キーワード:コロナ
-
病院はなぜ攻撃されるのか
天災は忘れたころにやってくる。そんな格言を実感する年明けとなってしまいました。被災された方々に心よりお見舞い申し上げるとともに、これからの復興を祈念しております。災害の急性期には、しばしば現地で活躍する医療者の姿が報道されます。道路の啓開やレスキューと同じく、医療者は被災地における大切なプレーヤーです。しかし、医療者がどんな被災地でも両手離しで歓迎されるわけではありません。たとえば外国人の医療行為に不信を抱いたり、あるいは医療行為自体が敵対行為とみなされる場面もあるからです。紛争地における医療施設への攻撃はその一例といえるでしょう。被災地医療のリスク昨年パレスチナのガザ地区で病院が爆撃される事件が起き、日本でも大きく報道されました。「戦時中でも病院は攻撃されないもの」と信じていた方々にとっては、衝撃的だったかもしれません。実は紛争時の医療施設への攻撃は、決して珍しい事態ではありません。2016年に国連安全保障理事会は「紛争下の医療従事者及び医療施設の保護に関する決議第2286号」において、戦争中にも医療施設への攻撃を控えるようあらためて呼びかけています((Security Council Adopts Resolution 2286 (2016), Strongly Condemning Attacks against Medical Facilities, Personnel in Conflict Situations))。しかしその後も医療施設の被害は増加し、2022年には世界中の紛争地で704の医療施設が破壊され、少なくとも232名の医療者が死亡、600名が拉致されました((Targeting health care in conflict: the need to end impunity))。むしろ近年、病院への攻撃は戦略として常態化しているとすら言えるでしょう。病院攻撃の例外規定「病院への攻撃は、いかなる場合においても人道的に許されない」そう考える方も多いでしょう。実際に国際人道法(International Humanitarian Law, IHL)では、「病院を含む医療組織を攻撃してはならない」と定められています((The protection of hospitals during armed conflicts: What the law says))。ただしこの法にはほかの法と同様、例外規定があります。それはその医療施設や組織が「敵に対して有害な行為を働いたとき(act harmful to the enemy)」です。これはどういう状況でしょうか。分かりやすい例では、赤十字の車両に偽装して武器を運搬する、軍事基地のすぐそばに病院を作って基地を攻撃できなくする(いわゆる「人の盾」)、病院に軍備を蓄える、などがそれにあたります。ガザ地区の事件でも、イスラエル側はこの病院に大量の武器が備えられていたことを示し、攻撃を正当化する理由としています。IHLでは自衛や警護のために病院が軽量の武器で武装することはact harmful to the enemyに当たらない、としています。しかし、自衛のための武器と敵を攻撃するための武器は区別できるのでしょうか。あるいは救急車両に武器が積まれていないことを、一つ一つ確認できるでしょうか。そう考えれば、「病院を攻撃しない」というルールは、「医療関係者全員が紛争の際、決してどちらにも加担しない」という強力なモラルと、そのような医療者への「信頼」があって初めて成り立つ、非常に危うい決まり事である、ということが分かります。逆に敵を攻撃する意思のある医療者や医療施設が1例でも存在すれば、すべての医療施設の信頼が揺らぎ、容易に攻撃対象となってしまうのです。突き詰めて言えば、紛争時に医療者がどちらかを擁護する政治的発言をすること自体が、紛争地の医療を脅かしかねない、ということになるでしょう。医療者は政治を語れるのかこのような医療者の中立の重要性は、戦時中でなくとも変わりません。たとえばコロナ禍では「ワクチン派」「反ワクチン派」のような二極化が起こり、多くの医療者がこの議論に巻き込まれました。医療の知識がある者が議論に参加すること自体は必要であったと思います。問題は、その議論を医療行為や政治的発信に反映させる方が少なからずいたことです。極端な例では「ワクチン接種者は受診お断り」「ワクチン非接種者は入所させない」などの対応をした施設もありました。このような施設の事情も理解できないわけではありません。しかし医療者が積極的に区別を行うことが、一歩間違えば医療全体への信頼を揺らがせ、時に医療者への攻撃を生みかねないことは、我々医療者が常に自問自答すべき点だと思います。災害時や紛争時にも、時に医学的見地から政治への情報提供を行うことが必要です。また有識者として、あるいは社会的責任感から、政治的な意見を発信する人もあるかもしれません。しかし医療の公正を保つためには「医学的判断」と「政治的発信」は、決して同じ場で語ってはならない、と思います。政治論争の際、医療者は安易に一方に加担しない。そのような矜持は平時より醸成する必要があるのではないでしょうか。科学への「他山の石」そしてこのような状況は、ライフラインの維持・供給を担う方々にとっても決して他人事ではありません。たとえば電力関係者は、有事に「敵にだけ電力を供給しない」ことが可能です。その関係者の一部でも、ある政治派閥に常日頃から加担する気配があれば、それだけで関係者全員が敵対する派閥からの攻撃対象とされ得る。このことは、福島の原子力災害後にも時折見られたことです。「反原発・親原発」という政治論争に巻き込まれやすい分野の方々にとっても、紛争地における病院攻撃という社会問題が「他山の石」となればよいな、と思っています。
- 21 Feb 2024
- COLUMN
-
自由の格差
2020年から始まったコロナ禍と、福島の原子力災害。2つの災害に共通する点は何か、と考えた時、真っ先に思い浮かぶのが、社会の不安や分断を煽る情報の流布、所謂「インフォデミック」の存在です。偏った報道、偏った情報に社会が振り回されるたび、報道やSNSの在り方やメディアリテラシーの低さを批判する声が数多上がりました。しかしその批判の声は、具体的解決策を示せないまま、災害の収束と共に縮小してしまっているように見えます。しかしインフォデミックの芽は、平時にこそ摘んでいく必要があるのではないでしょうか。悪者を攻撃する社会抑止力こそがメディアの役割である。そう考える人は少なくありません。メディアの生む勧善懲悪的なストーリーが社会を安心させることもあるでしょう。しかし分かりやすい悪を断罪する報道は一方で、一部の人々の声を奪い、自由の格差を生んでいるように見えます。ハラスメント報道は自由を生んだのか最近虐待やいじめ、ハラスメントに関する報道をよく目にするようになりました。コロナ禍が明け、人流の回復と共に密室化していた問題が白日の下に晒されるようになったのかもしれませんし、リモートワークが加害者と被害者を物理的に隔離することで、被害者の精神的安全を確保できたためかもしれません。このような報道にはもちろん良い側面もあります。ここ20年ほどの報道のお蔭で、飲み会への出席を強要されたり結婚や女性らしさについて説教を受けたり、という場面は近年激減しました。これは報道による社会抑止力の賜物とも言えるでしょう。では種々のハラスメントが抑止された分、若者や弱者は生きやすくなったのでしょうか。周囲を見ていると、私生活の自由度が増したな、と感じる一方で、見ていて辛くなるほど世間を気にする若い方もまた、増えているように思われます。なぜ差別やハラスメントが取り締まられても若者は自由にならないのか。私はその一因が、取り締まりや報道自体が未だ強権的手段を行使していることにあるのでは、と感じています。強権的報道という矛盾ハラスメントや虐待の「加害者」として俎上に上げられる人々が、身近にいる上司や同僚、あるいは自分自身とよく似た立場の人だった。私と同年代やそれ以上の方々の中には、そんな経験をした方は少なからずいるのではないでしょうか。実際に、報道でみるほとんどの加害者は、私の目には「どこにでもいる人」のように映ります。しかし「立場上理解できる部分もある」という感想は決して口にすることは許されません。少しでも加害者の肩を持った発言をすれば、加害者の一味として自分も即断罪されてしまうからです。空気を読んで口を噤む。私たちはそんな世界を日常として生きています。もちろん「形だけでも口を噤むべし」という社会的抑止力が、ハラスメントを減少させてきたこと自体は否定しません。問題は、その抑止力自体が強権的性質をもっていることを自覚せず、正義の鉄拳がふるわれてしまうことです。厚生労働省が定義するパワーハラスメント(パワハラ)の分類には、「精神的な攻撃」「人間関係からの切り離し」という項目があります。個人へを断罪し、それに味方する人ごと社会から抹消しようとするような一部の報道の在り方は、まさにこれに当てはまるのではないでしょうか。繰り返しになりますが、ハラスメント自体を肯定・許容しているわけではありません。しかし、個人の犯した社会的問題の根底には、必ずといっていいほど、システムエラーが常に存在します。そしてシステムエラーは罰則や啓蒙だけでは回避できません。出てきた杭だけを叩く一面的で一方的な報道は、そのようなエラーの温床をあえて見過ごしているように見えます。加害者と被害者の悪循環医療の現場も、20年前頃までは女性蔑視や過労の強要が日常的な職場でした。しかし今振り返ると、当時の加害者側の人々こそが、診療やカウセリングを受けるべき被害者だったのではないか、と思えることがあります。過労や極度の睡眠不足により精神の不調を来していた人、あるいは初期の脳血管障害や認知症を呈していたと思われる人…思い返せばそんな方もいたからです。また「空気を読む」ことを強要された職員が、過去を踏襲した結果、パワハラで訴えられた事例、「ハラスメント教育」と声にすら出せない組織の中で、教育不足により起きた事例など、むしろ時代の被害者と言える方もいたのではないか、と思っています。しかし私にとって、こういった同情的な発言をすること自体が、非常な恐怖を伴う行為です。この発言によって、いつ何時「犯罪擁護者」と社会的に叩かれるかも分からないからです。罰を恐れて「あちら側の人間」への理解を示すことが許されない──その恐怖心は、強権的な上司に怯えていた時の恐怖に酷似しています。誰が口をつぐむのか弱者の代弁者としての報道の重要性は、論を待ちません。これまで声を上げられなかった弱者にとって、暴露記事が救世主になったことも多々あるでしょう。しかし一方で、監視社会はむしろ弱者を黙らせてしまう、という側面も忘れてはいけないと思います。多くの社会的抑止力は、将来が未確定で、かつ「空気を読める」世代にこそ強く作用してしまうからです。将来自分が責任ある立場になったら、一つのミスで社会的に抹消されるかもしれない。その認識は、生まれた時から大量のメディア情報に暴露されて育った若い世代にこそ根強く浸透しています。彼らは狭い世界で安穏としているのではなく、むしろ色々なものが見えているからこそ、未来を見据えて口をつぐんでいるのではないでしょうか。つまり弱者を代弁しているつもりの勧善懲悪的報道が、一方で若者や弱者に「周りに合わせて空気を読む」ことを強要する文化を植え付けているのです。反対に、監視による抑止力は、ハラスメントを自覚すらしていない方や、社会的地位を十分に確保した「逃げ切り体制」の方々への抑止力にはなりません。自由な発言が許されるそのような「特権階級」が、それを自覚せずに「若者は冒険をしなくなった」「若者は発言をしなくなった」と嘆いていたとしたら──と考えると、釈然としないものを感じてしまいます。負の文化遺産の回収をもちろん若い世代が声を上げない理由はそれだけではないでしょう。高齢化に伴い声高な年長者が増え、常に言い負かされてしまうこと。見通しの立たない不況により自己や自国への肯定感が低くなったこと。SNSの浸透により一億総監視社会に陥っていること…これまでに書かれてきたものだけでも列挙すればきりがありません。重要な点は、それらが全て、私やその上の世代が無意識に作り上げてきた「負の遺産」である、ということです。勝ち組目線からの報道や発信は、そのような負の文化遺産の一つである、と私は感じています。原子力災害やコロナ禍で、私たちは集団で悪を叩くことの危うさを、繰り返し学んできました。目の前の加害者を攻撃することで、むしろ弱い人々が傷つけられてしまう。あるいは穏やかで良心的な方々が口をつぐむ結果、偏った過激な発言が横行してしまう。その学びは、平時に負の遺産を払拭する、一つの足掛かりになるのではないでしょうか。有事からの些細な学びではありますが、私たちが取りこぼしてきた負の遺産を少しずつでも回収するため、今、ここから何かを始める糧にならないか。平時の報道を見ながら、そう感じています。
- 27 Nov 2023
- COLUMN
-
原油は再びインフレの要因となるのか?
