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日本はドイツよりフランスに学ぶべきではないのか?
仮にフランスの政治的目的が、ドイツが持つとされる経済的優位性を減じ、ドイツを弱体化させるための計画の一部としてユーロを創出したとするならば、結果は明らかに逆のものになっている。ドイツの競争力の向上は、即ちドイツをより強くしているのであり、弱くしているのではない。ある意味ではそれは当然、且つ不可避の帰結なのだ。何故ならば、ユーロ圏において我々は最強の経済だからである。インフレ率は相対的に低く、そして他の(欧州の)国々は、もはや通貨を切り下げることができない。2007年4月号のフォーリン・アフェアーズ誌は、ゲアハルト・シュレーダー元ドイツ首相へのデビット・マーシュ氏のインタビューを掲載していた。同元首相の発言で注目されるのは、このユーロに関する部分だ。シュレーダー元首相の首相在任期間は1998年4月7日から2005年11月22日までの7年7か月であり、その間の1999年1月1日に単一通貨ユーロが導入された。同元首相はまさにユーロ誕生の立役者の一人と言えるだろう。このインタビュー記事のことを後になって思い出したのは2012年春だったと記憶している。当時はギリシャの国家財政に関する粉飾決算が明らかになり、ユーロ危機が深刻化していた。しかし、ドイツは下落したユーロを活かしてユーロ圏外への輸出を大きく伸ばしていただけでなく、強い競争力によりユーロ圏内への輸出も拡大させたのだ。シュレーダー元首相の予言通り、フランスやイタリア、スペイン、ポルトガルなどは通貨調整で対抗することができず、ドイツは独り勝ちの状態となった。ドイツ以外にこの危機を上手く乗り切った欧州の国は、1992年のポンド危機により欧州通貨システム(EMS)からの離脱を余儀なくされ、ユーロ入りを断念した英国だけではないか。英国は怪我の功名だが、ドイツは明らかに意図を持って通貨統合を進めたと考えられる。そのドイツと英国が、足下、揃って景気低迷に見舞われた。国際通貨基金(IMF)によれば、2023年、G7でマイナス成長が想定されるのはドイツの▲0.3%のみだ(図表1)。また、英国も2021、22年の反動があり0.4%と低成長の見込みになった。両国に共通しているのは、足下、エネルギーコストの高止まりに苦しんでいることだろう。 エネルギー価格高騰が直撃したドイツ経済ハンガリーとオーストリアのエネルギー当局がフィンランドのコンサルであるvassaETTに委託して作成されている家計エネルギー価格指数(HEPI:Household Energy Price Index)の7月のレポートを使い、家庭向け電力価格をドル換算すると、英国は1kWh当たり0.47ドル、ドイツは同0.40ドルだった(図表2)。EUの平均は0.28ドルなので、両国の電力料金は欧州のなかでもかなり割高だ。また、日本は0.29ドル、米国は0.16ドルであり、イタリアも含め欧州主要3か国は国際競争力において大きな問題を抱えていると見られる。英国の場合、新型コロナ禍に加えロシアのウクライナ侵攻により、電源として約4割を依存する天然ガスの調達が滞った。また、東欧などからの人材の供給が止まって深刻な人手不足に陥るなど、Brexitの副反応によるマイナスの影響が顕在化している。さらに、国際金融市場としてのロンドンの地盤沈下も著しい。ソフトバンクグループが売却する世界有数の半導体設計会社アームは、英国企業でありながら、上場市場に米国のNASDAQ(ナスダック)を選択した。この件は、ロンドンの黄昏を象徴する出来事と言えるだろう。一方、ドイツの場合、エネルギー政策の柱として再生可能エネルギーを重視してきたことが国際的にも高く評価されてきた。しかしながら、この戦略の大前提はロシアとの緊密な関係に他ならない。ウクライナ戦争で最も重要な前提条件が崩れたことこそ、ドイツ経済を苦境に陥れた最大の要因と言えるのではないか。もちろん、ドイツ政府は手をこまねいて見ているわけではない。ロシアによるウクライナ侵攻を受けたエネルギー危機の下、2021年に1kWh当たり6.5セントだった再生可能エネルギー法(EEG)に基づく賦課金について、家庭向けは昨年前半に3.72セントへ減額、後半以降はゼロとした(図表3)。同賦課金は今年もそのままゼロで据え置かれている。また、産業用についても、EEG賦課金は家庭用同様に昨年後半から徴収が見送られた(図表4)。その結果、大口向けの電力料金は、2023年後半の0.53ユーロ/kWhから、今年は約半分の0.27ユーロへ低下している。しかしながら、燃料の調達コスト上昇が強く影響して、21年の水準に比べると高止まりの状態だ。ドイツ商工会議所は、8月29日、会員企業3,572社を対象とする『エネルギー転換バロメーター調査』を発表した。「エネルギー転換政策が企業の競争力に与える影響への評価」についての設問では、事業にとてもポジティブとの回答は4%、ポジティブが9%だったのに対し、ネガティブが32%、とてもネガティブは20%に達した。また、「国外への生産拠点の移転、または国内における生産抑制」に関しては、計画中16.0%、既に進行中10.5%、既に実施5.2%、合計31.7%が積極的な姿勢を示している。この比率は昨年と比べて倍になった。エネルギー価格の高騰、そして安定供給への不安が、ドイツの産業界に与える影響は小さくないようだ。 ドイツが抱える問題はコストだけではないドイツは、脱炭素へ向けエネルギーの転換政策を進めており、G7のなかで最も活発な取り組みをしてきたと言えるだろう。再生可能エネルギーの活用を積極的に進めると同時に、2020年7月3日には石炭・褐炭火力発電所を2038年までに全廃する法案を成立させた。この法律にはいくつかの前提条件があるものの、期限を明確にしたことは、国際社会から高く評価されている。また、アンゲラ・メルケル首相(当時)率いる内閣は、2011年6月6日、2022年までに全ての原子力発電所の運転を停止する方針を閣議決定した。東日本大震災による東京電力福島第一原子力発電所の重大事故を受けた方針転換だ。同年7月3日には、連邦議会が脱原子量法案を可決した。当時、ドイツでは17基の原子力発電所が稼働しており、2010年は総発電量の22.2%を原子力が賄っていた。この時期を設定して脱原子力の実現を目指す姿勢も、世界の環境団体などの受けが極めて良いようだ。ロシアによるウクライナ侵攻から3日後の昨年2月27日、連邦議会で演説したオラフ・ショルツ首相は、ロシア産天然ガスの依存度を低下させるため、エネルギー転換政策に関し一部を修正する意向を示した。一方、稼働していた3基の原子力発電所は、政府内での議論の末に運転が3か月半延長されたものの、今年4月15日にその全てが停止している。結果として、今年前半の総発電量に占める再生可能エネルギーの比率は51.7%となり、半期ベースで初めて50%の大台を超えた(図表5)。もっとも、再エネによる発電量は、前年同期に比べ0.7%減少している。景気停滞により総発電量が同10.9%の大幅な落ち込みとなるなか、原子力発電所の停止と共に、石炭・褐炭、天然ガスなど化石燃料による発電量が15.7%減ったことにより、全体に占める再エネの比率が向上したのだった。需要の減少によって、電力不足に陥りかねないリスクが糊塗されたとも言えるだろう。しかしながら、価格高騰を抑止することは出来ていない。ドイツのエネルギー政策が抱える問題は、価格の問題だけではなく、重視してきた温室効果ガス削減の取り組みでも深刻度を増しているのではないか。G7において1kWhの発電量に伴い排出されるCO2の量は、昨年、フランスが最も少なく85グラムだった(図表6)。また、石炭比率の高い日本は495グラムに達している。一方、脱化石燃料で優等生とされるドイツは385グラムであり、意外にも小幅ながら米国やイタリアの後塵を拝する状況だ。再エネにこれだけ注力して国際社会の賞賛を浴びながら、実は現段階におけるドイツの温室効果ガス排出量削減がかならずしも主要国において先行しているわけではない。今後、自動車のEV化が進むことが想定されるなかで、発電時の温室効果ガス排出量の重要性はさらに高まるだろう。ドイツの心中は穏やかではないはずだ。フランスとドイツの最大の違いは、原子力政策に尽きる。昨年、総発電量に占めるドイツの原子力発電の比率は6.0%だ。一方、フランスは62.7%に達していた。同国の再生可能エネルギーは26.3%を占めているので、クリーン電源の比率が総発電量の89.0%に昇る。今も石炭・褐炭に3割弱を依存するドイツとは大きな違いと言えよう。 ドイツを教訓とする日本のエネルギー政策日本ではドイツを脱化石燃料において最も進んだ主要国と捉える風潮がある。しかしながら、率直に言ってそれは間違っているのではないか。ベースロードに安定性の高い原子力を利用し、再エネとの相互補完関係を重視してきたフランスの方が、コスト、効果の面で明らかに先進的と言えるだろう。2021年9月26日の総選挙において、ドイツではショルツ首相率いる中道左派の社会民主党(SPD)が第1党になり、中道右派の自由民主党(FDP)、中道左派の同盟90/緑の党と3党で連立内閣を発足させた。新政権では、反原子力を主要政策に掲げる同盟90/緑の党のロベルト・ハーベック氏が副首相兼経済・気候保護大臣に就任、エネルギー政策は非常に柔軟性を欠く状況になっている。従って、ロシアによるウクライナ侵攻があっても、脱原子力の原則を曲げなかった。その結果、電力価格が高騰して産業競争力に負の影響を及ぼし、IMFによる2023年の経済見通しではG7で唯一のマイナス成長とされている。再生可能エネルギーが極めて重要な電源であることは間違いない。ただし、風力、太陽光は今のところ安定性に欠け、ベースロードとしての活用には限界がある。そうしたなか、原子力発電所を止めたことにより、ドイツは結局のところベースロードを石炭・褐炭、天然ガスに依存せざるを得なくなったと言えよう。再生可能エネルギーの積極活用でEUにおける環境優等生と称賛されていたドイツだが、足下はコストの抑制と脱炭素の両面でエネルギー政策の行き詰まりが隠せなくなった。しかしながら、統一通貨ユーロを採用した以上、景気が落ち込んでも、通貨安を利用して輸出で経済を建て直すことは出来ない。このままだと、少なくとも当面、ドイツは経済の停滞が避けられないのではないか。ちなみに、シュレーダー元首相は、昨年5月20日、ロシアの国営石油会社ロスネフチの取締役を退任、同24日にはガスプロムの監査役就任を辞退したことが伝えられた。連邦議会内に与えられた個人事務所の特権を議会から剥奪されるなど、ドイツ国内において厳しい批判に晒されている模様だ。SPDのシュレーダー元首相、キリスト教民主同盟(CDU)のメルケル前首相、この2人の治世は合計23年1か月に及んだ。所属する政党は異なるものの、ドイツの政権を長期に亘って担った2人のリーダーに共通していたのは、ロシアのウラジミール・プーチン大統領との強い信頼関係に他ならない。従って、再エネ重視、脱石炭・褐炭、脱原子力を基軸とするドイツのエネルギー政策は、ロシアから大量の天然ガスを安価に直接調達することを大前提としていた。だからこそ、ドイツはロシアと同国を結ぶ天然ガスのパイプライン、「ノルドストリーム」及び「ノルドストリーム2」を重視してきたと考えられる。シュレーダー元首相は、政界引退後、ロシアの世界的なエネルギー企業に職を得た。また、2021年7月、任期中における最後の訪米でホワイトハウスを訪れたメルケル前首相は、ジョー・バイデン大統領との会談において、「ノルドストリーム2」の利用開始を米国が容認するよう強く求めたと言われる。この時、バイデン大統領は、メルケル首相に押し切られた形で実質的なお墨付きを与えた。しかしながら、ロシアによるウクライナ侵攻により、この2人の偉大な首相が築き上げたドイツのエネルギー政策に関するシナリオは根本的に崩れた。経済を持続的に回復させるためには、エネルギー政策の立て直しは避けられないだろう。これは、日本のエネルギー政策にとって極めて重要な教訓と考えられる。国家安全保障、経済安全保障、そして経済合理性の観点から、エネルギーの調達を他国に過度に依存するのは極めて危険だ。この点において、日本が参考とすべきはドイツではなく、明らかにフランスなのである。脱炭素は人類共通の課題となった。再生可能エネルギー、原子力の組み合わせを軸として、将来における水素・アンモニアの活用へ準備を進めること、これこそが日本のエネルギー政策が歩むべき王道と言えるのではないか。
- 18 Sep 2023
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世界の「環境危機時計」 昨年より“4分戻る”
旭硝子財団は9月6日、世界の政府・自治体、NGO・NPO、大学・研究機関、マスメディアなどの環境問題に関わる有識者らを対象に行った「地球環境問題と人類の存続に関するアンケート」の結果を発表した。〈旭硝子財団発表資料は こちら〉1992年以来、毎年実施されている同調査は、今回で32回目。2023年4~6月、アジア地域を中心とする国内外約30,000人に調査票を送付し、約1,800件の回答を得たもの(回収率6.1%)。その結果、2023年の「環境危機時計」の時刻は「9時31分」で、2011年以来、針が進む(危機感が進行)傾向にあったが、2021年から3年連続で針が戻り(危機感が解消)、2022年の調査との比較では4分針が戻った。調査対象者は、気候変動、人口、食糧など、地球環境の変化の指標となる9つの項目に基づき、人類存続の危機に関する認識の度合いを、0~12時までの時刻に置き換え回答。「殆ど不安はない」(0~3時)、「少し不安」(3~6時)、「かなり不安」(6~9時)、「極めて不安」(9~12時)というイメージだ。調査結果は、「環境危機時計」と称され、地球環境問題の関心喚起・解決策に資するものとなる。地域別にみると、2022年に比べ、南米、西欧、中東では10分以上針が戻ったが、メキシコ・中米・カリブ諸国、東欧・旧ソ連では20分以上針が進んだ。ウクライナ情勢が影響しているものとみられる。日本は、世界全体と同じ「9時31分」で、前回に比べ2分針が戻った。年齢層別には、60代以上が「9時46分」、40~50代が「9時36分」、20~30代が「9時19分」で、年齢が高いほど針が進んでいる傾向がみられた。また、環境問題への取組に対する改善の兆しを探るべく、パリ協定、SDGsが採択された2015年より以前と比較し「脱炭素社会への転換は進んでいると思うか」を尋ねたところ、「政策・法制度」や「社会基盤(資金・人材・技術・設備)」の面は、「一般の人々の意識」の面ほど進んでいない、との結果が示された。さらに、SDGsへの関心については、「日々の生活で関心を持っている目標」として、「目標13 気候変動に具体的な対策を」、「目標3 すべての人に健康と福祉を」、「目標7 エネルギーをみんなにそしてクリーンに」、「目標15 陸の豊かさを守ろう」が多くあげられ、「目標7 エネルギーをみんなにそしてクリーンに」は、アジア、東欧・旧ソ連で多く選ばれていた。「世界の問題として関心が高い目標」としては、「目標13 気候変動に具体的な対策を」が、すべての国・地域で群を抜いて最も多く選ばれていた。同財団では、合わせて、国内外の一般生活者を対象とした環境危機意識調査の結果も発表している。
- 11 Sep 2023
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JAEA・英NNL 高温ガス炉実証炉で覚書締結
日本原子力研究開発機構(JAEA)と英国原子力研究所(NNL)は9月6日、英国高温ガス炉実証炉プログラムの基本設計に係る実施覚書を締結した。同覚書のもと、日英両国における高温ガス炉の導入を目指した研究開発、原子力サプライチェーン構築、人材育成に関して協力が進められることとなる。調印式は、西村康稔経済産業相の英国訪問を機に、同国クレア・クティーニョ・エネルギー安全保障・ネットゼロ(DESNZ)相の立ち合いのもとで行われた。〈JAEA発表資料は こちら〉英国政府は、カーボンニュートラルの達成に向け、電力分野では軽水炉、非電力分野では革新炉として高温ガス炉を選択し、昨秋より高温ガス炉実証炉プログラムを開始。同プログラムは、フェーズA(事前概念検討、2023年2月終了)、フェーズB(基本設計、2025年終了予定)、フェーズC(許認可・建設、2030年代初期運転開始予定)と、進められる運びで、DESNZは7月に、フェーズBの事業者として、JAEAとNNLによるチームを採択。合わせて、DESNZは高温ガス炉実証炉用の燃料開発プログラムの開始を公表しており、JAEAはNNLと連携し、英国における燃料製造技術開発を進めていく。JAEAは高温工学試験研究炉「HTTR」(熱出力30MW、2021年7月に再稼働)の開発実績を有している。「HTTR」の核となる技術は世界有数の国産技術で、例えば、原子力用構造材として世界最高温度950℃で使用できる金属材料は国内メーカーによるものだ。今後、JAEAは、NNLと連携し、日本の高温ガス炉技術の国外実証、英国での社会実装を進め、国内の実証炉計画にも活かしていく。
- 07 Sep 2023
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インバウンド復活を手放しで喜べるか?
