府立千里高等学校で、公立SSH校としては初めてとなる「Nプロジェクト」が始動した。京都大学・中村秀仁助教の指導のもと、生徒たちは放射線をテーマに、科学を学ぶだけでなく、それを自分の言葉で社会に伝える力を養う。クイズ形式の双方向型授業で知識を深めた後、冬には大阪の商業施設で、市民向けプレゼンテーションに挑む。科学を通じて社会と対話する――STEAM教育の実践例として注目される、千里高校の取り組みの現場をルポする。

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