(原油市況アップデート)イスラム教過激派組織ハマスによるイスラエルへの攻撃以前より、原油価格が不安定化している。直接の切っ掛けは、9月5日、サウジアラビアが7月から継続している日量100万バレルの自主減産について、同じく30万バレルを減産しているロシアと共に年末まで延長する方針を発表したことだった。両国の連携が継続しているのは、西側諸国、特に米国にとっては頭の痛い問題だろう。ロシア大統領府は、翌6日、ウラジミール・プーチン大統領がサウジアラビアのムハンマド・ビン・サルマン皇太子と電話で会談、エネルギー市場の安定で同意したと発表した。なお、この自主減産の幅は、OPEC+で設定された生産枠が基準になっている。OPEC+は、OPEC加盟13か国と非OPECの有力産油国10か国の協議体だが、生産調整を行っているのはOPEC加盟国のうちイラン、リビア、ベネズエラの3か国を除く20か国である。2022年における当該20か国の原油生産量は日量4,420万バレル、世界シェアは60.5%に達していた。今年6月4日に開催された第35回閣僚会合では、2024年の生産量を日量4,043万バレルと決めたのだが、このうちの50.2%をOPECの盟主であるサウジアラビアと非OPEC最大の産油国であるロシアが占めている(図表1)。ロシアによるウクライナ侵攻以降、事実上、サウジアラビアがこの枠組みの主導権を握った。結果論になるが、米国の中東政策の失敗がサウジアラビアをOPEC+重視へ走らせたと言っても過言ではない。 シェール革命は親米サウジアラビアを反米に変えたOPEC+の実質的な初会合は2016年12月10日に開催された。同年11月30日、OPECはウィーンの本部で総会を開き、8年ぶりに日量120万バレルの協調減産で合意したのだが、同時に非OPECの主要産油国を含めて協議を行う方針を決めたのである。2019年7月2日の第6回閣僚会合において、共同閣僚監視委員会(JMMC)の設置が決まり、OPEC+は実質的に常設の協議体になった。背景にあったのは、米国におけるシェールオイル・ガスの急速な供給拡大だ。2010年に548万バレルだった同国の産油量は、2016年に885万バレルへと増加した。バラク・オバマ大統領(当時)は、2014年1月28日の一般教書演説において、「数年前に私が表明した全てのエネルギー戦略が機能し、今日、米国は過去数十年間よりもエネルギーの自立に近付いている」とシェール革命を自らの業績として誇っている。しかしながら、この米国の急速な生産拡大により世界の石油の需給関係が大きく崩れ、2014年6月に107ドル/バレル だった原油価格は、2016年2月11日に26ドルへと下落した(図表2)。『逆オイルショック』に他ならない。経済の多くを原油に依存していた有力産油国にとり、非常に厳しい事態に陥った。これを契機として、OPEC+は生産量の管理に乗り出したのだ。言い方を変えれば、OPEC+はシェール革命に沸く米国に対抗する既存有力産油国の苦肉の策だったわけである。逆オイルショックでシェールオイルも減産を余儀なくされた。しかしながら、価格の復調とともに生産は再拡大、2019年の米国の産油量は1,232万バレルに達し、サウジアラビア、ロシアを抜いて世界最大の産油国になったのである。その直後に世界に襲い掛かったのが新型コロナ禍だ。急速な需要の落ち込みに直面して、OPEC+は米国に協調減産を迫ったものの、2020年4月10日、復活祭の会見に臨んだドナルド・トランプ大統領(当時)は、「米国は市場経済だ。そして、石油市況は市場により決まる」と語り、米国政府主導の減産を実質的に拒絶した。シェール革命以降のサウジアラビアの産油量を見ると、米国の生産拡大に応じて減産を行い、国際的な原油市況を支えようとしてきた意図が透けて見える(図表3)。サウジアラビアの指導者層の対米感情は、この一連の米国の動きを受け大きく悪化しただろう。さらに、2018年10月2日、サウジアラビア人ジャーナリストであるジャマル・カショギ氏がトルコのサウジアラビア領事館内で殺害されたとされる事件では、トランプ大統領、その後任であるジョー・バイデン大統領が共に殺人を教唆したとしてムハンマド皇太子を厳しく批判した。この件は、サウジアラビアの最高実力者となった同皇太子の対米観に大きな影響を与えたと言われている。新型コロナ禍から経済が正常化する過程での原油価格の急騰を受け、昨年7月15日、サウジアラビアを訪問したバイデン大統領はムハンマド皇太子と会談した。この会談は友好的に進んだと伝えられるものの、8月3日、OPEC+が決めたのは日量10万バレルの増産に過ぎない。当時、国内のシェール開発を促す上で、米国も原油価格の急落は望んでおらず、バイデン大統領が了解した上での小幅増産の可能性があると考えていた。しかしながら、その後の経緯を見ると、サウジアラビアの頑なな姿勢は、長年に亘る友好関係をシェール革命でぶち壊しにした米国に対する静かな怒りの表明だったのではないか。 OPEC+が狙う原油のジリ高現下の米国が抱える問題の1つは、そのシェール革命が行き詰まりの兆候を見せていることだ。新型コロナ禍の下で日量970万バレルへと落ち込んでいた米国の産油量は、今年8月に入って1,290万バレルまで回復してきた。これは、新型コロナ感染第1波が米国を直撃し始めていた2020年3月下旬以来の水準である。ただし、稼働中のリグ数は、当時の624基に対して、足下は512基にとどまっている(図表4)。地球温暖化抑止を重視するバイデン政権の環境政策に加え、既に有望な鉱床の開発が峠を越え、米国においてシェールオイルの大幅な増産は難しくなっているのだろう。サウジアラビアなど既存の有力産油国は、そうした状況を待っていたのかもしれない。主要国、新興国の多くが2050年、もしくは2060年までにカーボンニュートラルの達成を目指すなか、探査と採掘に莫大なコストを要する石油開発への投資は先細りが予想される。一方、需要国側が直ぐに化石燃料の使用を止めることはできない。つまり、これから10~20年間程度は、供給側が市場をコントロールできる可能性が高いのである。主要産油国にとり石油で利益を挙げる最後のチャンスなので、安売りは避けたいだろう。もっとも、価格が高くなり過ぎれば、需要国側において脱化石燃料化への移行が加速するため、急上昇は避けると予想される。そうしたなか、当面の原油市況に対する最も大きな不透明要因は、緊迫するパレスチナ情勢と共に、世界の需要の16%程度を占める中国である。OPECは、8月の『月間石油市場レポート』において、2023年後半の中国経済の成長率を5%程度と想定、原油需要を7‐9月期が前年同期比4.9%、10-12月期は3.8%と想定している(図表5)。また、世界全体では、7-9月期2.5%、10-12月期3.8%と緩やかな伸びを見込んだ。サウジアラビアとロシアが自主減産を行っているため、足下の需給関係は引き締まっているのだろう。言い換えれば、OPEC+の生産能力を考えると、中国経済が急激に悪化しない限り、供給量の調整によって原油価格をジリ高歩調とすることは十分に可能と見られる。最大の懸念材料であった米国景気が堅調に推移したことで、原油のマーケットは売り手市場になったと言えるかもしれない。それは、日米を含む世界の物価にも影響を与えることになりそうだ。 米国の神経を敢えて逆なでするサウジアラビア足下の需給の引き締まりを強く反映しているのは、ロシアの主力油種であるウラル産原油の価格動向ではないか。昨年12月、G7及びEUなど西側諸国は、ロシア産原油の輸入価格について、上限を1バレル当たり60ドルとすることで合意した。ロシアからの原油の輸入はやむをえないとしても、価格を統制することにより、同国の貴重な財源に打撃を与えることが目的だ。もっとも、ウラル産原油の価格は7月中旬に60ドルを突破した(図表6)。足下は制限ラインを20%以上上回る70ドル台後半で推移している。中東産などと比べて割安感が強いため、引き合いが増えているのだろう。ロシアは減産を行っているものの、それが価格の上昇に貢献している面もあり、西側諸国の制裁措置はあまり機能していない。この件は、米国のジョー・バイデン大統領にとって二重の意味で頭が痛い問題なのではないか。第1には、当然ながらウラル産原油の価格上昇はロシアの財政を潤し、ウクライナへの侵攻継続に経済面から貢献する可能性があることだ。第2の問題は、米国国内におけるインフレ圧力が再び強まるリスクに他ならない。バイデン大統領の支持率が急落したのは、2021年の秋だった。アフガニスタンからの米軍撤退に際し、テロ事件によって米軍兵士13人が亡くなるなど大きな混乱があったことが契機だ。その後はインフレ、特にガソリン価格の動向が大統領の支持率と連動してきた(図表7)。雇用市場の堅調は続いているものの、原油価格の再上昇によりインフレ圧力が再び強まれば、2024年11月へ向けたバイデン大統領の再選戦略に大きな狂いが生じるだろう。バイデン大統領は、2021年11月23日、原油価格を抑制するため、日本、インド、英国、韓国、中国などと共に米国政府による石油の戦略備蓄を放出する方針を明らかにした。その後も数次に亘って備蓄を取り崩した結果、2020年末に19億8千万バレルだった国全体の備蓄残高は、足下、16億2千万バレルへと減少している(図表8)。これは、米国の石油消費量の80日分程度であり、さらなる放出は安全保障上の問題になりかねない。シェールオイルには多少の増産余地があるとしても、最早、備蓄の取り崩しに頼ることはできず、産油国側の供給管理による原油価格の上昇に対して、米国の打てる手は限られている。バイデン政権にはこの問題に関して手詰まり感が否めない。昨年6月、消費者物価上昇率が前年同月比9.1%を記録した際は、エネルギーの寄与度が+3.0%ポイントに達していた(図表9)。運送費や電力価格など間接的な影響を含めれば、インフレは明らかにエネルギー主導だったと言えるだろう。一方、原油価格が低下したことにより、今年8月のエネルギーの寄与度は▲0.3%ポイントだった。現在は賃金の上昇がサービス価格を押し上げ、物価上昇率は高止まりしているものの、実質賃金の伸びが物価上昇率を超えてプラスになり、米国経済の基礎的条件としては悪くない。堅調な景気の下での雇用の安定、そして株価の上昇は、バイデン大統領の再選を大きく左右する要素だ。それだけに、原油の供給量をコントロールして価格のジリ高を演出するサウジアラビアの動向には無関心ではいられないだろう。サウジアラビアのムハンマド皇太子は、そうした事情を熟知した上で、ロシアとの協調により減産継続を発表したと見られる。8月24日に南アフリカで開催されたBRICS首脳会議には、サウジアラビアのファイサル・ビン・ファルハーン・アール・サウード外相が出席、アルゼンチン、エジプト、イラン、エチオピア、UAEと共に2024年1月1日よりこの枠組みに参加することが決まった。敢えてこの時期にロシア、中国が主導するグループに入るのは、米国の苛立ちを楽しんでいるようだ。BRICS首脳会議で演説したサウード外相は、同グループの意義について、「共通の原則による枠組みを強化しており、その最も顕著なものは国家の主権と独立の尊重、国家問題への不干渉」と語っている。これは、人権問題を重視する米国など西側諸国にはあてこすりに聞こえても不思議ではない。 求められる日本独自の判断逼迫した雇用市場に支えられ、米国経済は堅調であり、原油価格がジリ高となっても、その基盤が大きく崩れることはないだろう。ただし、インフレの継続が市場のコンセンサスになれば、連邦準備制度理事会(FRB)による高金利政策が長期化する可能性は否定できない。