“I want my shirts laundered like they do at the Imperial Hotel in Tokyo.”(このシャツを東京の帝国ホテルがしたよう洗ってくれ)これは映画の台詞である。1995年に公開された米国とカナダのSF映画『JM』の中で、主演のキアヌ・リーブスによるアドリブだ。帝国ホテルに宿泊した際、クリーニングサービスの質に感激したリーブスが撮影の際に口走り、ロバート・ロンゴ監督がそのまま採用したと言われている。その帝国ホテルだが、最近、外国人の評判があまり良くない。「東京でどこに泊まれば良いか」と聞かれた際、何人かに推してみたのだが、しばらくすると異口同音に「違うホテルに決めた」と外資系の名前を言われてしまった。理由は、価格である。高過ぎるのではなく、安過ぎるのだ。海外で人気の旅行サイトを調べたところ、帝国ホテルの宿泊料金はスタンダードのツインルームで1泊400~450ドル程度である。一方、直ぐ近くにあるペニンシュラ東京の場合、970ドルだった。ニューヨークやロンドンなど、世界の主要都市では、ホテルの高級ホテルのルームチャージは1泊1,000ドルが当たり前だ。円安の影響もあるが、価格を見て、あまりに安過ぎるとの印象から、東京のホテル事情に詳しくない外国人から帝国ホテルは一流と見做されず、敬遠されてしまっているのではないか。一方、日本をよく知る外国人は、むしろサービスの質が極めて高く、彼らの感覚で割安に感じる帝国ホテルを選んでいるようだ。JMが公開された1995年は、まだ日本がデフレ期に入ったばかりの時期だった。為替の平均レートは1ドル=94円08銭であり、帝国ホテルの宿泊料金は海外主要都市の高級ホテルと比べて遜色なかったのだと思う。20年以上のデフレに加え、最近の円安で日本は多くのモノ・サービスが訪日外国人の感覚では割安になっているのだろう。問題は外国人が「高級」と考えるレベルに日本のホテルが値上げをした場合、日本人から敬遠されかねないことである。訪日外客は回復しつつあるものの、東京都心部のホテルでも宿泊者の多くは日本人であるため、その価格に関する感覚を無視することはできない。この問題は、働く人の賃金や生産性に関わるため、非常に重い課題と言えるのではないか。 新型コロナに打ち克ったことを象徴する訪日外客の回復昨年10月11日、海外から日本に入国する際の水際対策が大幅に緩和され、1日5万人とされていた入国者の上限が撤廃になった。それ以降、訪日外客は回復に転じている(図表1)。4月中旬の平日、京都駅八条口(新幹線口)からタクシーに乗ろうとしたところ、概ね200名ほどが列を作っており、一見するとその約7、8割が外国人だったことに驚いた。さらに、4月29日に水際対策が完全に解除され、5月8日には新型コロナが感染症法上の第2類相当から第5類に見直されている。日本政府観光局によれば、7月の訪日外客は232万1,000人であり、新型コロナ禍前の2019年7月に対して78.6%まで回復した。今年1~7月の総計だと1,303万3,000人で、2019年の同期比で66.4%だ。このうち、韓国が357万5,000人で2019年の同期に対し84.9%、台湾は219万3,000人で同74.6%になっている。一方、2019年に959万4,000人が訪日した中国は、今年1~7月の累計で90万8,000人、2019年の同期対比で16.3%に止まった。中国政府は8月10日までドイツ、オーストラリアなどに加え日本への団体旅行を禁じていたことから、その影響が大きいのだろう。厳しい日中関係も要因と推測される。日本を訪れる外国人が急増したのは2012年からだった。2011年3月の東日本大震災が、日本を見直す重要な契機となったと見られる。また、2012年12月26日に第2次安倍内閣が発足、さらに日本への関心が高まったことが背景と言えそうだ。日本政府も積極的に観光をアピール、2016年3月には、安倍首相を議長とする『明日の日本を支える観光ビジョン構想会議』において、成長戦略の柱に観光業の育成を据え、訪日外客数の目標を従来の「2020年に2,000万人、2030年に3,000万人」から、「2020年に4,000万人、2030年に6,000万人」へと大きく上方修正したのである。2019年の訪日外客は3,188万人となり、7年連続で史上最多を更新した(図表2)。当初は東京、京都、そして北海道など外国人観光客の訪問先は一部の地域に集中していたものの、リピーターが増えるに連れ、全国各地を外国人観光客が訪れるようになったようだ。もっとも、2018年の伸びは前年比8.7%、2019年も2.2%に止まっている。空港、ホテルなど関連施設のキャパシティが限界に近付いたことが要因の1つだろう。2020年に開催予定だった東京オリンピックへ向け、東京、京都などでは大型ホテルの計画が相次いだ。もっとも、順調に開業できても、人材確保には苦労したと見られる。そうしたなか、2020年春以降は新型コロナ禍に見舞われ、国際的に人の移動を止めざるを得ない時期が続いた。訪日外客の再拡大は、経済を正常化させる上での起爆剤であると同時に、人類が新型コロナに打ち克った証とも言えるのではないか。 ボトルネックとなる人手不足「インバウンド消費」と呼ばれる訪日外客による国内での財、サービスの購入は、一般に日本の居住者による「消費」と同様に位置付けられることが多い。しかしながら、GDPなど国民経済計算の上で、訪日外客は「非居住家計」とされる。この非居住家計が日本国内で財やサービスを購入した場合、それは消費ではなく「非居住家計による国内での直接購入」であり、統計上は輸出として計上されなければならない。経済の専門家にも消費として説明しているケースが見られるが、それは厳密には間違いだ。少なくとも訪日外客の購買活動がGDPの個人消費に直接影響することはないのである。当然、訪日外客数と非居住家計の国内での直接購入には密接な関係が示されてきた(図表3)。2019年は3,188万人の外国人が日本を訪れたが、非居住世帯の国内での直接購入は4兆4,708億円に達している。これは、同年の実質GDPの0.8%だった。新型コロナ禍による水際対策により、この直接購入分は2020年に1兆165億円、2021年には4,873億円へピーク時の10分の1まで落ち込んだことから、訪日外客の回復は当面の日本経済にポジティブな影響を及ぼすことになるだろう。個人的な意見だが、街に多くの人がいるだけで、日本人の消費者心理にもインパクトがあると思う。ただし、インバウンドで持続的に経済を成長させるには、2つの大きな課題があるのではないか。1つ目の課題は労働力の不足だ。都心の有力ホテルですら、現状、少なくとも一部の施設に関してフル操業に至っていないケースが少なくない。ホテル関係者の方に話しを聞くと、十分な人材が揃わないことが主な要因とのことである。宿泊・飲食サービス業の従事者は、2000年代初頭に大きく減少した(図表4)。訪日外客の急増に伴い、2010年代後半に回復へ向かったが、それでも2000年度を基準にすると2019年度は93.4%だった。新型コロナ禍の下、2021年度は83.1%になっている。訪日外客の増加に加え、日本人、在留外国人も国内旅行に積極的であり、持続的にインバウンド需要の増加に応えられる人材を揃えるのはかなり難易度が高いだろう。この人材問題はマクロ的な供給制約であり、物理的なインフラの限界と共にインバウンドによる経済成長を阻害する要因だ。 持続的な成長の阻害要因となる低生産性インバウンドによる経済成長へ向け、人材の確保以上に大きな問題は、関連産業の中核である宿泊・飲食サービス業の低い生産性だ。新型コロナ禍前の2019年度、全産業の労働生産性、即ち労働者が1時間に稼ぎ出すGDPの額は4,741円だった。これに対して、宿泊・飲食業は平均の63.4%に相当する3,006円である(図表5)。この低い生産性を放置すれば、仮に観光産業が訪日外客の増加に対応し得る十分な人材の確保ができたとしても、従事者が増えれば増えるほど日本全体の生産性が低下しかねない。一方、生産性を急速に高めようとすれば、訪日外客を日本に惹き付けている「おもてなし」が蔑ろになり、むしろ日本の魅力が低下する事態も想定される。これは大きなジレンマと言えるだろう。国の潜在成長率は、「労働投入量の伸び+資本投入量の伸び+生産性の改善率」である。生産人口の減少が避けられないなかで、日本は働き方改革により1人当たりの総労働時間も減少傾向だ。つまり、「労働者数×労働時間」で求められる労働投入量は趨勢的な低下が予想される。従って、生産性の持続的な改善が極めて重要だ。言い換えれば、生産性の低下は経済の縮小均衡を加速させる要因であり、是が非でも避けなければならない。ちなみに、主要先進国では、国別に見た労働生産性と年間平均所得の間に統計的な正の相関関係が認められる(図表6)。つまり、日本の賃金水準がG7で最も低いのは、日本経済の生産性が低いことで理論的に説明できるのだ。ここからさらに生産性の低い産業を伸ばして一時的にGDPを膨らまそうとすれば、賃金が上がらずに国内での消費が減衰し、結局、逆効果になるリスクが高い。ITなどテクノロジーの分野で国際競争力を失いつつある日本にとって、インバウンドは経済を成長させる魔法の杖のように見えかもしれない。しかしながら、現実的に考えると、インバウンドによる自足的な経済成長のハードルが低いわけではないのである。 日本経済の生産性を上げる方法インバウンドを伸ばすにしても、サービスの質を維持しつつ、関連産業の生産性を如何に高めるか、これには知恵を絞る必要がある。例えば、日系高級ホテルの宿泊単価を引き上げ、海外主要都市と遜色ない水準とすることだ。また、外資系の超高級ホテルを誘致することも考えられよう。さらに、大阪の夢洲(ゆめしま)で計画されている特定複合観光施設(IR)も単価の引き上げに貢献する可能性がある。ただし、それでもインバウンド関連全般に関する生産性の劇的な改善には不十分である可能性は否定できない。むしろ、限られた人材の教育水準を上げ、相対的に生産性の高い情報通信関連や製造業へ集中的に投入する覚悟が必要だろう。雇用の流動化と産業の新陳代謝、科学・技術分野への十分な投資も欠かせない。そしてもう1つ重要な点は、海外に払うコストを可能な限り引き下げ、原価率の改善によって日本で生まれる付加価値を高めることだ。特に重要なのはエネルギー自給率の向上である。2022年、石油、天然ガス、石炭の輸入総額は33兆4,179億円、日本の総輸入額の28.3%に達した。一方、訪日外客が過去最多だった2019年、宿泊・飲食サービス業の産み出したGDPは13兆8,366億円である。もちろん、インバウンドは宿泊、飲食だけが恩恵を受けるわけではない。ただし、化石燃料の輸入コストが極めて大きいことは明らかだ。極論すれば、再生可能エネルギーと原子力で全電力を賄い、オール電化と自動車のEV化を進めた場合、この輸入コストを大幅に削減できるだけでなく、日本経済はカーボンニュートラルへかなり近づくだろう。多くの産業において生産性が改善するはずだ。もちろん、これは極端な例である。しかしながら、それくらい思い切った手を打たない限り、人口減少下において経済成長を維持するのは難しいのではないか。
- 25 Aug 2023
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日本総研 中学~大学生対象にサステナビリティの意識調査
日本総合研究所は8月10日、国内の中学生、高校生、大学生計1,000人を対象として、2022年11~12月に実施したサステナビリティなどに関する意識調査の結果を発表した。毎年8月12日に行われる「国際青少年デー」に合わせて発表したもの。調査はウェブアンケートで行われ、中学生300人(男子150人、女子150人)、高校生300人(同)、大学生400人(男子200人、女子200人)から有効回答を得た。同研究所では2020年にも同様の調査を行っている。今回の調査結果によると、国内や海外の環境問題や社会課題に「関心がある」という人は全体の43.5%で、前回調査と大きな変化はないが、関心の内容については変化がみられた。前回調査では、コロナ感染拡大期と調査時期が重なったこともあり、「気候変動・温暖化」、続いて「医療・健康・感染症対策」への関心が高く、今回調査では、「人権(ハラスメント・いじめ・虐待・不登校・人種差別等)」への関心が最も高かった。「最も関心のある環境問題や社会課題」として、「気候変動・温暖化」と回答した割合は、大学生男子で4.0%、同女子7.5%、高校生男子4.7%、同女子5.3%、中学生男子12.7%、同女子8.7%。「エネルギー問題(化石燃料等の枯渇、その他)」と回答した割合は、大学生男子6.5%、同女子2.5%、高校生男子2.7%、同女子4.0%、中学生男子4.0%、同女子3.3%だった。女子では、「ジェンダー平等、ダイバーシティ、LGBTQへの配慮」をあげる割合が、同世代の男子と比べ格段に高かった。また、環境問題や社会課題の役に立ちたいか尋ねたところ、「そう思う」という人は52.0%と、約半数に上ったのに対し、日頃、社会貢献活動などをしている人は21.3%にとどまり、若者の「社会課題の解決意欲と行動とのギャップ」が浮き彫りとなった。この傾向は、前回調査でも同様にみられている。SDGsの認知に関しては、前回調査と比較し、「よく知っている」、「多少は知っている」と回答した割合は全体の44.2%から73.4%に大きく上昇。高校生・大学生では8割以上が「知っている」と回答していた。最も関心のあるSDGsの17目標としては、全世代で「目標1 貧困をなくそう」、「目標3 すべての人に健康と福祉を」をあげた人が多かった。「目標7 エネルギーをみんなにそしてクリーンに」と回答した割合は、大学生男子5.5%、同女子2.5%、高校生男子3.3%、同女子2.7%、中学生男子7.3%、同女子3.3%。「目標13 気候変動に具体的な対策を」と回答した割合は、大学生男子7.0%、同女子6.0%、高校生男子5.3%、同女子5.3%、中学生男子14.0%、同女子9.3%だった。同世代で女子の回答割合が格段に高かったのは、「目標5 ジェンダー平等を実現しよう」(大学生・中学生)、「目標6 安全な水とトイレを世界中に」(中学生)だった。SDGsに対する考えに関しては、全体の60.3%が「世界で達成するべき重要な目標」と思っているものの、「目標としている2030年に達成できそう」と考える人は全体の15.9%にとどまっていた。この他、同調査では、企業の政策提言、経営戦略、人材育成に資するべく、金融・経済教育、キャリア意識・結婚観に関しても調査・分析を行っている。