また、米国の国民はガソリン価格に対して非常に敏感であり、バイデン大統領の再選戦略への影響は避けられないだろう。もちろん、原油価格のジリ高が続けば、日本経済も影響を受ける。日本の消費者物価上昇率が今年1月の前年同月比4.4%を天井にやや落ち着きを取り戻したのは、米国と同様、エネルギー価格の下落が主な理由だった。消費者物価統計のエネルギー指数は、円建てのWTI原油先物価格に3~6か月程度遅行する傾向がある(図表10)。9月に入って以降の原油価格、為替の動きにより、円建ての原油価格は前年同月比11%程度の上昇に転じた。この状態が続けば、2024年の年明け頃から日本の物価にも影響が出ることが想定される。さらに、パレスチナ情勢の緊迫が、原油市況の先行き不透明感を加速させた。サウジアラビアなど主要産油国が強硬姿勢を採る可能性は低いものの、市場は神経質にならざるを得ない。再び原油高と円安のダブルアクセルになれば、貿易収支の赤字も再拡大するだろう。インフレの継続と貿易赤字は円安要因であり、円安がさらに物価を押し上げるスパイラルになり得る。政府・日銀が上手く対応できない場合、市場において国債売りや円売りなど、想定を超える圧力が強まる可能性も否定できない。現段階でそこまで懸念するのは気が早過ぎるかもしれないが、サウジアラビアとロシアの関係強化の下でのパレスチナ情勢の緊迫は、日本を含む主要先進国にとって潜在的に大きな脅威だ。パレスチナに関しては、次回、改めて取り上げさせていただきたい。1991年12月に旧ソ連が崩壊して以降、国際社会は米国主導の下でグローバリゼーションが進み、先進国の物価は概ね安定した。しかしながら、世界は再び分断の時代に突入、資源国が影響力を回復している。資源の乏しい日本としては、米国に依存するだけでなく、自分の力で考えて、エネルギーの安定的調達を図らなければならないだろう。脱化石燃料が直ぐに達成できるわけではない以上、中東は引き続き日本にとって極めて重要なパートナーである。
- 27 Oct 2023
- STUDY
-
群大 閉鎖空間の感染症対策に向け空気の汚れを「見える化」
群馬大学重粒子線医学推進機構の研究グループは7月11日、咳などにより発生する空気中の汚れの状況を調べ、狭あいな治療室など、閉鎖空間における影響を明らかにしたと発表した。新日本空調の独自技術「微粒子可視化システム」を用い、空気中の汚れを「見える化」するもので、感染症全般のまん延防止に役立つことが期待される。〈群大発表資料は こちら〉重粒子線治療を行う同研究グループによると、放射線治療を受ける患者は仰向けでの治療が一般的で、体を固定する装具は頭から首までを覆うことが多く、装着時に患者はマスクを外す必要があり、人によっては首が圧迫され咳が誘発されやすい。特に、放射線治療室は一般的に狭い密室空間であることから、医療スタッフにも感染リスクが高まる可能性がある。新型コロナウイルスを始めとした感染症への対応も喫緊な中、「がん治療に関連する医療スタッフへの感染対策として、放射線治療室内の汚れ具合の実態調査は急務」との考えから研究に着手したもの。今回の研究では、クリーンルーム(飛沫の動きのみを観察するために、背景に存在する無数の粒子の可及的除去が可能な装置を搭載)で、「微粒子可視化システム」を用いて、模擬患者から発生した飛沫の動きや到達点を「見える化」。クリーンルームでは、(1)通常の発声(2m程度の距離で聞こえる範囲の声の大きさ)、(2)大声による発声、(3)咳――の3種類で評価。その結果、通常の発声と比較して、大声と咳では、口の位置から垂直方向と、頭と足側から水平方向のいずれも飛沫の到達距離が大きく、特に口から70cm周囲が汚染されていた。実際の放射線治療室でも医療スタッフの立ち位置による汚染度合の比較を行っている。同研究成果は、今秋の日本放射線腫瘍学会で発表・議論され、有効な感染症防御対策の開発に寄与していく見通し。なお、同研究に協力した新日本空調は、原子力空調設備での施工実績を数多く有するほか、昨今の感染症対策への関心の高まりから、独自技術の「微粒子可視化システム」や「飛沫計測技術」を用いて、オーケストラの演奏者・聴衆の飛沫感染リスク低減に関する検証を行うなど、注目を集めている。
- 12 Jul 2023
- NEWS
-
復興のススメ
先日製薬会社のMR(Medical Representatives; 医療情報担当者)の方とお話しする機会がありました。「コロナ禍になってから、感染対策のために病院へ出入りができなくなりました。その結果便利にもなりましたが、実際の患者さんを見たことのないMRが増えたことが心配です。患者さんがどんな風に苦しみ、なぜこの薬を提供しなくてはいけないのかが実感できないんです」病院を訪問するMRは地域の医療者にとって貴重な情報源です。しかしMRが出入りするだけで「製薬会社との癒着」と噂されることもあり、また今時現場へ足を運ぶのは非効率、という否定的な意見も多くあります。しかしその非効率的な待ち時間は、MRが医療現場を知る貴重な機会にもなっていたようです。ソーシャルディスタンスの為に導入された効率化システムにより、私たちは知らず知らずのうちに何かを失いました。では実際に何を失ったのか。今、それを見つめ直す時に来ていると感じます。コロナ禍と災害5月5日、世界保健機関(WHO)は新型コロナウイルス感染症の緊急事態宣言終了を発表しました。3年3か月続いた最高レベルの警告が解除され、コロナ禍は世界的にも節目を迎えたように見えます。世界規模の大災害の収束。それにも関わらず、過去の災害で見られた復興のエネルギーを、少なくとも今の日本ではほとんど感じられません。それはコロナ禍が今もなお自然災害と認識されていないことにも一因があるように思えます。日本においてパンデミックは他の自然災害と政府の担当部署が異なるため、政策上災害と呼ばれません。この結果、災害対策とコロナ対策では類似した対応が別の場所で行われる、という二度手間も生じています。緊急事態への経験豊富なDisaster Medical Assistance Team(DMAT)や自衛隊への協力要請がほとんど為されなかったことや、東日本大震災後に医療機関で策定されてきたオールハザード対応のBusiness Continuity Plan(BCP=事業継続計画)が機能せず、「感染症用BCP」を新たに策定する、という現象などもその例です。大災害の後、被災した人々は得てしてその災害を「おらが災害」化してしまいがちです。つまり自分たちの被った災害が随一と考え、他の災害と比較することを嫌うのです。コロナ禍も例外ではなく、このパンデミックを災害ではなく「コロナ禍」という独立した事件と認識し、災害とは独自の対応システムや用語を確立している場面をしばしば見かけます。しかし実際のところ、これまで何度か述べてきたとおり、コロナ禍に起きた社会現象の多くは過去の災害に酷似しているのです。災害復興の欠如コロナ禍が比類ない規模の自然災害であることは確かです。これが災害と認識されない一番の欠点は、災害にはつきものの「復興」というフェーズがないまま、平時に戻ったと思い込んでしまうことではないでしょうか。復興とは、災害などによって失われた社会の文化や機能を取り戻す行為です。しかしコロナ禍の社会においては、過去を振り返るという行為がすっかり抜け落ちた結果、復興という意識が希薄になっているように見えます。「新しい生活様式」「ニューノーマル」「ウィズコロナ」コロナ禍の間に作り出されたスローガンは、常に新しいものへの適応を呼びかけ続けます。もちろんコロナ禍で激変した生活に適応することは重要です。しかしこの適応は、目の前に飛んできた球を必死に打ち返す「災害対応」にすぎないことには注意が必要でしょう。球を打っている間、私たちは喪失感から目を逸らすことができます。しかし実のところ自分自身は一歩も進んでいません。飛んで来る球が尽きた時、「復興」という方向性がなければ、人々は呆然と立ち止まるか、昔通りの生活を漫然と模倣するだけに終わってしまうでしょう。過去という名の舵私たちの生き方の方向性を規定するのは、新しい何かではなく、過去の積み重ねです。東日本大震災の後お会いした、復興を支えてきた方々は、災害によって失われた過去から決して目を逸らしませんでした。美しいふるさとの風景、豊かな食文化、子どもたちの教育―失った過去の伝統や文化を見つめるからこそ、「同じものを取り戻す」のか、「新しい文化を創るのか」、つまり伝統に対する「守・破・離」の選択を続けられたのだと思います。新しい環境に適応し、それを楽しむだけの活動には、守るべき伝統も破るべき慣習もありません。それは私の目には、エンジンがあっても舵のない船のように映ります。失われたものを見つけなければ、取り戻したいものを取捨選択することもできないからです。登校せずに学生生活を終えてしまった学生は、何を失ったのか。マスクを着用して育てられた幼児にはそれまでの子どもと何が違うのか。失われた老舗のお店は生活の豊かさにどれほどの影響を与えたのか。3年前に失ったものを知るためには、現状の目まぐるしい変化に囚われ過ぎず、意識的に懐古にふける時間が必要です。自身が被災者であり支援者でもある復興これまで災害の支援者であった人たちも、今回は全員が被災者です。だからこそ、全員が支援者にもなれる、とも言えるでしょう。なぜなら自分自身を支援することこそが復興となるからです。個々の人間が内を向き、蓋をしていた喪失感を直視する。取り戻したい何かを認識して初めて、今度は自分自身への支援、すなわち経験を生かして新しいものを創生できるのだと思います。コロナ禍明けを素直に楽しむことも大切です。しかし同時に、私たちは次に訪れる大災害へ向けた社会の余力を一刻も早く取り戻す必要があるのではないでしょうか。現状の解放感に何か空疎なものを感じる個人からの、ちょっとネクラな復興のススメです。
- 10 May 2023
- COLUMN
-
原子力機構 全面マスク対応眼鏡を開発
日本原子力研究開発機構の研究グループはこのほど、全面マスク装着時、その機能を損なうことなく眼鏡をかけた状態でも作業ができる「全面マスク用マグネット固定方式眼鏡」を開発。同機構のMOX燃料製造技術開発施設における汚染検査作業での運用を開始するとともに、自衛消防班(核燃料サイクル工学研究所所属)にも配備した。今回開発された眼鏡は、理化学・保安用品を手がけるコクゴから3月1日より発売されている、〈原子力機構他発表資料は こちら〉眼鏡の各パーツ名称(パリミキホームページより引用)全面マスクは、その構造上、テンプルの付いた眼鏡をかけた状態で装着すると、顔面とマスクの間に隙間ができ気密性が損なわれることから、被ばく管理を要する原子力施設での作業者支障が生じるなどの懸念があった。実際、研究グループが実施した眼鏡(市販品)をかけた状態での全面マスクの漏れ率試験によると、かけていない状態に比べ、防護係数(呼吸用保護具の防護性能を表す指標)が大幅に低下することが示されている。そのため、研究グループでは、テンプルがなくマグネットにより固定できる方式を採用した眼鏡を開発した。視界を妨げない額などの位置に、全面マスクの外側と内側のそれぞれ、眼鏡を固定できるマグネットをマスク本体を挟む格好で取り付け、眼鏡を固定。マスク外側のマグネットを動かすことで内側のマグネットも動き、マスクを外すことなく眼鏡の位置を微調整することが可能な仕組みとなっている。レンズ、リム、ブリッジが一体型の構造で、誰でも簡単に確実な装着が可能だ。材質は落下などによる破損防止のため、プラスチック製を採用。度数は多くの人が使用できるよう、近眼用と老眼用で計7種類を用意している。「全面マスク用マグネット固定方式眼鏡」の適用分野に関し、研究グループでは、全面マスクの種類によらず汎用性が高いことから、原子力施設における安全対策への貢献のみならず、化学施設、医療施設、消防施設を有する防災機関でも利活用できると期待。一方で、磁力を用いることから、心臓ペースメーカー装用者への対応なども今後の課題として指摘している。