- 21 Aug 2023
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残余者利得をもたらす原油の最新事情
一口に原油価格と言っても、産地や油田、生産方法によってその成分には大きな違いがある。従って、価格にも差が生じて当然だ。一般にガソリンやナフサの精製に適した軽油質を多く含む原油の価格は高く、アスファルトや船舶燃料用の重油質の成分が多ければ相対的に安価である。ニュースなどで報じられる原油価格は、ニューヨーク・マーカンタイル取引所(NYMEX)での先物価格が使われることが多い。この原油先物は中東産ではなく、米国のテキサス州沿岸部を中心に産出されるウエスト・テキサス・インターミディエイト(WTI:West Texas Intermediate)を対象としている。軽質低硫黄原油であるWTIは、2010年頃まで中東産原油の価格を上回る時期がほとんどだった。しかしながら、シェール革命により米国の産油量が急増した2010年代に入ると、サウジアラビア産原油の代表的油種であるアラブライトなどの価格がWTIを上回る状況が続いている(図表1)。ちなみに、NYMEXの先物取引は、最終決裁について、差金決済ではなく現物決済で行わなければならない。つまり、先物の最終取引日には、受け渡し場所として指定されたオクラホマ州クッシングの貯蔵施設において、買い手が売り手から原油を受け取る決まりだ。2020年3月には、新型コロナの感染第1波により原油需要が急減するなか、クッシングの石油貯蔵施設の容量が限界に達するとの観測が台頭、タンクの確保に巨額の費用を要するとの見方から、WTI先物価格が一時マイナスになる異常な状態になった。結局、クッシングの貯蔵施設から原油が溢れることはなかったものの、WTI原油先物の買い手は万が一のリスクを考えなければならない。それもあって、過去1年間で見ると、アラブライトのスポット価格はWTI先物価格を8.60ドル上回っている。足下、WTI原油先物は1バレル=70~75ドル程度での推移だ。一方、IMFが5月に発表した経済見通しによれば、サウジアラビアの財政収支が均衡する原油価格は80.9ドルと推計されている。日々のニュースを見る限り、今の原油価格はこの水準を下回っているように感じるものの、それはあくまでWTI原油先物に他ならない。アラブライトは80ドル台前半で推移しており、サウジアラビアを中心とするペルシャ湾岸の主要産油国にとって、今の原油価格は許容できる範囲内にあると言えるのではないか。OPEC13か国及びロシアなど非OPEC10か国で構成するOPECプラスは、この水準を維持できるよう需要動向を見極めつつ生産割当てを調整すると見られる。 中東で高まる中国の存在感2022年3月、原油価格はWTIで123.70ドル、アラブライトだと134.44ドルの高値を記録している。新型コロナの感染が世界に広がった2020年春以降、OPECプラスは協調して大幅な減産を行った。その結果、世界経済が正常化する過程で需要が急拡大し、需給バランスが崩れたことが主因だ。さらに、資源大国であるロシアがウクライナへ侵攻、安定供給への懸念から化石燃料価格が軒並み急騰したのである。資源消費国は資源主導型のインフレに直面、2022年6月における米国の消費者物価上昇率は前年同月比9.1%に達している。ジョー・バイデン大統領はサウジアラビアなどに増産を要請したが、OPECの中核である中東主要産油国の対応は厳しいものだった。原油価格が急落した際、世界最大の産油国となった米国が十分な減産に応じず、OPECプラスが苦境に立たされたことへの仕返しとも言えよう。もっとも、主要産油国側も価格の高止まりを望んでいたわけではないと見られる。地球温暖化問題が深刻化するなか、原油、天然ガス価格の高騰が続けば、消費国における脱化石燃料化が加速し、産油国は自らの首を絞めることになりかねないからだ。OPECプラスの関心は、原油価格をアラブライトで80ドル程度に維持することにあると考えられる。そうしたなか、当面の原油価格に下押し圧力が強まる可能性は否定できない。理由は中国経済の減速懸念だ。当然のことながら、原油のマーケットは景気と強く連動してきた。1960年以降、世界の実質GDPと原油需要の間には統計的な正の相関が見られる(図表2)。ただし、これまでは大雑把に4つの局面に分けられるのではないか。第1の局面は第2次石油危機までの約20年間だ。先進国を中心とした経済の急成長に対して、原油需要が鋭角的に拡大した。第2の局面は第2次石油危機からリーマンショックまでであり、世界経済の安定成長の下、原油需要の伸びも高度経済成長期と比べてなだらかになっている。さらに第3の局面は、リーマンショックから新型コロナ禍までだ。地球温暖化問題への対応を迫られるなか、省エネ化や代替エネルギーの開発が進み、経済成長に対応した原油需要の伸びはさらに減速した。現在は第4の局面にある。新型コロナ禍を経て、先進国を中心に脱化石燃料化の動きは画期的に速まったのではないか。ちなみに、2021年における世界の原油および石油製品の純輸入量は日量3,813万バレルであり、その29.9%に相当する1,139万バレルを吸収したのが中国だった(図表3)。同国は399万バレルを生産する主要産油国の1つでもあるが、国内の供給だけでは旺盛な需要を賄えなかったわけだ。かつて世界最大の原油輸入国であった米国は、シェール革命により産油量がサウジアラビアを抜いて世界最大になった。その結果、2021年の純輸入量は日量69万バレルに止まっている。米国が外交・安全保障政策の両面で中東への興味を失ったのは、原油の依存度が大きく低下したからだろう。一方、中国にとり、14億人の経済を支える上で、中東およびロシアの資源は生命線とも言える状況だ。1978年9月、米国のジミー・カーター大統領の仲介により、エジプトのアンワル・サダト大統領とイスラエルのメナヘム・ベギン首相が米国メリーランド州の大統領山荘で3者会談を行い、和平への取り組みで歴史的な合意に達した。大統領山荘の名前を取り、『キャンプデービッド合意』と呼ばれている。今年3月10日、サウジアラビアとイランは国交を回復したが、その会談が行われたのは北京だ。サウジアラビアのアル・アイバーン外相、イランのアリー・シャムハーニ国家安全保障最高評議会書記と共に喜色満面で署名式に臨んだのは、中国共産党の王毅中央委員会政治局員だった。これは、中東における米国と中国のプレゼンスの変化を映す象徴的な例に他ならない。同時に中国経済が今後も中東に大きく依存し、主要産油国との関係を重視せざるを得ない事情も示しているのではないか。逆から考えれば、中東主要産油国にとり、最重要顧客は米国から中国へ換わったのである。従って、今後の原油の国際市況を考える上で、中国の影響は極めて大きいと言えるだろう。その中国経済だが、今年4月、IMFは世界経済見通しにおいて2023年の成長率を昨年10月の4.4%から5.2%へ引き上げた。ゼロコロナ政策が昨年末になし崩しながら解除され、経済の正常化が進んでいたことが背景である。もっとも、このところ、中国の景気には再び不透明感が台頭している。無理な不動産開発が全土で行き詰まり、地方政府の隠れ借金への懸念が高まった。また、国家統計局が発表した6月の雇用統計によれば、都市部における16~24歳の失業率は21.3%に達している。中国人民銀行は、6月20日、事実上の政策金利である1年物、5年物のローンプライムレート(LPR)を0.1%ポイント引き下げた。中国の原油需要量も実質GDPの伸びに連動する(図表4)。ポスト・コロナ期における経済の正常化効果が一巡するなか、今後、成長率が下方修正される可能性は否定できない。その場合、世界最大の石油消費国において需要が伸び悩むとの観測から、原油の国際的な需給関係に影響が及ぶものと見られる。 当面の原油価格は安定へOPECプラスは、6月4日、ウィーンにおいて第35回閣僚会議を開催、2024年における生産割当量を日量4,046万バレルとした。これは、昨年10月に決めた2023年の生産枠である同4,186万バレルを140万バレル下回る水準だ。さらに、サウジアラビアのアブドル・アジズ石油相は、7月に関し自主的に100万バレルを追加減産すると表明した。5月における同国の生産量は998万バレルであり、OPECプラスの割当量を50万バレル下回っていた(図表5)。価格を維持する、強い意欲を示したと言えるだろう。イラク、UAE、クウェートなど他の湾岸主要産油国の産油量も割当量を下回っており、実質的な自主減産で足並みを揃えている模様だ。ただし、中国経済の先行き不透明感から、大きく原油価格を押し上げるには至っていない。他方、昨年12月5日よりG7、EU、豪州はロシア産原油の輸入価格に関し60ドルの上限を設定した。現在、同国の代表的な油種であるウラル産原油の価格はこの上限価格近辺で推移している(図表6)。中東産原油との価格差が大きいため、一定の需要があるからだろう。中国、インド、トルコなど対ロシア政策で西側主要先進国と一線を画す国は、ロシアからの資源調達を増やしている模様だ。ただし、それはロシアを支援すると言うよりは、自国の物価を安定させるため、ロシアの足下を見る形で安く買い付けているのではないか。ロシアによるウクライナ侵攻以降の中国の基本的な姿勢は、少なくとも表面的にロシアへの友好的な態度を示すことで、実はロシア産資源を買い叩くビジネスライクな戦術と言えるかもしれない。戦争継続のため戦費の調達を迫られるロシアとしては、それが分かっていたとしても、中国、カザフスタンなど中央アジア諸国、さらにはトルコやインドを通じて資源輸出を継続し、外貨を稼ぐ必要があるのだろう。OPECプラスは、サウジアラビアを中心に今後も価格の維持を重視すると見られる。原油市況がさらに下落すれば、主要産油国が一段の減産を行う可能性が高い以上、当面、原油価格はWTI先物ベースで70ドル台、アラブライトで80ドル台を中心とした推移になるのではないか。この水準が続く場合、年内は前年同月比で原油価格はマイナスの状態が続くだろう。消費者物価の関連指標は原油価格の動きに3~6か月程度遅れる傾向があるため、来年春頃までは、エネルギー価格が日米欧の物価を押し下げる方向へ機能すると見られる。 二兎を追わなければならない日本長期的に考えた場合、原油価格が再び上昇する可能性は否定できない。世界的な脱化石燃料化の流れにより、新たな油田の開発投資が抑制される結果、少なくとも一定期間、需要と供給のバランスが崩れる可能性があるからだ。2010年代に入り、原油市場を大きく変化させたのは米国のシェール革命だった。世界最大の原油輸入国がわずか10年で世界最大の産油国になった結果、中東産の原油が余剰になり、「逆オイルショック」と呼ばれた大幅な価格の下落を招いたのだ(図表7)。その米国の産油量だが、2020年3月に過去最大となる日量1,310万バレルへ達したものの、新型コロナ禍の感染第1波の影響で同年8月には970万バレルまで落ち込んだ。その後、回復に向かったが、現在は1,230万バレル程度で伸び悩んでいる。シェール・ガス、オイルの有望な鉱床が少なくなったことに加え、ジョー・バイデン政権による環境重視の政策が影響しているのではないか。昨年3月にはWTI原油先物が一時120ドル台となり、米国のインフレが深刻化するなか、バイデン政権は国家備蓄の放出を開始した。その結果、2020年7月に21億バレルに達していた米国の原油在庫は、今年3月末に16億バレルを割っている。これ以上の在庫減少は安全保障に関わるため、備蓄の取り崩しは既に終了した。米国、日本、そして欧州の主要国が軒並み2050年までのカーボンニュートラルを宣言するなか、石油の需要は趨勢的に減少するだろう。原油は探鉱を含めて開発期間が長く、初期投資が非常に重いため、需要先細りの環境下で事業者は設備投資を抑制せざるを得ないと考えられる。価格の上昇期にも米国で原油生産が伸びなかった要因の1つである。中東の主要産油国も同様で、特に産油量の少ない国は既存の油田が枯渇すれば撤退も有力な選択肢になった。一方、原油需要が直ぐに激減するわけではない。中国が不透明要因ではあるものの、世界経済の成長に沿って一時的に原油の消費が増加する局面もあると考えられる。その場合、どこかのタイミングで需要と供給のバランスが崩れ、再び原油価格が急騰、かなりの期間にわたって高止まりするシナリオは十分に起こり得る。サウジアラビアなど主要産油国は、そうした状況下で十分な利益を確保できるよう、長期的な戦略を実践しているのではないか。つまり、価格の上昇を抑えて米国のシェールオイルを含め新規の油田開発を抑え込み、需要国の脱化石燃料化加速を防ぐ一方で、自国の財政収支が悪化しない水準に原油価格を誘導する需給調整である。そうした中、世界経済が次の力強い成長サイクルに入れば、原油をはじめとする資源価格が再びインフレの主役に躍り出る可能性は否定できない。つまり、有力産油国は最後の儲けのチャンスとして残余者利得を得るわけだ。資源のない日本は、国際社会がインフレの時代に突入したとの認識をしっかり持ち続ける必要がある。さらに、再生可能エネルギー、原子力、そして水素・アンモニアの活用により、脱炭素とエネルギーの安定供給の二兎を追わなければならないだろう。
- 08 Aug 2023
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気候変動への対応はもはや待ったなし
今年の東京地方は梅雨明け前から連日の猛暑になった。都心部における7月の平均気温の過去最高は、2001年、2004年に記録した28.5℃だが、今年はそれを更新する可能性がある。気象庁にデータの残る1876年以降、東京都心部の年平均気温は10年に0.2℃のペースで上昇してきた(図表1)。具体的には、1876年から20年間の平均気温は13.9℃だが、2022年までの10年間だと16.4℃だ。温暖化は着実に進みつつあると言えるだろう。日本全国では、九州、中国、そして東北地方において梅雨前線の停滞による記録的大雨があった。豪雨災害に関する報道によると、被災地域において多くの方が異口同音に「経験のない降水量」に言及されていたのが印象に残る。今年は6月にも和歌山、三重、愛知、静岡の各県を中心に激しい豪雨が発生した。1時間に50㎜以上の非常に激しい雨の発生件数は、年毎に大きな振幅があるものの、趨勢として増加基調にある(図表2)。2018年以降の5年間では、2018年7月の西日本豪雨、2019年8月の九州北部豪雨、同9月の台風15号、19号、2020年7月の熊本豪雨、2021年7月の熱海市豪雨、同8月の西日本豪雨、2022年8月の東北地方豪雨、同9月の台風14号、15号など、「これまでにない」、「記録的」と表現される水害が続いた。国土交通省によれば、2017~2021年の5年間、水害による被害額は年平均1兆300億円に達する。その前の5年間が同3,805億円なので、一気に3倍になったわけだ。これは看過できない規模の経済的損失と言えるだろう。天気予報において、「線状降水帯」との言葉を初めて使用したのは、加藤輝之気象庁気象研究所台風・災害研究部部長、吉崎正憲大正大学教授(※いずれも2023年7月現在の役職)が執筆、2007年1月に出版された『豪雨・豪雪の気象学』(朝倉書店)だそうである。こうした専門用語が生まれてからわずか16年間の間に一般化したのは、該当する現象がそれだけ人々の生活に影響を及ぼしている証左と言えるのではないか。そして異常気象により大きな経済的被害が繰り返されるだけでなく、生態系の変化を通じて農業や漁業にも大きなインパクトが及んでいる。地球規模の気候変動は、日本にも多大な影響を与えつつあると考えるべきだろう。 頻発する山林火災、水害が変える米国の意識さる7月12日付け日本経済新聞に『世界で熱波・水害拡大 経済損失は数年で420兆円』との記事があった。日本を含め熱波や水害による被害が世界中で頻発し、それを象徴する現象が様々な地域で顕在化している。例えば森林が美しいカナダは、例年、5~8月にかけて山火事が頻発することが珍しくない。もっとも、東部のケベック州を中心とする今年の山火事は、いつになく巨大な規模になった模様だ。その煤煙は国境を越えてニューヨークの空を覆う事態に至った。米国のジョー・バイデン大統領は、6月8日、この件で国民に向け声明を発表したが、冒頭で深刻な制御不能の森林火災に関し、「今朝、多くの米国国民がカナダの圧倒的な山火事による煙害を経験している。それは、気候変動による影響のさらなる厳しい警鐘だ」と地球温暖化の影響であることを訴えている。山林火災については、米国も人ごとではない。特に西部の主要州であるカリフォルニアでは旱魃が続き、例年のように大きな山火事が発生している。全米省庁合同火災センター(NIFC)によると、米国における野火の被害は2000年代に入って急増、1990年代に年平均1万3,450平方キロメートルだった焼失面積は、2020~22年の3年間だと倍以上の同3万3,487平方キロメートルに達した(図表3)。九州の面積が3万6,782平方キロメートルなので、年毎にその9割程度が焼失したことになる。これは、米国の平均気温上昇と無関係ではないだろう。また日本同様に、豪雨による被害も深刻さを増しつつある。異常降水量を記録した地域の面積は、2020年までの5年間の平均で国土の6.3%に達した(図表4)。これは、米国海洋大気庁(NOAA)が信頼度の高いデータを持つ1895年以降で最も高い水準に他ならない。ちなみに、エネルギー多消費社会の米国では、近年まで環境問題に関する国民の関心はあまり高くないと見られてきた。それが変化する起点となったのは、2005年と言われている。この年の2月27日、第77回アカデミー賞授賞式が行われたのだが、『アビエイター』で主演男優賞にノミネートされたレオナルド・ディカプリオが、会場のコダック・シアターへ大型のリムジンではなくプリウスに乗って登場した。プレゼンターを務めたシャーリーズ・セロンなども乗っていたのはプリウスだ。ハリウッドのスター達が敢えてハイブリッド車を使ったことは、一般の消費者にも一定の影響を及ぼした。より大きなインパクトになったのは、この年の8月、米国南東部を襲ったハリケーン・カトリーナではないか。メキシコ湾に面し、ミシシッピ川の河口に位置する重要都市、ニューオリンズの中心市街が水没、死者は1,836名に及んだ。米国を襲ったハリケーンとしては、約1万が犠牲になったとされる1900年のガルベストン、2,500名以上が亡くなった1928年のオキーチョビーの両ハリケーンに続く規模だ。ビル・クリントン政権で副大統領を務めたアルバート・ゴア氏の『不都合な真実』(ランダムハウス講談社)が出版され、映画が公開されたのは2007年1月のことである。この書籍と映画が米国で大きな話題となったのは、ハリケーン・カトリーナの記憶が生々しく残っていたことも一因だろう。ゴア氏は環境問題への取り組みが評価され、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)と共に2007年のノーベル平和賞を受賞した。その後、土木・鉱業が大きく前進して水平坑井と水圧破砕の技術が開発され、2010年代に入ってからの米国はシェール革命に沸き、エネルギーの自給へ向けて大きく舵を切ったと言える。自前の化石燃料が確保できたことから、必然的に地球温暖化問題への関心は低下した。世界最大の産油国になるなか、例えば自動車では大型のピックアップトラックが売れ筋になったのである。しかしながら、2020年の大統領選挙において、バイデン大統領は温暖化対策を公約の柱の1つに掲げて勝利した。森林火災やハリケーン、竜巻による深刻な被害が頻発するなか、米国でも再び気候変動問題が脚光を浴びつつあると言えるだろう。共和党を中心に懐疑論も根強い一方で、温暖化対策への取り組みは米国にも確実に根付いたのではないか。 「努力目標」から「必達目標」となった2050年のカーボンニュートラル気候変動は生態系に大きな影響を及ぼしつつあるだけでなく、自然災害を通じて人的被害、そして経済へのインパクトも甚大な規模になった。ベルギーのルーヴァン・カトリック大学の調査によれば、2018~2022年の5年間、地震や火山活動を含めた自然災害の被害額は7,182億ドルである。特に嵐は全体の5割を超える3,710億ドルに達し、水害の2,030億ドルが続いた(図表5)。これらは直接、間接的に地球温暖化による異常気象が要因と考えられる。温暖化が人類の営みにより進んでいるとすれば、産業革命以降の急速な経済・社会の近代化が、極めて大きな負の効果をもたらしつつある可能性は否定できない。特に看過できないのは、その影響が急速に拡大していることだ。気候変動が影響した可能性のある自然災害、即ち旱魃、水害、山崩れ、地滑り、嵐、森林火災が世界に及ぼした経済的ダメージは、2020~22年の3年間における年平均で1,567億ドルに達した(図表6)。これは、1950~59年の年平均に対して物価上昇の影響を除いた実質ベースで、36.3倍にあたる。2015年11月30日から12月12日に開催された第21回国連気候変動枠組条約締約国会議(COP21)で採択された『パリ協定』では、周知の通り「産業革命以前と比較し、世界の平均気温の上昇を2℃より低く保ち、かつ1.5℃に抑えることを目標」にすることが決まった。英国から広がった産業革命の起点については諸説あるようだが、1764年、ジェームズ・ハーグリーブズが複数の糸を同時に紡げる『ジェニー紡績機』を発明した頃とする学説が一般的だろう。紡績の生産量が飛躍的に拡大したのは1787年におけるエドモンド・カートライトの蒸気機関を使った『力織機』の発明が大きな転機だった。ただし、温室効果ガスの排出量が飛躍的に増えたのは、1830年9月15日、ロバート・スティーブンソンの発明した蒸気機関車によるリバプール・マンチェスター鉄道の開業が契機と言える。蒸気を作るエネルギー源として石炭が使われたことにより、温室効果ガスの排出量は飛躍的に増加した。さらに、第2次世界大戦後の1960年代から米国を中心として『黄金の60年代』へ突入、主要先進国では第1次モータリゼーションの下で自動車が普及した。それが、化石燃料の利用を大きく拡大させ、温室効果ガス排出量と世界の平均気温は角度の大きな右肩上がりとなったのだ。オックスフォード大学を拠点とする "Our World in Data" によれば、1850~1899年の50年間に年平均で55億トンだった世界の温室効果ガス排出量は、2002~2021年の20年間の年平均では9倍の年503億トンになっている(図表7)。その結果、1850年に大気中の濃度が284.0 ppmだった二酸化炭素濃度は、2022年には417.7 ppmに上昇した。英国気象庁ハドレー気候予測研究センターのデータを見ると、世界の平均気温は温室効果ガスの排出量拡大に伴い1900年代に入って明らかな上昇トレンドをたどっている。具体的には、2022年まで直近20年間の平均気温は、1850~1899年の50年間の平均に比べ1.04℃上昇した。ここ50年間は上昇のペースが速まっており、パリ協定で示された「産業革命以前と比較して1.5℃」の目標を維持するのは容易なことではないだろう。しかしながら、それが達成できなければ、気候変動はさらに加速、経済的なダメージも拡大して人類は自分で自分の首を絞めることになりかねない。日本を含む主要国が既に2050年までのカーボンニュートラル実現を国際公約した。それが努力目標である時期は既に過ぎ、必達目標になったと言えるのではないか。 「異常」の「常態化」に立ち向かうカーボンニュートラルの達成に必要なのは、制度設計と技術革新、そして投資である。このうち、日本にとって喫緊の課題はカーボンプライシングの早期導入だ。特に民間の自律的な投資を促し、新技術の開発を進める上で、キャップ・アンド・トレードの市場整備が必要だろう。昨年11月29日の第4回グリーントランスフォーメンション実行会議(GX実行会議)において、カーボンプライシングを活用する方向は決まった。しかしながら、スピードや効果の点でまだ多くの疑問が残る。温室効果ガスは、二酸化炭素ベースでの換算が容易であり、基本的に規格化可能な対象である以上、早晩、国際的なマーケットで裁定取引が行われる可能性が強い。その場合、2005年から欧州排出量取引市場(EU-ETS)を開設、敢えて厳しい基準を設けて排出量のクレジット価格を引き上げ、域内企業の競争力を強化する戦略を採るEUは、明らかに先行していると考えるべきだろう。また、金融に関するテクノロジーの進んだ米国も、市場の主導権を狙うことが想定される。さらに、今年4月18日、欧州議会は1990年比55%削減のための政策パッケージである "Fit for 55" に関連した5つの法案を承認した。その柱は炭素国境調整メカニズム(CBAM: Carbon Border Adjustment Mechanism)の導入だ。CBAMは、水素、セメント、鉄・鉄鋼、アルミニウム、肥料、電力に関し、EU域内の事業者が域外から製品を輸入する際、域内で製造した場合にEU-ETSの市場価格に基づいて課される炭素価格と同等の価格の支払いを義務付ける制度に他ならない(図表8)。これは、第一義的には温室効果ガス削減のコストを負担した域内企業が、国際競争の上で不利にならないことを目指した措置と言える。ただし、狙いはそれだけではないだろう。EUだけが厳しい規制を設けると、結局、中国など環境規制の緩い国に製造拠点がシフトする結果、地球規模で見れば温室効果ガスの排出量がむしろ増えてしまうことへの対策の意味もある。加えて、EUが国境調整を主導することにより、国際的なカーボンプライシングをEU-ETSの価格に収斂させることを意図しているのではないか。CBAMは今年10月から移行期間に入り、2026年から本格的に導入されることが決まった。EUの取り組みは、単に再生可能エネルギーの活用で温室効果ガスの排出量を削減するだけでなく、国際競争力の確保など広範な影響に目配りした極めて戦略的なものと言える。日本の対応が遅れれば、追い付くことが難しい差が付きかねない状況だ。温室効果ガスの排出削減は、特にエネルギー源での対応が極めて重要であることに疑問の余地はない。カーボンプライシングを軸とする制度を早期に導入し、インセンティブとペナルティにより民間投資を喚起する必要があるだろう。洋上風力、バッテリー、水素(アンモニア)、高効率の送電システム、二酸化炭素の埋設処分(CCS)がテクノロジーにおける国際競争の核になる確率が高まるなかで、政府主導ではなく、民間の技術開発と実用化を後押しする政策が期待される。さらに、原子力発電所の再稼働、リプレースを促進し、エネルギーの安定供給と経済合理性、そして安全の確保に努めることが必要だ。今夏は世界中で異常気象が猛威を振るっている。最早、これは「異常」とは言えず、「異常の常態化」に他ならない。さらなる異常が当たり前にならぬよう、思い切った決断と投資が求められる。
- 25 Jul 2023
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東芝ESS 革新軽水炉「iBR」などを発表