- 02 Mar 2023
- NEWS
-
2021年度エネルギー需給実績
資源エネルギー庁は11月22日、2021年度のエネルギー需給実績(速報)を発表した。それによると、最終エネルギー消費は12,330PJ(ペタ〈10の15乗〉ジュール)で対前年度比2.0%増。部門別にみると、家庭部門は新型コロナ感染の落ち着きによる在宅時間減の影響から同6.5%減、企業部門は前年度の需要減からの回復影響から4.5%増などとなった。一次エネルギー国内供給は18,575PJで対前年度比3.4%増。そのうち、化石燃料は同1.4%増で8年ぶりに増加し、再生可能エネルギーは9年連続で増加した。化石燃料は、石炭が同6.8%増、石油が同2.9%増、天然ガス・都市ガスが同6.4%減。非化石燃料は、原子力が同82.6%増、太陽光が同10.3%増。非化石燃料のシェア増加により、化石燃料のシェアは83.2%と、東日本大震災以降で最小となった。発電電力量は1兆327億kWhで対前年度比3.2%増。そのうち、非化石電源の割合は27.1%で同3.5ポイント増となった。発電電力量の構成は、再生可能エネルギーが20.3%で同0.5ポイント増、原子力が6.9%で同3.0ポイント増、火力(バイオマスを除く)が72.9%で同3.5ポイント減などとなっている。エネルギー起源CO2排出量は9.8億トンで、対前年度比1.2%増と、コロナ禍からの需要回復影響などにより8年ぶりに増加に転じた。
- 22 Nov 2022
- NEWS
-
秋の叙勲 QST平野理事長が瑞宝大綬章
政府は11月3日、秋の叙勲受章者を発表。量子科学技術研究開発機構(QST)理事長の平野俊夫氏が瑞宝大綬章を受章することとなった。平野氏は、大阪大学学長、内閣府総合科学技術・イノベーション会議議員などを歴任。2016年に放射線医学総合研究所と、日本原子力研究開発機構の量子ビーム・核融合部門の統合により発足したQSTの初代理事長に就任し、現在に至っている。両法人統合のシナジー効果の一つとして、原子力機構の核融合部門が蓄積してきた超電導技術の応用によるがん治療装置の小型化・低コスト化が期待されており、同氏は就任以来、「がん死ゼロ健康長寿社会の実現」を目指し、既存病院建屋にも設置可能な次世代がん治療装置「量子メス」の実用化に向け精力的に取り組んでいる。今回の受章に際し、平野氏は、「この受章を励みとし、平和で心豊かな人類社会の発展に貢献できるよう、微力ながら尽力していく」とのコメントを発表した。同氏は、QST発足時の記者会見で「多様な学問領域を統合するワクワク感に溢れている」と期待を寄せたほか、以降も随所で「夢は実現するためにある」と熱く語る非常にエネルギッシュな人柄である。また、長く取り組んできた免疫物質「インターロイキン6」の研究は、関節リウマチや新型コロナなどの治療薬開発の基盤となっており、2021年にはノーベル生理学・医学賞の有力候補として評された。
- 04 Nov 2022
- NEWS
-
岸田首相がNPT運用検討会議出席へ
松野博一官房長官は6月21日の記者会見で、8月に米国で開かれる核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議に岸田文雄首相が出席する予定を明らかにした。核兵器禁止条約への政府対応に関連した記者からの質問に答えたもので、日本の首相としての出席は初となる。NPT運用検討会議の会期は8月1~26日が予定されているが、岸田首相の出席日程については現在調整中。松野官房長官は、「核兵器国と非核兵器国との双方が参加する国際的な核軍縮・不拡散体制の礎石」と、NPTの意義を改めて強調。その上で、「総理自らが出席し、政府として同会議で意義ある成果を収められるよう全力を尽くす」とした。岸田首相は昨秋の就任以来、「被爆地(広島)出身の総理大臣として、核兵器のない世界に向けて全力を尽くしていく」と繰り返し述べている。5年に1度開催されるNPT運用検討会議は、条約が発効した1970年以来、その時々の国際情勢を反映した議論が展開されてきた。日本は条約発効50周年となる2020年開催予定の同会議の意義ある成果に向け様々な取組を行ってきたが、新型コロナの影響で延期が続いていた。度重なる延期を受け、日本外務省と米国国務省は2022年1月、同会議の早期開催に向けた機運を維持・高揚すべく日米共同声明を発出している。一方、今日から開かれる核兵器禁止条約の締約国会議に日本政府はオブザーバーとしても参加しないが、これに関し、松野官房長官は、同条約の意義に一定の理解を示しながらも、「核兵器国は1か国も参加していない。わが国は唯一の被爆国として核兵器国を関与させるよう努力し、核兵器のない世界に向けて現実的な取組を進めていく考え」と説明している。
- 21 Jun 2022
- NEWS
-
バイデン外交が彷彿とさせる1970年代のリスク
ジョー・バイデン米国大統領と言えば「外交政策通」と考えられてきた。理由はその政治家としてのキャリアである。36年間の連邦上院議員時代、外交委員会に長く席を置き、通算4年間に亘って委員長を務めた。財政委員会、司法委員会と共に1816年に創設された同委員会の権威は非常に高く、条約の批准など米国の外交政策、さらには外交に関する人事について、極めて大きな権限を有している。歴代委員長には、ジェームズ・フルブライト、フランク・チャーチ、ジョン・ケリーと言った大物上院議員が名を連ねた。バイデン大統領は、上院外交委員会の有力議員として旧ソ連崩壊後のユーゴスラビア紛争や同時多発テロ事件を受けたテロとの戦いで目立つ活躍を見せたと言われている。また、バラク・オバマ政権の副大統領であった8年間、外交経験のないオバマ大統領の指南役とも目されていた。そのバイデン大統領が昨年11月の大統領選挙で勝利した後、国務長官に指名したのがアントニー・ブリンケン氏だ。国務省の外交官、上院外交委員会の民主党スタッフを務め、オバマ政権で国家安全保障担当大統領補佐官に就任した外交・安全保障に関するプロフェッショナルに他ならない。バイデン大統領との良好な関係を築いてきたことでも知られている。前任のドナルド・トランプ大統領は、外交のみならず政治家としての経験がなく、貿易収支の不均衡是正に極めて熱心だった以外、明確な外交方針は見えなかった。一方、バイデン大統領のキャリアや人事から見て、就任当初、バイデン政権の外交は手堅いとの観測が強かったのではないか。ただし、同大統領はアジア外交で中国を重視する傾向が強いと言われ、日本の外交関係者の間では、米国が日本の頭越しに対中対話を進めるシナリオが懸念されていた。オバマ大統領の「戦略的忍耐」はかならずしも北朝鮮だけでなく、中国にも実質的に適用された結果、南シナ海の南沙諸島において中国の人工島建設を許し、海洋進出を加速させる背景となったことも不安材料だったと見られる。しかしながら、バイデン大統領の外交は2つの点で日本の想定を裏切ったのではないか。その1つは厳しい対中姿勢であり、もう1つは戦略性・緻密さの欠如だ。後者については、国際社会の分断を加速させ、資源の争奪戦を助長して日本経済に大きな影響を及ぼすことが懸念される。 想定を超える厳しい対中姿勢バイデン政権の発足から1年が経過するなか、意外感が強いのは予想以上に厳しい対中姿勢だ。特に台湾問題を極めて重視、中国に台湾海峡における現状維持を度々求めている。昨年8月19日、ABCニュースが報じた単独インタビューにおいて、同大統領は「北大西洋条約機構(NATO)の加盟国が攻撃を受けた場合、(米国は)同条約第5条に基づき速やかに対処する。日本や韓国、そして台湾に対しても同様だ」と語り、世界を驚かせた。この発言は、事実上、米国が台湾に対して防衛義務を負うと解されたからだ。さらに、同年10月21日、メリーランド州ボルティモアで開催した住民との対話集会でも、司会者が中国により台湾が攻撃されれば「米国は台湾を防衛するか」と尋ねた際、同大統領は「米国にはそうする義務がある」と語ったことが伝えられた。この2回の発言後、いずれもホワイトハウスは「米国の政策に変更はない」として火消に追われたのである。1979年1月1日、日本に6年3ヶ月遅れて米国は中華人民共和国との国交を正常化した。その際、公式には中華民国(台湾)と断交している。結果として1955年3月に発効した『米華相互防衛条約』は1979年末に失効した。ただし、台湾と一定の関係を維持するため、1979年4月10日、ジミー・カーター大統領(当時)は『台湾関係法』に署名した。この法律は、米国が台湾を国家並みの扱いとすること、台湾の居住民に対する武力行使には適切な行動を採ること・・・などが定められている。ただし、同法はあくまで米国の国内法であり、条約上、中国の一部として認めた台湾に関して、米国が防衛義務を負っているとのバイデン大統領の発言は正確ではない。外交通の同大統領がこの件を正しく理解していないとは考え難いだけに、実は確信犯として対台湾政策を示したのではないかとの見方が強まっている。中国は1984年12月に英国との間で『英中共同声明』に署名、1997年7月1日における香港の返還を正式に決めた際、50年間に亘って「一国二制度」を維持すると約束した。しかしながら、2020年の全国人民代表大会(全人代)で『国家安全法(国安法)』を香港にも適用すると議決、英国との約束は、事実上、反故になったと言える。中国が台湾統一を「核心的利益」であると繰り返すなか、台湾防衛に踏み込んだバイデン大統領の発言は、中国が香港と同様に治安維持を名目として実質的な台湾の統一を図る可能性を牽制したものだろう。これは、「戦略的忍耐」を掲げたオバマ大統領、通商交渉以外に興味を示さなかったトランプ大統領の時代と比べ、バイデン政権が非常に厳しい姿勢で中国に臨んでいることを示す傍証と言えるのではないか。2月4日に開幕した北京冬季五輪についても、習近平国家主席が国威発揚の場として極めて重視してきたにも関わらず、米国は政府高官の開会式への出席を見送った。中国は射程距離が1万2千㎞に及ぶ潜水艦発射大陸間弾道弾(SLBM)、『JL-3(巨狼3号)』の開発最終段階にあると見られる。発射の兆候を極めて掴み難いSLBMが実戦配備された場合、台湾周辺の海域から米国全土を射程圏内に収める可能性が高まるだろう。台湾情勢の緊迫、そしてJL-3の開発が、バイデン大統領による厳しい対中姿勢の背景なのではないか。 分断を加速させた『民主主義サミット』昨年8月31日、米軍はアフガニスタンから完全に撤退した。この決定はトランプ大統領時代の2020年2月、米国とタリバンが同意したものだ。ただし、撤退の方法は慎重さに欠け、8月15日には首都カブールが実質的にタリバンの支配下になった。さらに、同26日にはカブール国際空港周辺でイスラム国(IS)による自爆テロ事件が起こり、米軍兵士13人を含む多くの人が死傷したのである。結局、米国を後ろ盾としたアフラシュ・ガニ大統領は出国して政権は崩壊、アフガニスタンはタリバンの支配下に逆戻りし、米国における同時多発テロ事件直後の2001年10月、テロとの戦いの一環として同国に軍事介入した米国の20年間の努力は報われなかった。