東芝エネルギーシステムズ(東芝ESS)は7月11日、同社が取り組む「カーボンニュートラルやエネルギー安定供給に貢献する原子力技術」をテーマに、報道関係者らと意見交換を行う「東芝技術サロン」を開催。その中で、革新軽水炉「iBR」のコンセプトが紹介された。冒頭、薄井秀和取締役(原子力技師長)は、火力、原子力、再生可能エネルギー、水素エネルギー、電力流通、医療分野の技術(重粒子線治療装置など)と、同社の手掛けるエネルギー事業領域を掲げ、「多くの事業で世界トップレベルの技術力を持っており、これまで数多くの実績を残している」と強調。その上で、電気を「つくる」、「おくる」、「ためる」、「かしこくつかう」ことを通じ、「将来のエネルギーのあり方そのものをデザインし社会に貢献していく」と、東芝グループのカーボンニュートラルやエネルギー安定供給に対する取組姿勢をあらためて示した。原子力発電所の設計・工事の効率化、再稼働、稼働率向上に向けては、軽水炉技師長の松永圭司氏が説明。東芝独自の技術により、例えば、東北電力女川2号機のサプレッションチェンバ(原子炉格納容器下部を囲むドーナツ型の容器)の耐震強化工事では、実物大のモックアップを用いた溶接員の習熟訓練などに努め、厳しい精度が要求される工事が工程・予算通りに進められてきたという。この他、現在・過去・未来の現場状況をパノラマ化する「3Dプラントビューア」、現場作業エリア管理をデジタル化する「エリア管理システム」などを紹介。東芝が培ってきた技術力の強みをアピールし、「デジタル技術を組み合わせることで付加価値の高いサービスを提供していく」と強調した。革新炉開発については、パワーシステム事業部シニアフェローの坂下嘉章氏が、革新安全軽水炉「iBR」のコンセプトを紹介。堅牢な建屋、静的メカニズムを取り入れた安全システムを採用し、さらなる安全性向上と安全設備・建屋の合理化を同時に達成するほか、再循環流量の加減により原子炉出力を容易に調整するABWRの特性を活かし再生可能エネルギーとの共存も図る。また、同氏は、将来の原子力のあるべき姿を多様な部門の幅広い年齢層の社員で討議してまとめた「原子力発電所Vision」を披露。「私たちの原子力発電所は、安全、安心はもちろんのこと、その技術の先進性をもって、発電所の存在が、関わる人々にとって心身ともに快適であり、誇りであり、将来の人々の営みにエネルギーを送り続けることで、豊かな生活の実現に貢献する」というもの。東芝は「iBR」の開発を通じ「新たな社会との共生の関係を築きあげる」ことを目指している。
- 18 Jul 2023
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IAEAグロッシー事務局長が講演 産業界に支援求める
日本原子力産業協会は7月7日、都内で、IAEAのラファエル・マリアーノ・グロッシー事務局長(7月4~7日に日本滞在)による講演会を開催(日本経済団体連合会共催、外務省後援)。グロッシー事務局長は、産業界から集まった約70名の参加者に、IAEAが途上国の支援に向け実施している活動への理解および経済的支援を強く呼びかけた。IAEAでは、発電分野にとどまらず、保健・医療、食料、農業、環境保全、水資源管理など、多分野の放射線利用に係る取組に注力しており、加盟各国からの関心も高まっている。今回の講演会は、「IAEAがSDGsや気候変動といった『グローバルアジェンダ』に対し、いかに幅広く貢献しているのか」について紹介し、IAEAと日本企業との関係構築の一助とするもの。グロッシー事務局長はまず、「IAEAをパートナーとして見て欲しい。われわれが取り組む世界的な活動のどこかに皆さんが『ともに参加できる領域』がある」と述べ、日本の産業界と今後も連携していく意向を示した。その中で、グロッシー事務局長は、「アフリカでは人口の7割が放射線治療にアクセスできない」と、途上国のがん患者をめぐる状況を危惧し、自身が音頭を取って1年半前、放射線治療施設が欠陥・不足している20以上の加盟国を支援するイニシアティブ「Rays of Hope」を立ち上げたことを紹介。その他、医療分野では感染症を媒介する虫の根絶に、農業分野ではかんばつに強い作物の品種開発で放射線技術が用いられ、開発途上国の経済発展に寄与していると述べた。また、最近、関心が高まっている取組として、海洋プラスチック問題に対応するイニシアティブ「NUTEC Plastic」を紹介。「同位体トレーシング」と呼ばれる技術により、プラスチックの再利用をより環境に優しく実現するもので、インドネシアなどでパイロットプラントが立ち上がっているという。「Rays of Hope」も「NUTEC Plastics」も日本政府が拠出金による支援を行っている。一方で、グロッシー事務局長は、「今、われわれが取り組んでいる問題の規模は巨大で、民間企業のダイナミックな力も必要だ」と強調し、産業界に対しIAEAが進めるプロジェクトへの理解・支援をあらためて求めた。グロッシー事務局長は、地球温暖化に伴い原子力エネルギーが世界中で大きな関心を集めている点にも言及。講演後、参加者との間で、浮体式原子力発電所の将来性、一方で、規制対応、産業界の標準化、ファイナンス面での課題についても質疑応答がなされた。また、若手女性研究者を支援する「IAEAマリー・キュリー奨学金」に関連し、参加者から学生向けプログラムの導入を求める声があったのに対し、グロッシー事務局長は、「今回の来日で、福島を訪問した際、生徒たちに原子力について説明したいという地元の高校の先生に会った。次回、福島を訪れた際には、高校生たちと対話したい」などと、微力ながら応えていく姿勢を示した。
- 10 Jul 2023
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アツイタマシイ Vol.5 黒﨑 健さん
「次世代」って?政府が推進する「次世代革新炉」とは何でしょうか?黒﨑「次世代革新炉」という表現が出てきたのはここ1~2年のことだと思います。その「次世代革新炉」にも5タイプあって、技術的には新しいものも以前からあるものも含まれています。たとえば、「革新軽水炉」は、まさにこれから作る最先端技術を取り入れた軽水炉という意味で、新しいものです。小型軽水炉も新しい方に入ります。一方で、高速炉や高温ガス炉は、昔からありますね。高速炉は日本原子力研究開発機構(JAEA)の「もんじゅ」(福井県敦賀市)がありましたし、高温ガス炉は、同じくJAEAの高温工学試験研究炉(HTTR、茨城県大洗町)が動いています。炉としては新しいわけではありませんが、たとえば、高温ガス炉を使って水素を作るといった考えが新しく出てきています。もちろん、水素を作ることも以前から言われていますが、その事業化や水素業界との連携を国を挙げてスタートさせるということが、そうした姿勢というか取り組みが新しいわけです。次世代革新炉の中にある核融合炉は研究段階ですよね?その他にも研究段階のものが数多くあるのでしょうか?黒﨑革新炉WGで挙げているのは核融合炉までですが、その他にも研究開発中の革新炉はいろいろあります。たとえば、浮体式原発。かつての原子力船むつにあったような原子炉ですが、それを巨大なイカダの上に置いて海に浮かぶ発電所にするというところが新しい。そのほかに、溶融塩炉やマイクロ炉といったものも研究開発されています。今までの原子炉とどう違うのでしょうか?黒﨑たとえば、安全性は格段に高まっています。もちろん、既存の原子炉も、新規制基準に適合するように様々な対策が追加で付け加わっているので、安全性は高まっていますが、費用も莫大にかかり、全体最適化という意味でスマートかというとそうではありません。その点、これから作ろうとしている革新軽水炉は、最初から新規制基準への対応が設計に組み込まれ、“シュッとした” 原子炉と言えます(笑)「次世代」という表現は、どのようなニュアンスなのでしょうか?黒﨑次世代革新炉の中でも事業実現性が高いのは、革新軽水炉と考えています。2050年カーボンニュートラルを達成するには、既存炉の再稼働だけでは足りませんし、運転期間を延長しても足りません。そこで、新しい原子炉が必要ですが、いきなり高速炉や小型モジュール炉(SMR)というよりは、既存の軽水炉の最先端版を作ろうというのが、革新軽水炉です。革新軽水炉によるリプレースと、将来を見据えた高速炉の研究開発推進というのが一つの進め方になるでしょう。しかしそれだけではなかなか進まないので、高温ガス炉による水素製造や、主に北米などで開発が進むSMRの開発、さらに核融合なども含めて「次世代革新炉」という表現でひとくくりにして進めていこうということだと思います。チョルノービリ事故でめざめた興味黒﨑先生が原子力に興味を持つようになったきっかけを教えてください。黒﨑中学生のときにチョルノービリ(チェルノブイリ)原子力発電所事故がありました。すごく大きな事故が遠いところで起こったというニュースで、子どもなりにいろいろ調べると、「原子力」というものがあると。それで、なぜだかよくわからないけれど、その「原子力」に関わるような仕事をしたいと思ったのが最初のきっかけです...といつも学生たちには話しています(笑)原子力というものが日本にもあって、それに関係する仕事をしたいと。黒﨑はい。原子力発電所とか、その仕組みとか、詳しいことは何も知りませんでした。ですからもしかしたら、福島第一原子力発電所の事故がきっかけで、もっと知りたいと思った若い人がいたらいいなと思い、いつもその話をしています。原子力に否定的な人たちも多い世の中で、あえて原子力の道を選んだということですね。黒﨑あまり人が選ばないものを選ぶというような気持ちもあったかもしれません。僕は音楽が好きで、昔から好きで追っかけているザ・ピロウズというバンドがあるのですが、これがあまり有名じゃない(笑)Mr.Childrenやスピッツと同期で、メジャーデビューして30年以上経ちます。ほかのバンドは売れたのですが、僕の好きなピロウズはちっとも売れなくて。テレビにもラジオにも流れない。でも、ピロウズが好きで、CDを買ったりして1人で聴いていました。一度ライブに行ってみたら、小さなライブハウスなんですけど、ピロウズが好きな人ばかり集まっていて、「こんなにピロウズ好きな人が僕以外にもおるんや!」と思ったのと同じ気持ちを、大学に入学した時に感じたことを思い出しました。「原子力が好き」という思いを抱いて阪大工学部の原子力教室に足を踏み入れたら、同じような人が40人いたという(笑)福島第一原子力発電所事故を受けとめて福島第一原子力発電所事故の後、世の中が反原発、脱原発の雰囲気になりました。黒﨑先生はどのように受けとめておられましたか?黒﨑僕自身は関西にいたので、少し距離がありました。東京や東北の先生方は、身近なところで事故が起きて、もうなんかすごく大変な様子が見えていましたが、大阪にいると、事故に関係する話に関わりたいけれど関われないという気持ちの方が大きかったですね。そのため、ちょっとゆっくり、物事を考えることができる時期があったのかなと思います。福島第一原子力発電所の中でどんなことが起きていたのか、デブリの取り出しをどうするのか、といったことを考えていました。原子力の専門家ということで、身近な人たちから白い目で見られる感じはありましたか?黒﨑目に見えてそのような感じはありませんでしたが、肩身の狭さは少なからずあったと思います。これから脱原発が進んでいくと思われましたか?黒﨑それは現実的に無理だと思っていました。再生可能エネルギーだけで日本の電力をどこまで賄えるのかという話もありますし、化石燃料はいろいろな意味で課題山積です。もちろん、そういう意味では原子力も課題山積ですが、だからと言って原子力だけを止めてしまうのは問題ではないかと。また原子力が必要だという時が絶対に来るとは思っていました。まさに今ですよね。ウクライナの問題もあって、時代がだんだん変わってきています。日本には原子力が必要だという黒﨑先生の信念は変わらないわけですね。黒﨑変わりません。少なくとも「2050年カーボンニュートラル」をやるのであれば、原子力は絶対必要です。まさにエネルギーミックスなのだと思います。どれか一つに絞るという話ではなく、原子力も再エネも、そして、火力も今は三本柱のうちの一つであって、やめてはいけないと思います。2050年ってすぐそこですよ。原子力をやらずに、あと30年も経たないうちに炭素排出量を実質ゼロにするなんて、ほとんど不可能だと思います。そして、日本には核燃料サイクルも必要だと。黒﨑核燃料サイクルの中には、放射性廃棄物の最終処分も入っています。自分で作ったごみは自分で処分しなければなりません。そういう意味で核燃料サイクルは必要です。使用済み燃料の再処理も必要なのですか?黒﨑再処理に関しては、国によって考え方や方針が違います。アメリカのように再処理せずに直接処分を志向する国もありますが、日本では再処理が必要だと僕は思っています。日本は資源がない国で、ウランも海外から輸入しています。だから、外国から買っているウランを使える限り使い倒すという意味でのリサイクル、再処理をやっていくというのは日本にとっては必要だと思っています。そのうえで最終処分もやる。高レベル放射性廃棄物の最終処分高レベル放射性廃棄物処分はとても難しい問題ですね。黒﨑10万年後のことなんて想像もできないくらい遠い未来ですよね。そういった想像を絶する未来のことも考えながら物事を進めなければならないことに、この問題の難しさがあります。それでも地下深くに埋めたほうがいいとお考えですか?黒﨑そうですね。地層処分というのは国際的にも現時点で最も現実的な技術だと認識されています。もう一つ、「10万年」という言葉が独り歩きしていますが、高速炉をうまく使えば10万年と言われているタイムスケールを300年に縮めることができるといわれています。高レベル放射性廃棄物の有害度低減と呼んでいます。300年でしたら、今の技術で、工学的に可能と言える範囲で物事を進めることができると思います。原子力をめぐる対話の試み原子力に否定的な人たちと話す機会はありますか?黒﨑あります。5~6年前のことですが、阪大の工学研究科にいた頃、大学として、新しい博士人材育成のための文理融合型の大学院教育プロジェクトを、文科省の支援の下でやっていまして、その中で今から考えると結構チャレンジングな授業を実施していました。文系と理系の大学院生を20人ぐらいバスで福井県の原子力発電所立地地域に連れて行くんです。現地で、原子力に肯定的な意見を持っている敦賀の原子力平和利用協議会の青年団の方々とディスカッションをして、その後、原子力に否定的な意見を持っている小浜市内のお寺の住職さんのところに押し掛けてディスカッションをする。初日にそれをやり、翌日は実際に発電所を見学します。面白いですね。黒﨑どちらのディスカッションも面白く、カラーがあります。住職さんには住職さんのお考えがあり、青年団の方は青年団の方でお考えがあります。