アフガニスタンからの米軍の撤退について、米国の有権者に異論は少ないようだ。しかしながら、7月に入って米軍の駐留米軍の規模が縮小され、タリバンの攻勢が明確になるなか、各種世論調査でバイデン大統領の支持率は低下した(図表1)。米国に協力したアフガニスタン人がタリバンから復讐されているとの報道もあり、結果から見れば十分な準備がなされたとは言えない幕引きについて、バイデン大統領の外交手腕に対する米国内外の強い懸念が残った。バイデン政権の外交政策への不信感がさらに高まったのは、昨年12月9-10日、米国が主宰してリモートにより開催された『民主主義のためのサミット(民主主義サミット)』ではないか。独裁色を強める中国、ロシアに対し、民主主義国家の結束を固めるためのイベントだったが、戦略性と配慮に欠けた招待国の選択を疑問視する声は少なくないようだ。国連加盟国193か国中109か国及びEUと台湾が出席したのだが、NATO加盟国でありながらハンガリー、トルコは「独裁的である」として招待されていない(図表2)。その結果、ハンガリーはロシアへの傾斜を強め、今年2月1日にはウクライナ問題が深刻化するなかでオルバン・ビクトル首相がモスクワを訪問、ウラジミール・プーチン大統領と首脳会談を行った。この時、プーチン大統領はハンガリーへの天然ガスの供給拡大を約束している。また、東南アジアでは、ASEAN加盟10か国のうちシンガポール、タイ、カンボジアに加えてベトナムも社会主義国であることを理由に民主主義サミットへ招かれなかった。もっとも、同国は1979年の中越戦争で中国と戦っており、ASEANのなかで最も厳しい対中姿勢を堅持している国だ。もちろん、同国は米国とも泥沼の戦争をしたわけだが、その後はむしろ日本、米国との外交や経済交流を強化し、特に日本とは極めて良好な関係を維持している。それを象徴しているのは、2012年12月に政権を奪還して第2次内閣を発足させた安倍晋三首相(当時)が、最初の外遊先にベトナムを選んだことだろう。また、後任の菅義偉首相(同)も、安倍前首相の先例に倣い、内閣総理大臣就任後、ベトナムを初の訪問国とした。2017年11月、APEC首脳会議に伴い開催されたTPP関係国会議では、開催国であったベトナムと日本が共同議長を務め、最終合意へ向けた詰めの作業を行っている。中国、台湾がTPPの加盟を同時申請、既存メンバー11か国の見解が分かれるなかで、日本政府にとってベトナムとの連携は極めて重要だろう。さらに、地理的に見れば、ベトナムは南シナ海に面し、安倍元首相が提唱、今や米欧諸国も追随した「自由で開かれたインド太平洋戦略」のど真ん中に位置している。フィリピンやマレーシアを民主主義サミットに招待し、シンガポールを招待しなかったことも衝撃的だが、ベトナムを敢えて仲間外れにしたバイデン政権の判断基準は理解に苦しむ。日本政府も困惑したのではないか。もちろん、岸田文雄首相は民主主義サミットへ出席、演説も行ったが、日本にとっては何のためのサミットか意味不明だ。さらに、国際的なエネルギー問題の鍵を握るサウジアラビア、UAE、カタールなども招待されていない。中国、ロシアは米国による包囲網として非招待国との連携強化を表明、民主主義サミットが開催されていた12月9日、招待されなかった中米のニカラグアは、中国と国交を回復して台湾と断交すると発表したのである。敢えてこの時期に世界を巻き込んだイベントを開催し、各国に対するバイデン政権の色分けを示した印象になったことで、民主主義サミットは国際社会の分断加速に貢献したと言えるかもしれない。結果として、招待された国の間においてもバイデン大統領の外交手腕に対する疑問が深まり、独自路線を模索する動きが加速することも考えられる。民主主義サミットの開催で米国が払った代償は小さくないと言えるのではないか。 1970年代の苦い教訓ロシアとの緊張が高まるウクライナ情勢に関しては、1月28日、当事国であるウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領が首都キエフで記者会見に臨み、「複数の尊敬される国家のリーダーでさえ、明日にも戦争が起こると煽っている。これはパニックであって、結果としてウクライナにどれほどの犠牲を強いるつもりなのか」と語った。「尊敬される国家のリーダー」には、バイデン大統領も含まれると見られる。このゼレンスキー大統領の指摘は、少なくとも米国とウクライナの間で円滑な意思疎通が行われていない可能性を示唆するだろう。日本の報道や論評では、バイデン大統領の命運を11月8日の中間選挙が握っているとの見方が少なくないようだ。しかしながら、それはかならずしも正しくはない。戦後、新大統領が初めて臨む中間選挙において、全議席が改選となる連邦下院で大統領与党が議席を増やしたことは1回しかない(図表3)。ジョージ・W・ブッシュ大統領の下での2002年の中間選挙であり、前年の同時多発テロによって国民の大統領に対する支持が高まっていた異例の選挙だった。 一方、ビル・クリントン、バラク・オバマ両民主党大統領は1回目の中間選挙で歴史的な大敗を喫したものの、2年後の大統領選挙では大差で再選された。それは、1期目の大統領の評価を決めるのが、大統領選挙前2年間の景気だからである。再選された7人の大統領はこの2年間の米国経済は好調であり、トランプ前大統領を含めて再選されなかった4人の場合、どちらかの年に米国はリセッションに陥っていた。2024年の大統領選挙へ向け、バイデン大統領にとって重要なのは中間選挙ではなく2023、24年の米国経済に他ならない。ただし、内政において社会保障強化・地球温暖化対策を盛り込んだ“Build back better(より良き再建)”法案が予算規模を半減させたにも関わらず、民主党のジョー・マンチン上院議員の反対で頓挫、バイデン大統領は公約実現へ向けた主導権を失った。外交も目覚ましい成果がないとすると、今のところバイデン大統領には景気頼み以外の再選戦略が見えないことも事実だろう。強い閉塞感の下、早くも民主党周辺には2024年へ向け新たな大統領候補を模索する動きが顕在化しつつあるようだ。カマラ・ハリス副大統領の人気も凋落していることから、ピート・ブティジェッジ運輸長官やエイミー・クロブシャー上院議員、ジョセフ・パトリック・ケネディ3世下院議員などの名前が既に有力メディアに取り上げられた。そうしたなか、注目を集めたのが今年1月11日のウォールストリートジャーナル(電子版)がオピニオン欄で取り上げた“Hillary Clinton’s 2024 Election Comeback(ヒラリー・クリントンは2024年の選挙へ復帰)”との投稿だ。書いたのは政治アナリストのダグラス・シェーン氏、ニューヨーク州下院議員のアンドリュー・ステイン氏だった。クリントン氏は現在74歳、バイデン大統領より5歳年下であり、ご本人の意向次第では可能性がゼロではないようだ。一方、共和党はドナルド・トランプ前大統領が今のところ最有力候補である。仮に民主党もクリントン氏が「ポスト・バイデン」の最右翼になるとすれば、米国の政界では大統領になり得るべき人材が払底しているのかもしれない。バイデン政権の混迷が他人事として看過できないのは、日本にとって苦い経験があるからだ。米国でウォーターゲート事件が深刻化した1973年10月20日、渦中の人、リチャード・ニクソン大統領はアーチボルト・コックス特別検察官の解任を拒否したエリオット・リチャードソン司法長官、ウィリアム・ラッケルハウス副長官を更迭した。このニクソン大統領による『土曜日の虐殺』が行われたその日、アラブ石油輸出国機構(OAPEC)は第4次中東戦争でイスラエルを支援した米国、オランダへの石油禁輸措置を発動したのである。大統領の権威が失墜、米国の政治が混乱している最中を突いて、石油危機は深刻化した。また、ニクソン大統領の後継となったジェラルド・フォード、ジミー・カーター両大統領は、指導力や戦略性に欠け、米国の外交・安全保障政策が弱体化しただけでなく、イラン革命による第2次石油危機を招いて世界の分断を深刻化させたのである。オバマ大統領の「戦略的忍耐」、トランプ大統領の“MGAM(Make America Great Again)”は、結局のところ中国の台頭を招き、現下における国際情勢の不安定化につながった。さらにバイデン政権が外交的な失策を重ねれば、国際社会の分断は加速しかねない。資源を海外に依存する島国日本としては、この状況は決して好ましいとは言えないだろう。特に地球温暖化抑止の観点からエネルギーに関して備蓄の難しいLNGへの依存度を高めれば、日本のエネルギー安全保障はこれまで以上に国際情勢に左右される。東シナ海や南シナ海、台湾海峡が有事となれば、LNGの調達に支障を来す事態が起こり得るからだ。米国のリーダーシップによる国際社会の安定は明らかに揺らいでいる。そうしたなかで、日本は米国のみならず、EU、英国、豪州、インド、ASEAN諸国などとの連携を深め、独自の外交・安全保障戦略で国益を守る必要があるだろう。また、中国やロシアとの対話も継続しなければならない。そうしたなか、経済の安定にはエネルギーの確保が必須だ。経済安全保障を確保する上で、日本は強固なエネルギー戦略を求められている。 (編集部注:2月上旬に御寄稿いただきました)
- 22 Mar 2022
- STUDY
-
エネルギー価格と日本に忍び寄るインフレのリスク
世界的にインフレの懸念が高まりつつある。例えば米国の場合、新型コロナ禍前の2019年までの20年間、消費者物価上昇率は年平均2.1%、変動の激しい食品とエネルギーを除いたコアベースでは2.0%だった。それが、昨年12月は総合指数が前年同月比7.0%、コア指数は5.5%上昇した。総合指数は39年ぶり、コア指数も30年ぶりの高い伸びだ。欧州主要国でも軒並みインフレ圧力が急速に強まっている。この物価上昇について、当初、米国の中央銀行である連邦準備制度理事会(FRB)は、新型コロナ禍からの景気回復期における「一過性の現象」と指摘していた。しかしながら、このところは見方を変え、インフレが長期化するリスクを懸念しつつある。FRBは、新型コロナ禍への対応で実施した歴史的緩和の方針を既に転換し、米国の金融政策を決める3月15、16日の次回連邦公開準備委員会(FOMC)で利上げに踏み切るとの見方が大勢だ。世界的にインフレ圧力が強まりつつある背景については、様々な要因が考えられる。そのなかで、最も根本的な変化は、国際社会が「グローバリゼーション」から新たな「分断の時代」へ突入したことではないか。 ゲームチェンジャーとしての新型コロナ過去60年間における主要国の消費者物価上昇率を振り返ると、1960~80年代はインフレの時代だった(図表1)。一方、1990~2010年代は物価安定の時代だ。2つの時代の境目で起こった象徴的な事件は、1989年11月のベルリンの壁崩壊、そして1991年12月の旧ソ連消滅だろう。それ以前は東西冷戦期であり、世界のサプライチェーンは統一されておらず、米ソ両ブロックが陣地獲りと資源の争奪戦を繰り広げていた。さらに、2回の石油危機に象徴される地域紛争が資源価格を高騰させ、世界経済を極度のインフレに導いたのである。ちなみに、第1次石油危機のきっかけは、1973年10月6日、エジプト、シリアを主力とするアラブ連合軍が、ゴラン高原に展開するイスラエル軍を攻撃して始まった第4次中東戦争だった。この時、アラブ諸国を支援していたのは旧ソ連であり、イスラエルは米国を後ろ盾としていたのである。しかしながら、旧ソ連が消滅して以降、世界は唯一の覇権国になった米国を軸として単一市場の形成に向け大きく動き出した。