ディスカッションというと議論をするというように思われるかもしれませんが、どちらかというと、お考えを聞かせていただく、というようなスタンスで学生達は参加していました。原子力に肯定的な意見と否定的な意見を両方聞いた結果、どうなるのでしょうか?黒﨑授業の目的は、別に賛成・反対を判断することではなくて、授業を通じて、自身の考えを持ってもらうということです。いろいろな人の話を聞いて、自分で考えて、その考えの変化を自分の言葉で述べさせます。授業を終えた後は、原子力に肯定的になる学生が多いですね。若い感性、柔軟な頭で、論理的に物事を考え出すと、結論としてはそうなるのかなと思っています。全面的に賛成ではなく、安全性の問題や廃棄物の最終処分という課題があり、そこは解決しなければならないという前提で賛成というような、より現実的な意見もあります。仮に黒﨑先生が、原子力に否定的な人と膝詰めで話す場面があるとしたら、どんな対話をしますか?黒﨑話を聞くことに徹すると思います。こちらから主張すると意見が対立することもありますし。話を聞いて、言いたいことを言ってもらって、考えを聞くだけでもいいのかなと思っています。むしろ聞いてみたいです。いろんな方のお考えを知ることも勉強ですし。実は、この授業は僕と社会科学系の先生と2人で担当していました。その先生は原子力に対して慎重なご意見をお持ちの方でした。慎重なお考えの人と話し合いながら、授業を組み立てていくのですか!?黒﨑そういうことです。事前学習では、僕が原子力の平和利用、主に発電とかエネルギー事情の話を90分します。そしてこの社会科学系の先生は、原子力に対して慎重なお考えを90分します。それからみんなで仲良くバスに乗って出掛けるわけです。事前に両方の話を聞くわけですね。黒﨑そうです。この先生は、太平洋のミクロネシアやポリネシアの人文・社会科学がご専門です。原子力に対しては慎重なお考えをお持ちですが、でも、「気になる」ということで、ご自身で原子力発電所を見学に出掛けたりする方なんです。僕たちすごく仲がいいんですよ。僕の研究や仕事内容もその先生は理解されています。敵対するわけではなく、言い合いするわけでもない。コミュニケーションって、そういうものではないでしょうか?原子力による新たな価値創造黒﨑先生にとって、原子力の魅力はどういうところにありますか?黒﨑さきほども言いましたが、僕にはあまり人が選ばないものを選ぶというところがあって。原子力って正直なところ大人気というわけではないじゃないですか。でもすごく必要で、重要性は高いのだけれど、あまり人気がないというのは、ある種の特徴であって魅力なのかなと思っています。昨今言われる「原子力による新たな価値の創造」とは、どのようなものでしょうか?黒﨑一つは、再エネとの連動や、熱利用による水素製造などが挙げられていますが、それ以外にも、原子炉を利用して放射性同位体の薬を作るとか。今後大きなビジネスに発展しそうな、そういうところに、発電だけではない原子力の新しい価値があります。医療にも放射線が使われていて、私が所長を務める京大の複合原子力科学研究所(複合研)でも積極的に取り組んでいます。僕は原子力のほかに、実はもう一つ別の分野の研究にも同じぐらい力を入れています。熱を電気に直接変換する熱電変換という技術の研究です。熱を直接電気に変換する!?そんなことができるなら、何でも熱いものから電気ができることになりますね。黒﨑そういうことです。原子力分野では核燃料の研究をしてこられましたね。黒﨑はい。僕が研究しているのは、たとえばごく一例ですが、原子炉の中で核燃料が燃焼、核分裂した後、どのように組織が変わっていくかということです。最初はきれいなペレットですが、燃焼させると大きく組織が変わります。ヒビが入ってくるのです。ヒビが入ると、当然熱の伝わり具合が変わってくるので、どのようにヒビが入るのか、きちんと理解しておく必要があるわけです。これがなかなか難しいのです。もう一つ、材料開発に情報科学やデータサイエンスを組み込むマテリアルズ・インフォマティクス(MI)という分野があるのですが、それを原子力分野に応用するという研究に取り組んでいます。熱電分野では、MIがそれなりに取り入れられているのですが、原子力の方ではまだあまり使われていないので、熱電変換の研究で培ってきた知識や経験を原子力分野に応用するという研究に、予算をつけていただき、2~3年前から取り組んでいます。僕の恩師は今の原子力規制委員会の山中伸介委員長です。熱電変換の研究に取り組んだのは山中先生のおかげです。「原子力ばかりやっていたら、時代の波もあるし視野が狭くなるから、違うテーマもやった方がいいよ」と山中先生に勧められて、その頃、先生が始められた熱電の研究を一緒にやらせてもらいました。一つの分野だけでなく、別の分野にも同じぐらいのウェイトを置いて研究してきて本当に良かったと思います。原子力のことを考えていくにしても、視野を広げられて良かったということでしょうか?黒﨑その通りです。全然違う分野ですが、基盤は共通しているのです。たとえば、熱電というのは材料が熱をどう伝えるかという性質を勉強する学問が基礎になりますし、核燃料も熱を伝えるということがだいじなんです。そういうところが共通していて、理解するために学ぶべきことも共通しています。ですが分野は全く異なっていて、関わっている研究者も全く異なる人たちなんですよ(笑)そうすると、両方の人たちとのネットワークができますね。黒﨑複数の分野に興味を持つとそういうことになります。それはとても良かったと思っています。原子力イノベーションでどのような社会を目指すのか「次世代革新炉」の開発や原子力イノベーションによって、どのような社会になっていくのでしょうか?黒﨑今は電気の社会なんですよ。電気がこんなに使われるようになったのはつい最近のことです。200~300年前はそうではなかった。200~300年後にどうなるかもわからない。もしかしたら、電気に代わる新しい何かができるかもしれません。そうなると原子力も発電としては意味がなくなってきますね。まぁ、なかなかそうはならないと僕は思っていますが。しばらくは電気の社会が続くと?黒﨑はい。しかも、もっと需要が増えるでしょう。電気を使う便利なものがどんどん増えて。基本法則ですが、エネルギーの総量は変わらなくて、形が変わっているだけの話なんですよ。電気もエネルギーの形の一つだし、熱もそうだし、原子力の核エネルギーもそうです。その中でエネルギーの形を変えて、最終的に電気という形で我々がいろいろなことに使っているというのが、今の世の中の仕組みです。これから電気がもっと必要になってくるので、その電気を作る担い手として原子力の必要性、重要性は大きく、次世代革新炉がその一翼を担っていくでしょう。もしも将来、電気を使わない時代がやってきて、放射性廃棄物だけが残ったら、原子力発電の恩恵を全く受けなかった将来世代が廃棄物を負担することになりますね。黒﨑確かに、今の世代で管理しきれないような廃棄物を出し続ける発電方法なんて、理想論で言うならばやめた方がいいのです。でも、今は代わりがない。代わりがあるとしても、化石燃料や再エネです。どちらもいろいろと課題があります。そうなると、課題はあるにしろ「原子力をうまく使っていきましょう」という言葉が近いのかもしれません。課題や後始末のことも、同時進行で考えていくしかないと。黒﨑そう思います。1950年代の日本の電力消費量は年間500億kWh程度で、その6割を水力発電でまかなっていました。それが今では年間1兆kWhもの電気を消費しています。現実的に考えて、70年前の年間500億kWhの時代に戻れるわけではありませんので、1兆kWhもの電気を何でまかなうかということになります。そんなにバラ色な感じではなく、原子力をやらざるを得ないということなのですね。黒﨑理想論だけではなく現実をきちんと見て理解することがだいじだということです。やらざるを得ないというだけでは、人材が集まらない気がしますが、ネガティブなところばかりでなく、原子力の可能性というものに、どうやって若い世代を惹きつければいいのでしょうか?黒﨑そういう意味では、「次世代革新炉」とか「原子力イノベーション」とか、その辺りが一つキーワードですね。宇宙開発はすごく若者を惹きつけています。夢があるので。でも、あれがビジネスになっているかと言うと、なかなかそうではなく、ただ一方で、国力の一つのバロメーターにはなっています。3月にロケットの打ち上げができなかった時に、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の人が、「失敗」と言わず、「発射中止」と言ったところ、マスコミが「これはどう見ても失敗なのに、なぜ失敗と言わないのか?」とJAXAの人に詰め寄りました。しかし、それを見ていた一般の人たちは、「失敗」じゃないから別に「失敗」と言わなくてもいいじゃないか、マスコミの方がおかしい、という世論になりました。これが原子力だったらどうなっていたか。「失敗と言うべきだ」と世の中の人たちから言われていたことでしょう。残念ながら、原子力とはそういう分野なのかもしれません。それでも惹き寄せられてくる若者もいるのではありませんか?黒﨑かつての僕のようにね(笑)原子力はあまり人気がない...でも、すごくだいじ。そこに惹かれる若者は、少ないながらも必ずいます。そしてそうした若者ほど、強い意志や自分の考え・意見を持っている。なので、それほど悲観することもないのかな、と思っています。
- 07 Jul 2023
- FEATURE
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GX推進が具体化へ エネ庁も組織見直し
政府の「GX(グリーントランスフォーメーション)実行会議」が6月27日に開かれ、同会議の議長を務める岸田文雄首相は、GXの推進について「わが国の成長戦略の中核であるのみならず、経済安全保障の上でも大きな役割を果たす」と、政策の重要課題に位置付けられることを改めて強調。西村康稔経済産業相を中心に、関係府省庁が連携し前例にとらわれない大胆な政策の具体化を図るよう閣僚らに指示した。同会議の開催は、昨年末の「GX実現に向けた基本方針」決定以来、半年ぶり。会議終了後、記者会見を行った西村経産相は、GX推進の体制整備を見据えた7月4日付の幹部人事、資源エネルギー庁の組織見直しを発表。人事では、多田明弘事務次官の後任に、「脱炭素社会成長型経済構造への円滑な移行の推進に関する法律」(GX推進法)の総括責任者で経済産業政策の新機軸を牽引してきた飯田祐二経済産業政策局長兼首席エネルギー・環境・イノベーション政策統括官を充てる。また、平井裕秀経済産業審議官の後任に保坂伸資源エネルギー庁長官が、同長官の後任には村瀬佳史内閣府政策統括官(経済財政運営)がそれぞれ就く。一連の幹部人事に関し、西村経産相は、「通商政策、GX推進法の詳細な制度設計、半導体・蓄電池戦略といった様々な重要施策の継続性に万全を期していく」などと述べた。資源エネルギー庁の組織見直しについては、省エネルギー・新エネルギー部に水素およびアンモニアに特化して需要と供給の両面での政策を担う「水素・アンモニア課」を、資源・燃料部にGXを見据えた資源外交戦略を担う「国際資源戦略室」をそれぞれ新設。また、資源・燃料部では、石油・天然ガス課を「資源開発課」に、石油精製備蓄課と石油流通課を統合し「燃料供給基盤整備課」に、鉱物資源課と石炭課を統合し「鉱物資源課」にそれぞれ改組。課室名から石油、天然ガス、石炭の名が消え、カーボンニュートラル時代を見据えた大幅な体制見直しとなる。西村経産相は、「時代の大きな変化を感じている。新しい時代に向けてエネルギー政策をしっかり推進していきたい」と、決意を新たにした。
- 27 Jun 2023
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SMRの海外展開に意欲 日立製作所
経営戦略を説明する小島社長(日立ホームページより引用)日立製作所は6月13日、報道関係者・投資家を対象に同社グループの経営戦略について説明する「Hitachi Investor Day 2023」を開催し、小型モジュール炉(SMR)の海外展開に強い意欲を示した。冒頭、小島啓二社長は、市場成長を駆動する3つの技術潮流として、「グリーン」、「デジタル」、「コネクティブ」を掲げ、他社と差別化を図り優位性を確立するため、「複数のビジネスユニットが“One Hitachi”で協働する」と、事業間シナジーの重要性を強調。企業価値の向上に向け、環境価値の創出では「グリーンビジネス」を中心に「年1億トンのCO2排出量削減に貢献する」とした。「グリーンビジネス」に関しては、アリステア・ドーマー副社長が説明。同氏は、「世界の気候変動の問題は新しいテクノロジーなくして解決できない。将来のビジネスチャンス獲得に向け、優秀な人材、中期経営計画で研究開発投資8,000億円を『グリーンビジネス』に投入していく」と強調。さらに、産業の脱炭素化に係るビジネスチャンスを“Carbon Neutral as a Service”と称し、強く期待した。原子力エネルギーについて、ドーマー副社長は、SMRの潜在的市場規模の大きさを展望。SMRの標準化に向け、米国合弁会社のGE日立・ニュクリアエナジー(GEH)と、カナダ、ポーランドの各企業との技術協力に言及し、「複数の地域で、より信頼性が高く、コスト効果の高いクリーンなエネルギーを供給できるSMRをつくる」と強調した。
- 14 Jun 2023
- NEWS
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参院調査会 原子力の役割も指摘
宮沢会長参議院の「資源エネルギー・持続可能社会に関する調査会」((参院に解散がなく、議員の任期が6年であることに着目し、長期的かつ総合的な調査を行う目的で設けられた参院独自の機関。調査事項に係る報告書を議長に提出することが求められる。))(宮沢洋一会長〈自由民主党〉)が6月7日、中間報告書をまとめた。今期通常国会の会期中、同調査会は7回開催。「資源エネルギーの安定供給確保と持続可能社会の調和」をテーマに、政府関係者の他、計9名の有識者を参考人に招き質疑応答を行った。白石氏ロシアのウクライナ侵略開始からおよそ1年が経過した2月8日、有識者として招かれた総合資源エネルギー調査会の基本政策分科会会長を務める白石隆氏(熊本県立大学理事長)は、「エネルギー危機に迅速に対応できる体制ができていなかった」と指摘。日本のエネルギー政策の問題として、電力自由化のもとで事業環境整備が遅れた再生可能エネルギー大量導入のための系統整備が遅れた原子力発電所の再稼働が遅れた――ことをあげた。山下氏同15日には、山下ゆかり氏(日本エネルギー経済研究所常務理事)が、「3E」(安定供給、経済性、環境への適合)の観点からの各エネルギー源に関する分析を披露した上で、「原子力や化石燃料の脱炭素化も含め、単一ではなく、多様なエネルギー源を使うサスティナブルなポートフォリオを考える」重要性を強調。水素・アンモニアの混焼やCCUS(CO2の回収・有効利用・貯留)の技術進展とコスト削減に期待するとともに、途上国のエネルギークリーン化に向け、LNG利用を進める必要性から「化石燃料への投資を止める最近の動き」に懸念を示した。竹内氏4月12日には、「エネルギーや気候変動など SDGsを巡る日本の情勢」を焦点に、竹内純子氏(国際環境経済研究所理事)らが有識者として発言。同氏は、エネルギー政策について「足元の現実を見たフォワードルッキングの手法が必要」だが、気候変動政策については「あるべき姿からさかのぼって考えるバックキャストの手法が必要」と、両者の思考方法はまったく異なることを指摘。また、政府の「GX(グリーントランスフォーメーション)実行会議」に有識者委員として議論に参画した経験も踏まえ、原子力発電について「初期投資が巨大で、投資回収期間が長期にわたる。事故時の賠償やバックエンド事業などの不確実性もあり、資金調達コストの抑制や高い稼働率を維持すれば安価な電力を供給するポテンシャルを持つが、それらが十分でないと高コストになってしまう」と評価した。その上で、原子力事業の健全性確保に関し、「制度・政策、安全規制、社会・立地地域の理解が面的にそろっていないとどこかで行き詰まってしまう」と指摘した。※写真は、いずれもオンライン中継より撮影。
- 13 Jun 2023
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2023年版環境白書が閣議決定
2023年版環境白書が6月9日、閣議決定された(環境問題の全体像をわかりやすく示すため、循環型社会白書と生物多様性白書を合わせて編集し、1つの白書としてまとめている)。環境省が毎年、「環境の日」(6月5日)に合わせ発表しているもの。今回の白書では、冒頭、地球の限界「プラネタリー・バウンダリー」の考え方を提唱。地球の変化に関する各項目(気候変動、オゾン層の破壊、海洋の酸性化など)について、「人間が安全に活動できる範囲内にとどまれば人間社会は発展し繁栄できるが、境界を超えることがあれば、人間が依存する自然資源に対して回復不可能な変化が引き起こされる」というもの。その上で、2022年に世界で発生した気象災害を振り返り、「地球温暖化の進行に伴い、今後、豪雨や猛暑のリスクがさらに高まると予想されており、気候変動問題は危機的な状況にある」と警鐘を鳴らしている。科学的知見として、国連環境計画(UNEP)の「Emissions Gap Report 2022」が示す「現行対策シナリオでは今世紀の気温上昇は2.8℃となる」、「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)の第6次評価報告書(2023年3月)が示す「人間活動が、温室効果ガスの排出を通して地球温暖化を引き起こしてきたことは疑う余地がない」ことを改めて強調。最近の気候変動に関する国際的な議論として、COP27(2022年11月、エジプト・シャルム・エル・シェイク)、「G7札幌 気候・エネルギー・環境大臣会合」(2023年4月)を紹介している。日本が国際社会に表明する「2050年カーボンニュートラル」と2030年度に46%の温室効果ガス削減(2013年度比)の目標を巡っては、「2022年にロシアによるウクライナ侵攻が発生し、世界のエネルギー情勢が一変した」と危惧。2030年までの期間を「勝負の10年」と位置付けるとした上で、GX(グリーントランスフォーメーション)の実現に向けた取組などを述べている。また、東日本大震災・福島第一原子力発電所事故からの復興・再生に向けた取組については、リスクコミュニケーションの推進として、2021年に立ち上げられた放射線健康影響に正確な情報を発信する若手中心の活動「ぐぐるプロジェクト」(学び・知をつむ“ぐ”、人・町・組織をつな“ぐ”、自分事としてつたわ“る”)や、ALPS処理水((多核種除去設備(ALPS)等により、トリチウム以外の放射性物質について安全に関する規制基準値を下回るまで浄化した水。海水と混合し、トリチウム濃度を1,500ベクレル/リットル(告示濃度限度の40分の1)未満に希釈した上で放水する))に係る風評対策について紹介。ALPS処理水の海洋放出に関しては、「客観性・透明性・信頼性を最大限高めた海域モニタリングを行い、結果を国内外へ広く発信する」としている。
- 12 Jun 2023
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三菱電機と三菱重工 発電機事業を統合
三菱電機と三菱重工業は、発電機事業のジョイントベンチャーを2024年4月に設立する。カーボンニュートラル実現に向けた取組の加速化など、電力を取り巻く世界環境が大きく変化する中、発電機事業を統合し、両社の技術・資産を結集することで、市場競争力をさらに強化することがねらい。〈三菱電機発表資料は こちら〉事業の統合については、両社が昨年末に基本的に合意しており、5月29日に諸条件を定めた統合契約を同日付で締結したことが発表された。今後、三菱電機が100%子会社の準備会社を設立し、両社の火力、原子力、水力の各発電事業を分割・承継させる。出資比率は三菱電機が51%、三菱重工が49%となる予定だ。新会社は神戸市に設立される。三菱電機の漆間啓社長は同日、報道関係者・投資家を対象とした経営戦略説明会の中で、サステナビリティの実現を目指し同社が注力する課題領域の筆頭に「カーボンニュートラル」を掲げ、「温室効果ガスの削減に向けた取組を強化するなど、企業としての責任をしっかり果たしていきたい」と強調。また、同専務執行役の高澤範行氏は、インフラビジネス分野における成長戦略の中で、海外パートナーとの戦略的提携を図っていくことなどを述べた。同社では2022年に米国ホルテック社が開発する小型モジュール炉(SMR)向けに計装制御システムの設計契約を締結している。高澤氏は、「市場変化に対応した生産・事業基盤の再構築」の一戦略として、今回の三菱重工との発電機事業JV設立について説明し、「世界的にリモートワークが定着する中、投資抑制傾向にある交通事業や、競争が激化している変電事業についても、生産体制の最適化を図っていく」とも述べている。
- 02 Jun 2023
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原子力関連法案が成立
「脱炭素社会の実現に向けた電気供給体制の確立を図るための電気事業法等の一部を改正する法律案」が5月31日、参議院で可決され、成立した。2月に閣議決定された「GX(グリーントランスフォーメーション)実現に向けた基本方針」に基づき、「地域と共生した再生可能エネルギーの最大限の導入促進」、「安全確保を大前提とした原子力の活用」に向けて、関連法を改正するもの。原子力の関連では、「事業者に対し、運転開始から30年を超えて運転しようとする場合、10年以内ごとに、設備の劣化に関する技術的な評価を行い、その劣化を管理するための計画を定め、原子力規制委員会の認可を受けることを義務付ける」(原子炉等規制法)、「『運転期間は最長で60年に制限する』という現行の枠組みを維持した上で、事業者が予見しがたい事由による停止期間に限り、60年の運転期間のカウントから除外する」(電気事業法)ことなどを規定している。同法案は、4月27日に衆議院で可決後、参議院に送付され同経済産業委員会(吉川沙織委員長〈立憲民主党〉)にて審議。5月30日に同委で可決後、31日の本会議に諮られ、賛成多数で可決、成立となった。採決に先立つ討論で、日本維新の会と国民民主党の各議員が賛成の立場で、立憲民主党と日本共産党の各議員が反対の立場で意見を表明。経済産業委員会での審議では、いわゆる「束ね法案」((「束ね法案」とは、幾つもの法案を ひとつの法案にまとめて提出されたものを、「一括審議」と区別するため「一括法案」とは呼ばずに「束ね法案」と呼ぶ。「一括審議」とは、国会に提出された別々の法案であっても、 何らかの共通点を見出して、同一の手続きで審議を進めることをいう。))として提出されたことが議論の一つとなったが、国民民主党の礒﨑哲史議員は、本会議での討論の中で、法案への賛意表明の一方、「まだ深掘りした議論が不足している」、「国民への丁寧な説明の機会を逸したことに大きな問題があった」と指摘した。 参院経済産業委員会に招かれた参考人(右より、山地氏、岩船氏、松久保氏)参議院の経済産業委員会は、同法案の審議に関し、内閣委員会、環境委員会との連合審査会を含め計7回開催。5月25日には、有識者として、山地憲治氏(地球環境産業技術研究機構理事長)、岩船由美子氏(東京大学生産技術研究所教授)、松久保肇氏(原子力資料情報室事務局長)を参考人に招き質疑応答を行った。岩船氏は供給対策だけでなく需要対策も活用したエネルギー安定供給を図る必要性を、松久保氏は福島第一原子力発電所事故の教訓を忘れぬことなどをそれぞれ主張。有識者の発言を受け、石川博崇委員(公明党)は、原子力産業新聞が2021年に福島第一原子力発電所事故から10年の機に行ったインタビュー特集「ふくしまの今 ~復興と廃炉、10年の歩み~」に言及し、インタビュー中の山地氏による「国民の信頼を回復し、事故の負のイメージを払拭する取組が必要」との発言に関し質問。山地氏は、「まず国が前面に立って『原子力を活用していく』と、国民に示していくことが非常に重要だ」と応えた。電力安定供給の重要性を踏まえ、SMRに期待する平山委員また、平山佐知子委員(無所属)は、「今、子供から高齢者までスマホを使うようになり、話題の『ChatGPT』も電力を多く必要とする。これからますます電力を消費する社会となっていく」と、将来に向けた電力安定供給の重要性を強調。「あらゆるエネルギー源を否定することなく、様々なイノベーションをしっかりと起こしていく必要がある」と、現実的・総合的に対応していく必要性を主張した上で、次世代革新炉の開発に関し、小型モジュール炉(SMR)を利用した水素製造の可能性にも期待を寄せた。なお、今回の法案成立を受け、松野博一官房長官は5月31日午後の記者会見で、「原子力規制委員会が厳格に規制を行っていく方針に変わりはない。今後、エネルギー安定供給とカーボンニュートラルの実現の両立に向け、本法の着実な施行に努めていく」と発言。また、電気事業連合会の池辺和弘会長は、「安定供給と2050年カーボンニュートラルの実現に向け、引き続き、安全確保を大前提とした原子力発電の最大限の活用、火力発電の脱炭素化、電化の推進など、需給両面であらゆる対策を講じていきたい」とのコメントを発表した。※写真は、いずれもオンライン中継より撮影。
- 01 Jun 2023
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先進炉等に支持広がる――NGOの多国間世論調査
このほど公表された多国間世論調査「The World Wants New Nuclear」によると、先進原子力エネルギー技術(モジュール性、サイズ、安全性などの側面においてイノベーションをもたらす様々な次世代原子力エネルギー技術)に対する支持が各国で広まっている。この調査はNGOのClearPath(米), Third Way(米), Potential Energy Coalition(米), Replanet(欧)が共同で2022年11月から2023年1月にオンラインで実施したもので、フランス、ドイツ、日本、ポーランド、韓国、スウェーデン、英国、米国の8か国の一般市民からランダムに計13,500人を抽出し対象としている。先進原子力エネルギーを支持すると答えた人の割合が高い国は、ポーランド、フランス、スウェーデンで、とりわけ昨今、大型炉やSMRの導入に向けた動きが活発化しているポーランドでは、回答者の84%が先進原子力エネルギーを支持する結果となった。またポーランドの回答者の78%が気候目標を達成するためには原子力エネルギーが必要と考えており、調査対象国のなかでも最も高いレベルを記録した。また今回の調査では、全ての国で環境保護団体のメンバーやサポーターが先進原子力エネルギーを支持していることが判明。今年4月に商業用原子力発電所を全廃したドイツでも環境保護団体のメンバーやサポーターの間で支持が51%、反対が28%と支持が反対を上回った。日本においては、全体の45%が先進原子力を支持する結果となり、調査対象国の中では支持の相対順位は最低ながらも、反対の29%を上回った。また、環境保護団体のメンバーやサポーターの55%が先進原子力を支持すると回答。こうした環境保護団体のメンバーやサポーターにおける支持の背景について報告書は、原子力が気候目標の達成に不可欠であるとの認識が全般的に好意的な結果につながっている、と分析している。さらに報告書では、日本では先進原子力に強く反対する人の60%が55歳以上の年齢層に集中していることや、先進原子力を支持する要因として経済的な利点を認識していることなどを特筆した。その他、調査全体で男女別に見た場合、「他のエネルギー源と並んで、最新の原子力エネルギー技術を使用して発電することを支持」との問いに対し、70%の男性が「強く同意」「やや同意」と回答。これに対し、女性の支持は54%と男性の支持を下回るものの、27%が「中立」と回答し、「やや反対」「強く反対」の19%を上回った。今回の多国間世論調査を実施したNGOの一つReplanetの共同設立者のM. ライナス氏は、「原子力発電は不人気だと思われがちだが、今回の研究結果は、クリーンで、カーボンフリーの原子力発電が、どの調査国でも過半数の支持を得ていることを決定的に示している」とコメント。「この大多数の支持は、多くの場合、環境保護団体や緑の党のメンバーにまで及んでおり、政策立案者や投資家は、緊急に必要とされている先進原子力の導入の決定をする際に、世論を恐れる必要はないことを示している」と指摘した。