特筆されるのは、1995年に設立された世界貿易機構(WTO)を中心に国際的な通商ルールが確立されるなか、中国、東南アジア諸国、メキシコなどが急速に工業化し、その供給力によって需要超過の米国もインフレから解放されたことだろう。一方、冷戦下で米国への輸出により高成長を遂げた日本は、新興国に対し競争力を失って過剰供給による構造的なデフレに陥った。もっとも、30年間に亘って続いてきたグローバリゼーションの時代は、新たな転換点を迎えようとしているのではないか。その表面的な契機は新型コロナ禍だ。中国の武漢市で発生したと言われるこの国際的な疫病が米国へ飛び火した2020年初頭以降、ドナルド・トランプ大統領(当時)は急速に対中批判を先鋭化させた。それ以前は貿易収支の不均衡で対中圧力を強めていたものの、自身の別荘であるフロリダ州のマールアラーゴへ習近平中国国家主席を招待するなど、両国関係はむしろ良好だったと言える。しかし、自身の再選を目指す大統領選挙まで1年を切った段階での新型コロナの感染急拡大により、トランプ大統領は中国への姿勢を大幅に硬化させた。ただし、新型コロナはあくまで象徴的出来事であり、米中対立の本質は中国が将来において米国から覇権を奪取する意図を隠さなくなったことではないか。近年における人民解放軍の急速な近代化と東シナ海、南シナ海、フィリピン海への海洋進出、国家による支援を後ろ盾とした国営企業による通信、半導体、人工知能(AI)など最先端技術の開発、そしてアジア・太平洋、アフリカ、中南米などにおける外交・経済両面でのプレゼンスの拡大は、米国にとり中国による挑戦と見えても不思議ではない。経済的交流がほとんどなかった東西冷戦時代の米ソと異なり、現代の米中両国は相当規模での相互依存関係を築いてきた。例えば、米国にとって中国は最大の農産品の輸出先であり、中国は発行された米国国債の約5%を保有している。従って、米中が覇権を争うとしても、1950〜80年代と同じタイプの冷戦にはならないだろう。しかし、米国と中国による新たな分断の時代は、30年間続いた世界的な物価安定の終焉を意味する可能性がある。好例はウクライナ情勢だ。2月4日、北京冬季五輪の開幕式に合わせて行われた中ロ首脳会談において、習近平国家主席は中国はロシアが最も懸念する北大西洋条約機構(NATO)の拡大に反対の立場を鮮明にし、ウラジミール・プーチン大統領は台湾を中国の領土であると再確認した。エネルギー部門を含めた中ロの連携強化は、ウクライナ情勢などを通じて国際的な資源価格の高騰の背景となり、インフレ圧力を強める可能性がある。また、習近平政権は新たな経済政策の目標として「共同富裕」を掲げた。その直接的なイメージは貧富の格差の是正だろう。もっとも、本質的な狙いは個人消費主導の経済成長ではないか。消費拡大は、国民の生活水準向上であり、即ち一党独裁制を敷く共産党への国民のローヤリティを高める道に他ならないからだ。加えて、世界最大の人口を使って世界中から財貨を購入することにより、米国と同様、世界経済における中国の存在感の向上、国際社会における発言力の強化を狙っていると見られる。問題は14億人の消費水準向上が世界の資源需要に与えるインパクトだろう。エネルギーや食料の需給関係が引き締まり、国際的な価格の押し上げにつながることで、インフレの油に火を注ぐ可能性がある。本質的な要因ではないにせよ、新型コロナ期を転換点、即ちゲームチェンジャーとして、米中両国は次世代の覇権を巡り対立を深める時代に入ったようだ。結果として、今後、世界的な地域紛争の激化と資源の争奪戦、サプライチェーンの寸断による製造・物流コストの上昇などの現象が起こり、インフレ圧力が恒常化するリスクを考えなければならないだろう。 日本が物価安定を飛び越してインフレに陥るリスク2012年12月26日、第2次安倍晋三内閣が発足した。同年9月26日の自民党総裁選以降、安倍氏が訴えたのはデフレからの脱却だ。2013年1月22日、『政府・日銀共同声明』により日銀は「安定的な物価目標」として初めて生鮮食品を除くコア消費者物価で前年同月比2%のインフレターゲッティングを導入した。さらに、3月に就任した黒田東彦総裁の下、日銀は「量的・質的緩和」を採用、この政策は金融市場で好感され、円高の是正と株価上昇が急速に進んだのである。もっとも、肝心の物価目標については、世界の主要中央銀行に類を見ない大胆な金融緩和を続けてきたにも関わらず、消費税率引き上げの影響が反映された時期を除けば、この9年間で1度も達成されたことがない。今年1月21日、総務省は昨年12月の消費者物価統計を発表した。それによると、総合指数が前年同月比0.8%、生鮮食品を除くコア指数が同0.4%、それぞれ上昇している(図表2)。依然として目標には全く届いていないのだが、翌22日付けの日本経済新聞は、『インフレ率、春2%視野 資源高が暮らしに波及』との見出しでこの件を報じた。つまり、今後、急速に物価が上がる可能性を日経は指摘したのだ。その背景にあるのは、特殊要因が剥落(はくらく)し、世界的なインフレの影響が日本にも波及するシナリオだろう。米国の消費者物価と異なり、日本の統計ではエネルギー価格がコア指数に算入される。12月の消費者物価統計を詳しく見ると、コア指数に対する寄与度はエネルギーが+1.2ポイント、通信は▲1.6ポイントだった(図表3)。つまり、エネルギーがコア指数を1.2ポイント押し上げる一方、通信は1.6%押し下げ、エネルギー、通信以外が0.8ポイント押し上げたことになる。通信がコア消費者物価全体を大きく下げる方向へ寄与しているのは、菅義偉前首相の政策に依ると言っても過言ではない。第2次安倍政権の官房長官時代から通信料金引き下げの必要性を強く主張し、2020年9月の自民党総裁選挙では公約の柱とした。内閣総理大臣就任後、業界に価格体系の見直しを迫り、2021年3月より大手3社はデータ容量20GBの新たな料金プランを導入している。サービスの開始日は、ソフトバンクの“LINEMO”が同3月17日、auの“povo”は同23日、ドコモの“ahamo”は同26日だ。2021年の消費者物価統計における通信の価格を見ると、2月は前年同月比1.1%の上昇だったが、新プランが始まった3月は同0.7%下落し、4月は新価格体系による実質的な値下げがフルに寄与した結果、同24.6%の大幅な低下となっている。2021年12月の消費者物価統計では、通信の下落率は34.3%に達していた。新料金プランの導入から1年が経過するため、今年4月以降、この通信による消費者物価への影響が解消される。結果として、2022年度については通信価格による消費者物価全体への寄与度は概ねゼロになるだろう。マイナスの寄与度がなくなることで、通信部門は実質的に消費者物価を押し上げる見込みだ。一方、1月17、18日に開催された政策決定会合に伴い、日銀は年4回の『経済・物価情勢の展望(展望レポート)』を発表した。それによると、総裁、2人の副総裁を含む政策委員9人の物価見通しの中央値は、2021年度のコア消費者物価上昇率が前年度比横ばいで昨年10月から据え置かれる一方、2022年度は前回の0.9%から1.1%へ、2023年度も同じく1.0%から1.1%へ、いずれも小幅ながら上方修正されている。日銀は、展望レポートのなかでエネルギー価格が落ち着くことにより、通信とは逆の効果をもたらすと指摘した。黒田総裁は、会合後の記者会見で「利上げを検討しているか」と聞かれ、「一時的な資源価格の上昇に対応して、金融引き締めを行うことは全く考えていない」と答えている。ただし、足下、原油市況はWTI先物価格が1バレル=90ドル台に達し、じり高歩調を崩していない。今後についても、世界的な脱化石燃料化の潮流の下で新たな開発への投資が難しくなっている上、国際社会の分断により中東やウクライナにおいて地政学的な緊張が高まり、むしろ石油、石炭、天然ガス価格は上昇を続ける可能性がある。消費者物価指数統計におけるエネルギーのコア消費者物価への寄与度は、概ね原油市況と連動してきた(図表4)。今後、価格の上昇率は縮小しても、原油価格のじり高歩調が続けば、天然ガスや石炭を含めた燃料コストの上昇により、エネルギーの物価全体への寄与度はプラス圏を維持するのではないか。その場合、前述の通り4月になれば通信価格値下がりの影響がほぼ解消される一方、エネルギー価格はコア消費者物価指数を引き続き押し上げることになる。他方、エネルギーや通信を除く広範な分野において、日本国内でも値上げの動きが顕在化してきた。国際的なインフレ圧力により、昨年12月の企業物価は前年同月比8.5%上昇した(図表5)。これまではコスト削減努力により消費者物価への転嫁が抑えられてきたものの、企業にとって今後も値上げを我慢するのは難しいだろう。つまり、通信・エネルギー以外の分野のコア消費者物価上昇率に対する寄与度は、今後、プラスの幅を拡大する可能性が強い。結果として、日経の記事が指摘していたように、4月以降、コア消費者物価上昇率が日銀の安定的目標である2%を超える事態も起こり得るのではないか。必要なエネルギー政策の再構築中央銀行が2%の物価目標を提示し、それに向けてマネーの供給を大幅に増やすと、世の中のマインドがインフレ期待に転換され、物価上昇前に消費や投資をしようとする動きが強まって実需が拡大、結果的にインフレターゲットが実現する…これが量的・質的緩和に関して日銀が描いてきたシナリオだ。つまり、内需が盛り上がるなかでの適度なインフレであり、当然、賃金が物価を上回るペースで上昇するため、好景気が持続する。しかしながら、現実に日本経済が直面しつつあるのは、資源高などにより、国内で価格転嫁が避けられなくなって起こるインフレのリスクだ。このケースでは、石油などの購入価格が値上がりするため、海外への支払いが増えて日本の富が流出する。当然、賃上げは難しく、日本の平均世帯の購買力が低下するため、インフレと不況が同居するスタグフレーションになる可能性も否定できない。1973年の第1次石油危機に端を発した「狂乱物価」は、正にそうしたスタグフレーションの典型的な状態だった。もっとも、1974年の消費者物価上昇率は23.2%だが、賃上げ率はそれを上回る25.5%に達し、実は消費者(=勤労者)の実質購買力は低下していない。日本経済が青年期で人口が増加し、内需も旺盛だったからだろう。さらに、この危機下において日本は短期間に産業構造の転換を成し遂げ、1980年代における自動車や電気製品・部品の輸出拡大への基盤を築いたのである。また、エネルギー戦略を見直し、燃料資源の海外依存度を低下させるため、原子力発電所の建設を強力に推進した。現在の日本経済には1970年代のような体力はなく、国際情勢も大きく変化している。人口が減少するなかでのスタグフレーションは、日本の消費者の実質購買力を失わせる結果、生活の質が大きく低下しかねない。マクロ的に見ても、それは縮小均衡のシナリオだ。そうしたリスクを軽減するためには、財政・金融政策や成長戦略の見直しだけでなく、エネルギー政策も再構築する必要があるのではないか。特に長期的な化石燃料の価格上昇を想定し、カーボンニュートラルと経済安全保障を両立させなければならない。岸田文雄政権には、2011年3月の東日本大震災以後に止まってしまった時計を再稼働させ、原子力政策の推進を期待したいところである。
- 28 Feb 2022
- STUDY
-
エネ研、2022年度の経済・エネルギー需給見通し
日本エネルギー経済研究所は12月23日、2022年度の日本の経済・エネルギー需給見通しを発表した。それによると、2022年度は、コロナの影響により落ち込んだ経済活動の回復が進み、実質GDP成長率は3.3%増と、2年連続で3%前後の増加となる見通し。実質GDPはコロナ以前を上回り過去最高となるとしている。原子力発電については、新たに2基が再稼働して年度末時点の再稼働基数は12基となり、テロなどに備えた「特定重大事故等対処施設」(特重施設)の完成遅れで1基の停止期間が長引き、総発電電力量は2021年度見通しから6.2%増の718億kWhとなると想定(基準シナリオ)。基準シナリオで、一次エネルギー国内供給は対前年度比0.4%増と、伸び率は前年の3.0%増より鈍化する見通し。そのうち、石油は対前年度比0.1%増、天然ガスは同2.4%減、石炭は同2.9%増、再生可能エネルギーは同4.8%増などとなっている。エネルギー起源CO2排出量は、石炭やエネルギー用途の石油の増加で、対前年度比0.9%増の9億9,500万トンとなる見通し。基準シナリオにおいて特重施設の未整備により停止期間が長引く1基、同じく再稼働しないと想定した2基の計3基が2022年度中稼働するとした「高位ケース」についても分析。それによると、基準シナリオに対し、化石燃料輸入額は1,700億円減、自給率は1.2ポイント増、エネルギー起源CO2排出量は700万トン削減となり、「個々のプラントに応じた適切な審査を通じた再稼働の円滑化が3E(エネルギーの安定供給、環境への適合、経済効率性)にとって重要」と述べている。
- 27 Dec 2021
- NEWS
-
原子力機構、「ポストコロナ時代の核不拡散・核セキュリティ」で国際フォーラム
日本原子力研究開発機構は12月15日、「ポストコロナ時代の核不拡散・核セキュリティ」と題する国際フォーラムをオンラインにて開催。昨今の新型コロナパンデミックによる核不拡散・核セキュリティへの影響を踏まえ、技術開発、人材確保、国際協力の課題について議論した。議論に先立ち、IAEAがパンデミック下においても原子力の平和利用を担保するための保障措置活動を進めてきた経緯について、IAEA保障措置局プログラム調整課長のマリク・デロー氏が、マッシモ・アパロ同事務次長の代読で講演。デロー氏は、新型コロナ拡大に伴い、一部の国では国境封鎖も行われ、申告された核物質の平和利用からの転用や未申告の活動がないことを確認する「検認」が困難となり、「IAEAの保障措置活動に大きなインパクトを及ぼした」と述べた。締約国内での査察官の滞在や施設の立入りにも多くの制約が生じ、航空便が多数欠航となったためIAEA発足以来初のチャーター機契約により経費が増加したとする一方、遠隔モニタリング機器の活用や、新任査察官に対するリモート研修の実施などにより活動が支えられたことをあげ、「過去20年間で遠隔システムに投資してきたことが大きな効果を発揮した」と強調。同氏は、グロッシー事務局長の発言「困難な状況においてもIAEAは1分たりとも検認活動を中断することはない」を引用し、IAEAの原子力平和利用の担保に対する強い姿勢を改めて述べた上で、「努力することにより実効力ある形で保障措置を実施することができた」と、これまでの活動を総括した。続くパネルディスカッションでは、デロー氏に加え、原子力機構核不拡散・核セキュリティ総合支援センター副センター長の堀雅人氏(モデレーター)、原子力規制庁保障措置室長の寺崎智宏氏、韓国核不拡散物質管理院核不拡散担当事務局長のナー・ヨン・リー氏、東京工業大学科学技術創成研究院准教授の相樂洋氏、東京工業大学環境・社会理工学院博士課程の三星夏海氏が登壇。寺崎氏は、六ヶ所再処理工場での査察体制を例にあげながら日本におけるIAEA保障措置活動について紹介した。新型コロナ拡大下での国内関係者の対応としては、感染リスクを回避するための2グループ分けやガイドライン作成などをあげた上で、IAEA東京地域事務所を拠点としたコミュニケーションの重要性を強調。リー氏は、韓国の取組として、査察官の入国円滑化、政府の感染症対応に関する情報提供など、IAEAの保障措置活動に対するサポート体制について紹介した上で、将来起こりうるパンデミックに常に備えておく必要性を述べた。また、革新炉開発を巡る核不拡散・核セキュリティの課題に関して、相樂氏は、洋上設置を見込み構想される中小型炉「浮体式原子炉」を例に、陸上設置の施設とは異なるテロ対策や人員のアクセス性の検討が必要となることを指摘。核不拡散・核セキュリティに関する教育については、三星氏が前日に行われた同フォーラム学生セッションによる提言に基づき発表。その中で、「初等中等教育では原爆や福島第一原子力発電所事故のような原子力のネガティブな面だけが教えられがち」との懸念から、まずは核不拡散・核セキュリティの重要性を知ってもらうきっかけとして、「放射線利用など、原子力のポジティブな部分を知る機会を提供すべき」といった学生からの意見を紹介した。この他、原子力に関する大学教育の体系化とともに、既存の防災教育・実習の拡充や学園祭企画などを通じた啓発の可能性にも言及した。
- 24 Dec 2021
- NEWS
-
モハメッド国連副事務総長が上智大で講演、COP26に向けて1.5℃目標を強調
上智大学は10月20日、国連副事務総長のアミーナ・モハメッド氏によるオンライン講演会を開催した。2030年までに世界が目指す「持続可能な開発目標」(SDGs)を主導するモハメッド氏は、講演の中で、今必要な行動として、(1)新型コロナのパンデミックを終わらせる、(2)貧困をなくす、(3)不平等を取り除く、(4)カーボンニュートラル社会を実現する、(5)SDGsに向けて新たなパートナーシップを構築し誰一人取り残さないようにする――ことをあげた。気候変動の問題に関しては、10月31日から英国グラスゴーで開催されるCOP26に向けて、「地球の温度上昇を産業革命前と比べて1.5℃未満に抑える」ことを確認・強化しなければならないとした上で、低炭素技術を開発・実行するとともに、異常気象に対する強靭性を高めていく必要性を指摘。ナイジェリアの環境大臣として環境保全政策をリードした経験を持つ同氏は、日本に対し、「気候変動や災害リスク低減の分野でイノベーションを主導していることは重要」、また、「『核兵器を決して使ってはならない』と世界に訴えてきた日本を誇りに感じて欲しい」などと述べた。海外の学生たちも交え意見交換(インターネット中継)「国連の活動には若い人たちの関わりが重要」と話すモハメッド氏は、海外の学生も交え意見交換。マレーシアの学生が「インターネットに接続するにも木に登って機材を設置しなければならない」と、途上国の農村部におけるオンライン教育の現状について述べたのに対し、モハメッド氏はまず、「世界では今、教育の質が危機に瀕している。未来に備えしっかりした教育制度が必要」と強調。世界的な新型コロナ拡大の中、オンラインを通じた教育やビジネスの普及を評価する一方で、「世界の皆がつながることが重要だが、第一に電気を利用できない人たちもいる」と、電力インフラの課題を指摘し、SDGsの「誰一人取り残さない」精神のもと、全ての人々がエネルギーにアクセスできることの重要性を訴えた。また、2050年までのカーボンニュートラルに関して、石炭のフェードアウトや、トランジション(脱炭素社会実現のための移行期)を早めていく必要性にも言及。この他、日本、スペイン、コロンビア、リベリアの学生から、環境活動家への迫害、政治への軍事介入、人口・高齢化問題、児童労働などに関する意見・質問もあがった。こうしたグローバルな課題に対する関心の高まりを歓迎し、モハメッド氏は、「是非声を上げて欲しい。情熱、理想、創造力、決意、不屈の精神があればSDGsを実現できる」と、エールを送った。
- 29 Oct 2021
- NEWS
-
環境省・経産省のWG、パリ協定に基づく長期戦略で案文まとめる
中央環境審議会(環境省)と産業構造審議会(経済産業省)の合同ワーキンググループが8月18日に開かれ、新たな「パリ協定に基づく成長戦略としての長期戦略」(案)をまとめた。〈配布資料は こちら〉「パリ協定」は2016年に発効した2020年以降の温室効果ガス排出削減のための国際枠組みで、これに基づき日本は2019年6月に、「最終到達点として『脱炭素社会』を掲げ、野心的に今世紀後半のできるだけ早期に実現することを目指し、『環境と経済の好循環』を実現する」とする長期戦略を策定し国連に提出している。合同WGでは、2020年10月の「2050年カーボンニュートラル」表明や世界全体の新型コロナウイルス拡大など、現行戦略策定時からの状況変化を踏まえ、見直しに向け検討を進めてきた。新たな長期戦略(案)は、概ね現行戦略の骨格が維持されており、「2050年カーボンニュートラル」実現に向け、(1)利用可能な最良の科学に基づく政策運営、(2)経済と環境の好循環の実現、(3)労働力の公正な移行(産業構造転換など)、(4)需要サイドの変革、(5)迅速な取組(インフラ分野の取組強化など)、(6)世界への貢献――の視点を追記。温室効果ガスの排出削減対策・施策としては、「排出量のうち、エネルギー起源CO2が占める割合は8割を超えている」ことから、エネルギー部門における対応の重要性を改めて記述。「2050年カーボンニュートラル」実現に向け、再生可能エネルギーの最大限導入に取り組み、水素・CCUS(CO2回収・有効利用・貯留)の社会実装を進め、原子力については「国民からの信頼回復に努め、安全性の確保を大前提に、必要な規模を持続的に活用していく」とされた。技術イノベーションについては、6月に改定された「2050年カーボンニュートラルに伴うグリーン成長戦略」が示す14の重要産業分野、次世代再生可能エネルギー、水素・燃料アンモニア、原子力、自動車・蓄電池などをあげ、「これらの分野における実行計画の着実な実施を通じて、2050年カーボンニュートラル社会の実現可能性を関係省庁が一体となって年々高めていく」としている。新たな長期戦略(案)は今後、パブリックコメントに付された後、官邸レベルの会合を経てオーソライズされ、11月のCOP26(英国グラスゴー)までに国連に提出となる運びだが、委員からは、「国民的関心を高めていくため、見せ方は重要」として、各国の長期戦略にならい図表や写真の活用を求める意見があった。また、地球温暖化が原因とみられる最近の豪雨・土砂災害、「ポストコロナ」に伴う大都市一極集中から地方分散への流れ、企業の国際競争力維持などに関して踏み込んだ記述を求める意見も出された。
- 18 Aug 2021
- NEWS
-
原子力学会、山口会長が就任会見
原子力学会会長に就任した山口氏日本原子力学会の新会長(第43代)に東京大学大学院工学系研究科教授の山口彰氏がこのほど就任。7月9日に記者会見を行った。〈原子力学会発表資料は こちら〉山口氏はまず、「『2050年カーボンニュートラル』社会という極めてチャレンジングな目標が掲げられ、その実現のためには原子力の技術・学術が大変重要な役割を担うものと確信している」と強調する一方、「原子力を取り巻く環境は難しい状況にある」と述べ、その一因として、原子力技術の価値と現状を伝えるべき学会のこれまでの活動が不十分だったことを認識。今後、学会として、原子力のエネルギー利用だけでなく、多様な分野での放射線利用を可能とする技術の有用性を伝えるとともに、福島第一原子力発電所事故がもたらした深刻な事態、経験、教訓をしっかりと心に刻み、今後の原子力分野の活動に反映していかねばならないとした。3月に福島第一原子力発電所事故発生から10年を迎えたのを機に原子力学会では、若手リーダーによる「原子力の未来像を考える」テーマを盛り込んだシンポジウムや事故調査に係る提言のフォローアップなどを実施。これらを通じて整理された課題を踏まえ、山口氏は学会の今期重点事項として、(1)専門知を社会に伝えていく交流の場を持つ、(2)会員数の減少傾向に歯止めをかけ活動を活性化させる、(3)コロナと共生する新しい時代の学会活動を工夫する――をあげた。新型コロナがまん延したこの1年を振り返り、「困難な環境の中でどのように学会活動を行うか模索し続けた」とする山口氏は、今後の対話活動のあり方について問われたのに対し、「高校生・大学生、マスコミ他、学会に入っていない人でも原子力に強い関心を持っている人がたくさんいる」と強調。その上で、現在まだ具体案の段階にはないが、オンラインを通じ専門家以外の人たちも含め意見交換を行う場を立ち上げる考えを示した。山口氏は、現在総合資源エネルギー調査会の基本政策分科会および原子力小委員会の委員として、エネルギー政策に係る議論に参画中。同氏は、文部科学省の原子力人材育成に関する作業部会主査などを歴任したほか、日本原子力文化財団の一般向け解説・資料集「原子力総合パンフレット」の監修にも当たっており、原子力教育の分野で広く活動している。
- 12 Jul 2021
- NEWS
-
「原子力人材育成ネットワーク」報告会開催、遠隔教育に関し議論
原子力人材育成に係る産学官連携のプラットフォーム「原子力人材育成ネットワーク」(運営委員長=新井史朗・原産協会理事長)の2020年度報告会が2月16日に開催された。オンライン形式となった今回の報告会には約120名が参加。原子力教育における遠隔ツールの活用をテーマに、小原徹氏(東京工業大学先導原子力研究所教授)の進行のもと、パネルディスカッションが行われた。登壇者は、喜連川優氏(東京大学生産技術研究所教授)、若林源一郎氏(近畿大学原子力研究所教授)、高田英治氏(富山高等専門学校教授)、中園雅巳氏(IAEA原子力エネルギー局上級知識管理官)。九大学生へのアンケート結果「オンライン授業は対面授業を代替できていたと思いますか」(国立情報学研・喜連川氏発表パワポより引用)国立情報学研究所所長も務める喜連川氏は、新型コロナウイルス感染症拡大に伴い2019年度末より取り組んできた大学教育における「対面から遠隔への転換」支援策を披露。行政機関や全国の大学・高専などと連携した情報交換活動により、遠隔講義での著作物の無償利用(2020年度内)が可能となった成果を紹介した。また、同氏は、九州大学で最近実施された遠隔講義に関する学生アンケートの結果を例示。それによると、学部1年生より2~4年生の方が遠隔講義への満足度が顕著に高い傾向にあった。コロナ終息後も見通した講義スタイルに関する学生の意見から、講義録をオンデマンド配信し難解な部分を繰り返し視聴できる工夫も求められていることをあげた上で、喜連川氏は「学びのスタイルが変わりつつある」などとして、今後もIT技術を通じた高等教育の向上に取り組んでいく考えを述べた。近大が構想する「原子炉遠隔実習システム」のイメージ(上)とバーチャル・コンソール画面(近大・若林氏発表パワポより引用)教育現場に携わる立場から若林氏は、大学保有の原子炉が少ない現状下、研究炉「UTR-KINKI」を用いた実習に関し、研修生の旅費と原子力規制(入域人数制限など)の課題をあげ、TV会議システムを通じ研究炉を持たない国にも原子炉実験の機会を提供するIAEA-IRL(Internet Reactor Laboratory)を手本とした「原子炉遠隔実習システム」構想を披露。モニター画面に表示される「原子炉バーチャル・コンソール」を遠隔地の教室と共有し指導を行うもので、現場での実習参加に替わる有効な手段として期待を寄せた。一方、感染症対策により2020年度はオンラインによる原子炉実習を行った経験から同氏は、「対面でないと伝わらないものもある。実際に現場に入るまでの手続きも含めて実習といえる」などと述べ、遠隔実習には限界があることを示唆。高田氏は他校へも配信する原子力人材育成“eラーニング”のカリキュラムを紹介し、今後の課題としてコンテンツの充実と若手高専教員の裾野拡大をあげた。また、将来のリーダーを目指す各国若手の育成に向けたIAEA「原子力エネルギーマネジメントスクール」(NEMS)に関わる中園氏は、国際的視点から、オンラインを通じたイベントを開催する上で、地域間の時差を「最大の問題」と指摘。一般参加者を交えた討論では、原子力分野の遠隔教育に関し、機微情報に係るセキュリティ対策についても質疑があった。上坂原子力委員長「原子力人材育成ネットワーク」は2010年11月の発足から10年を迎えた。今回の報告会では、原子力委員会・上坂充委員長からの祝辞が紹介されたほか、ネットワーク初代の、それぞれ運営委員長、事務局長を務めた服部拓也氏(原産協会顧問)、杉本純氏(サン・フレア校長)が、当時を振り返るとともに、発足4か月後に福島第一原子力発電所事故が発生し新たな課題に対応してきた経緯を語った。花光氏(仏プロバンスにてオンライン参加)また、NEMSの日本誘致(2012年)に貢献し、現在はITER機構で活躍中の花光圭子氏がフランスよりオンライン参加。コロナの影響で厳しい外出制限が敷かれている現地の状況を述べながらも、「ネットワークを活かした実習が続いていることはとても意義深い」と、日本が主導する原子力人材育成の取組に期待を寄せた。
- 18 Feb 2021
- NEWS
-
菅首相が施政方針演説、2050年カーボンニュートラル実現に向けた施策など
菅義偉首相は1月18日、通常国会の開会に際し施政方針演説を行った。菅首相はまず、新型コロナウイルス感染症の早急な終息に向けて、様々なソーシャルワーカーらに対する謝意を述べるとともに、自身も戦いの最前線に立ち、自治体関係者とも連携しながら「難局を乗り越えていく決意」を強調。3月に東日本大震災発生から10年を迎えることに関しては、改めて犠牲となった方々への冥福を祈り被災したすべての方々への見舞いの言葉を述べた上で、心のケアも含めたきめ細やかな取組を継続するとともに、福島については、2023年春の一部開所を見込む浜通り地域の復興・再生を目指した「国際教育研究拠点」などを通じ、「復興の総仕上げに向け全力を尽くす」と述べた。また、10月の所信表明演説で掲げた2050年カーボンニュートラルについては、「環境対策は経済の制約ではなく、世界経済を大きく変革し、投資を促し、生産性を向上させ、産業構造の大転換、力強い成長を生みだすカギとなるもの」と強調し、今後所要の予算措置を図っていくことを明言。さらに、次世代太陽光発電、低コストの蓄電池、カーボンリサイクル他、野心的なイノベーションに挑戦する企業を支援し最先端技術の開発・実用化を加速するとともに、水素や洋上風力発電などの再生可能エネルギーの拡充、送電網の増強、安全最優先での原子力政策を進めることで、「安定的なエネルギー供給を確立する」とした。この他、科学技術政策の関連で、12月の小惑星探査機「はやぶさ2」のカプセルの地球帰還を称賛した上で、「未来を担う若手科学者の育成」に意欲を示し、昨今の都市部から地方への人の流れを踏まえ、ポストコロナを見据えたテレワーク環境の整備や地方移住への後押しなど、地方創生や働き方改革の取組にも言及。米国バイデン政権の発足に関しては、「日米同盟はわが国外交・安全保障の基軸」などと述べ、バイデン次期大統領と早い時期に会い日米の結束強化を確認し、新型コロナ対策や気候変動などの共通課題に取り組んでいくとした。今夏の東京オリンピックについては、「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証として、東日本大震災からの復興を世界に発信する機会とすべく、感染対策を万全なものとして、世界中に希望と勇気を届ける大会」となるよう準備を進めていくと述べた。
- 18 Jan 2021
- NEWS
-
更田規制委員長が年明け後初の会見、コロナ情勢に関し職員の業務体制に懸念
原子力規制委員会の更田豊志委員長は1月6日、年明け後初の記者会見を行った。新型コロナウイルスの新規感染者数が急増し、7日にも首都圏4都県への緊急事態宣言が発令されるとの報道に関し、更田委員長は、不正アクセスに伴い昨秋より通信ネットワークへの支障が継続している状況から、「どのくらい職員のテレワークが円滑にできるか」などと、業務と感染症対策とのバランスが難しい問題となっていることを強調。規制委員会では現在、内閣サイバーセキュリティセンターの支援も仰ぎ、復旧に当たっているところだが、会合の傍聴登録など、外部からの連絡は電子メールが使えず、電話やFAXによる受信となっている。また、検査要員の現地移動に関わる制約から、今後の政府の方針次第で検査対応の遅れがさらに深刻化することに懸念を示した。なお、2020年4月の緊急事態宣言発令時には、会合の開催頻度調整や一般傍聴受付の休止、原子力規制庁職員のテレワーク推進などの対応をとっている。また、6日の定例会合で規制庁より報告された新規制基準適合性に係る審査状況に関し、審査が進展している中国電力島根原子力発電所2号機について、「審査書案」取りまとめの見通しを問われたのに対し、「終盤にあるのは事実だが、まだ見通しをいえる状況にはないと思う」と述べた。規制庁では、審査中の原子力発電プラントについて、約80項目ある審査の細目ごとに、進捗状況を4つのステータスに分類・整理した一覧表を随時委員会に報告しており、現在、島根2号機に関しては、地震動評価や耐津波設計方針などで幾つか論点が残されているものの、ほとんどの項目が最終ステータスの「概ね審査済み」となっている。
- 06 Jan 2021
- NEWS
-
新日本空調、原子力空調設備施工でVR技術による現場支援システム確立
新日本空調はこのほど、VR(バーチャルリアリティ)技術を活用し原子力空調設備施工に係る工事状況の確認・各種検査を遠隔で行う現場支援システムを確立したと発表した。360度撮影カメラとVRゴーグルを利用し現場状況をよりリアルに再現し共有するもの。新型コロナウイルス感染症拡大の影響により、現場への大人数での立入りが難しくなっている状況下、設計や品質管理に通じたベテラン技術者が本部に在室したまま、施行状況のチェック・アドバイスの他、作業安全や品質検査の技量向上に関する若手への指導を、タイムリーに行うことが可能となる。遠隔医療や障害者支援などにおけるVRシステム導入で実績のあるジョリーグッドとの共同で開発された同システムは、現場担当者が高性能カメラ(360度/8K)と小型簡易カメラ(360度/5.6K)を用いて予め設定されたポイントで現場状況を撮影し、データをサーバーに転送した後、本部側で専用のVRゴーグルを通じ視聴できるというもの。各自の視点に合わせ360度を見渡せるVRゴーグルは同時に10台まで接続できるほか、タブレット端末からの映像の移動やマーキングにより、VRゴーグルを装着したまま工程の要所ごとに議論することも可能。新日本空調は、戦前の満鉄特急「アジア号」の全列車客室空調に始まり、日本初の超高層ビル霞ヶ関ビルの空調設備の施工も手掛けた「空調設備のパイオニア」だ。原子力分野でも、1957年の研究炉「JRR-1」(日本原子力研究所)への施工以降、商業用原子力発電所の換気・空調でも多くの施工実績を持つ。同社は微粒子可視化に係る技術を強みとしており、最近では新型コロナウイルス感染症拡大下での劇場利用の考察に向け、楽器メーカーや音楽関連団体との協力で管楽器演奏や合唱における飛沫流動の検証実験も行っている。
- 17 Dec 2020
- NEWS