- 01 Jun 2023
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原産協会・新井理事長 G7受け「最大限活用」へ意欲
日本原子力産業協会の新井史朗理事長は5月26日、定例の記者会見を行った。新井理事長はまず、19~21日に開催されたG7広島サミットを受けて発表した理事長メッセージについて説明。今回のサミットで発出された共同コミュニケでは、原子力について、「化石燃料への依存を低減し得る低廉な低炭素エネルギーを提供し、気候危機に対処し、ベースロード電源や系統の柔軟性の源泉として世界のエネルギーを確保する」ものと、その役割の重要性が改めて確認された。これに先立ち、原産協会は、「G7札幌気候・エネルギー・環境大臣会合」(4月15、16日)の機会を捉え、米原子力エネルギー協会(NEI)と「国際原子力エネルギーフォーラム」を共同開催。会見で新井理事長は、その成果にも言及し、原子力産業界として、「G7で確認された原子力の役割の重要性に鑑み、気候危機への対応とエネルギー安全保障の確保に向けて原子力を最大限活用すべく、世界の原子力産業界と協力しながら、引き続き取り組んでいく」と強調した。また、最近の原子力政策を巡る政府の動きとして、4月28日に閣議決定された高レベル放射性廃棄物の「最終処分に関する基本方針」の改定では、処分地選定に向けて国が前面に立ち有望地点の拡大などの取組を強化していくこととされたが、これに関して、新井理事長は「この課題が日本全体で共有されるとともに、具体的なプロセスが進展する」よう期待。さらに、同日、原子力関係閣僚会議で、再稼働への総力結集、既設炉の最大限活用、次世代革新炉の開発・建設、サプライチェーンの維持・強化などに取り組む「今後の原子力政策の方向性と行動指針」が決定されたことについては、「わが国のエネルギー安全保障、電力の安定供給、2050年カーボンニュートラル実現に向けて、原子力を持続的に活用するための今後の方向性が整理された」ものと認識。「これを踏まえ、原子力の最大限活用に取り組んでいく」と改めて述べた。記者より、昨今、核融合エネルギーの実用化を目指し研究開発に取り組むベンチャー企業や、浮体式原子力発電所プロジェクトを進める海外企業、これに対する国内企業による出資の動きから、その実現可能性について問われたのに対し、新井理事長は、今後の技術革新やスタートアップに期待しつつも「まだハードルは高い」などと応えた。
- 29 May 2023
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G7広島サミットが閉幕
G7広島サミット(5月19~21日、広島市)が全日程を終了。21日、岸田文雄首相は、議長国記者会見を行い、今回の開催地に広島を選んだ意義を「平和への誓いを象徴する」ふさわしい場所と改めて述べた上で、G7首脳との議論を通じ「『核兵器のない世界』に向けて取り組んでいく決意」が共有できたと強調した。同日夕刻、岸田首相は、ウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキー大統領と会談。依然、ロシアによる侵略が予断を許さぬ同国に対し、新たな支援を約束した。サミットでは、20日、「G7広島首脳コミュニケ」を発出。エネルギーに係る項目の中で、原子力の有する潜在性として、「化石燃料への依存を低減し得る低廉な低炭素エネルギーを提供し、気候変動に対処し、およびベースロード電源や系統の柔軟性の源泉として世界のエネルギー安全保障を確保する」との認識を示した。さらに、「G7札幌 気候・エネルギー・環境大臣会合」(4月15、16日)のコミュニケに盛り込まれた既設炉の最大限活用、革新炉の開発・建設、強固な原子力サプライチェーンの構築、原子力技術・人材の維持・強化に係る取組姿勢を確認。改めて「最高水準の原子力安全および核セキュリティが、すべての国およびそれぞれの国民にとって重要である」と強調している。また、「G7広島首脳コミュニケ」では、福島第一原子力発電所の廃炉作業の着実な進展、日本による取組について、「科学的根拠に基づきIAEAとともに行われている」と、その透明性を歓迎。ALPS処理水((トリチウム以外の放射性物質が、安全に関する規制基準値を確実に下回るまで、多核種除去設備等で浄化処理した水))の海洋放出に関しては、「IAEA安全基準および国際法に整合的に実施され、人体や環境にいかなる害も及ぼさないことを確保するためのIAEAによる独立したレビューを支持する」としている。20日、岸田首相は、今回、招待国となったクック諸島のマーク・ブラウン首相と会談を行っており、2月にも太平洋諸島フォーラム(PIF)代表団として来日したブラウン首相は、政治レベルや専門家間の対話など、ALPS処理水の海洋放出に係る日本の取組に理解を示した。今回のG7広島サミットを受け、日本経済団体連合会の十倉雅和会長は22日、地球環境・エネルギー分野の議論に関し、「気候変動対策について、開発途上国等との連携や多様な道筋の追求が合意され、エネルギー安全保障と持続的な経済成長を確保しつつ、再生可能エネルギーの拡大や、原子力、水素・アンモニア等の活用で一致したことを高く評価する」とのコメントを発表。また、日本原子力産業協会の新井史朗理事長は22日、「G7で確認された原子力の重要性に鑑み、気候危機への対応とエネルギー安全保障の確保に向けて原子力を最大限活用すべく、世界の原子力産業界と協力しながら引き続き取り組んでいく」とするメッセージを発表した。
- 22 May 2023
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「コスト」と「投資」 明暗を分けたG7気候・エネルギー・環境大臣会合
4月15~16日、札幌市でG7気候・エネルギー・環境大臣会合が行われた。同会合はG7広島サミットに連なる関係閣僚会議の1つに他ならない。これ以外にも4月16~18日に軽井沢で行われた外相会合、29~30日に高崎で行われたデジタル・技術大臣会合など、全部で15の閣僚会合が開催され、その全てで日本の担当大臣が議長を務める。エネルギー・環境大臣会合には、G7の他、G20議長国のインド、ASEAN議長国のインドネシア、そして国連気候変動枠組条約第28回締約国会議(COP28)議長国のアラブ首長国連邦(UAE)が招待された。それ以外にも、国連気候変動枠組条約(UNFCCC)事務局、経済協力開発機構(OECD)、国際エネルギー機関(IEA)などの国際機関も招かれている。気候変動とエネルギーは国際社会の大きな課題になっており、主要国の役割が極めて重要であることに疑問の余地はない。議長は西村康稔経済産業大臣、西村明宏環境大臣、清和会(安倍派)出身の両西村大臣が共同で務めた。もっとも、準備段階での調整を含め、この会合に関し議長国の日本は防戦一方だったようだ。16日付けのフィナンシャルタイムズ(電子版)は、“G7 countries have pledged to accelerate a gradual phase-out of fossil fuels and the shift towards renewable energy, as Japan faced significant pushback on central parts of its climate strategy(日本は気候戦略の中心部分に関して厳しい抵抗に直面し、G7は段階的な脱化石燃料と再生可能エネルギーへのシフト加速を約束した)”と報じていた。日本が米欧から責め立てられたのは、フィナンシャルタイムズが指摘する化石燃料に加え自動車だろう。会合後に発表された共同コミュニケには、化石燃料に関して以下のように書かれていた。We underline our commitment, in the context of a global effort, to accelerate the phase-out of unabated fossil fuels so as to achieve net zero in energy systems by 2050 at the latest in line with the trajectories required to limit global average temperatures to 1.5℃ above preindustrial levels, and call on others to join us in taking the same action.(われわれは地球規模の活動の一環として、産業革命以前との比較で平均気温の上昇を1.5度に止めることを求めた道程に沿い、遅くとも2050年までにネットゼロのエネルギーシステムを達成するため、削減対策が講じられていない化石燃料からの脱却を加速させるわれわれのコミットメントを強調し、他の国々にも同様の行動に参加するよう求める。)日本政府が作成した当初のドラフトでは、この“accelerate the phase-out of unabated fossil fuels(削減対策が講じられていない化石燃料からの脱却を加速させる)”の部分はなかったようだが、英国、ドイツ、フランスの欧州3か国が議長国を押し切った模様だ。石炭の活用に期限を設けることは押し返したものの、現在の日本のエネルギー事情を考えると、高いハードルが設定されたと言えるだろう。自動車についても、日本にとっては厳しい書きぶりになった。We highlight the various actions that each of us is taking to decarbonize our vehicle fleet, including such domestic policies that are designed to achieve 100 percent or the overwhelming penetration of sales of light duty vehicles (LDVs) as ZEV by 2035 and beyond; to achieve 100 percent electrified vehicles in new passenger car sales by 2035; to promote associated infrastructure and sustainable carbon-neutral fuels including sustainable bio- and synthetic fuels(われわれは、2035年までかそれ以降に販売される小型車に関し、100%もしくは圧倒的な規模を排出ゼロ車とすること、2035年までに新たに販売される乗用車の100%をEVにすること、関連するインフラ及び持続的なバイオ燃料や合成燃料を含めた持続的な排出中立の燃料を促進すること、と言った国内政策を含め、それぞれの国が自動車の脱炭素化のために実施する多様な取り組みを強調する。)注意深く読むと、G7の全ての国が2035年までに100%排出ゼロ車とすることや、同じく2035年までに新車販売を全てEV化すると約束したわけではない。あくまでそれぞれの国が実施する「多様な取り組み」を例示したのに止まっている。しかしながら、電気自動車(EV)化で出遅れた日本にとって、非常に厳しい現実を突き付けられつつあるのではないか。調査会社のマークラインズによれば、2022年における世界のEV販売台数は前年比66.6%増の726万台であり、自動車市場の9.5%を占めた。企業別に見ると、トップはテスラ(米国)の127万台、2位は比亜迪(BYD:中国)の87万台、3位はゼネラルモーターズ(GM:米国)の70万台だ。日本勢では、日産・ルノー・三菱連合が28万台で7位と辛うじてトップ10に食い込んだが、ホンダ3万台(26位)、トヨタ2万台(27位)と全体に大きく出遅れている(図表1)。ガソリン車で強い存在感を維持してきたことから、競争力の源泉であるエンジンに拘り、EV化へ抗ってきたことが背景と言えよう。EVはバッテリーとモーターで駆動することから、ガソリン車に比べて圧倒的に参入障壁が低い。地球温暖化を抑止するため化石燃料の消費削減を求められるなか、世界シェアトップのトヨタは水素に活路を見出そうとした。燃料電池は内燃機関以上に技術的な難易度が高く、優位性を維持できるとの考えが背景にあったと見られる。もっとも、可燃性が極めて高い水素は取り扱いが難しく、自動車普及に欠かせない水素ステーションの整備には巨額の費用が必要だ。一般的な乗用車としてはあまりにも課題が多いため、国際社会はどうやら次世代の乗用車の動力としてモーターを選んだ。自動車は日本の基幹産業であり、その国際競争力は日本経済を左右しかねない。従って、産業界だけでなく、日本政府もEVへのシフトを躊躇い、議長国として臨んだ今回のG7会合に象徴されるように、国内外においてガソリン車の延命を図ろうとして厳しい批判に晒されている。もちろん、電力インフラの脆弱な新興国、途上国を中心にガソリン車への需要は続くだろう。しかしながら、少なくとも先進国ではEV化の流れは避けられそうにない。EV化は日本の自動車産業のみならず、日本経済全体にとっても大きなダメージだ。ただし、変化を躊躇えば全てを失うシナリオすら現実となり得る。4月18日に開幕した上海国際自動車ショーが日本でも大きく報じられていたが、世界最大の自動車市場となった中国はEVへのシフトを急速に進めてきた。EVは情報通信技術(IT)との親和性が高く、自動運転化などを通じて交通インフラの在り方も大きく変えると見られる。日本が引き続きガソリン車に拘れば、取返しのつかない差をつけられる可能性は否定できない。 規制の強化がコストを投資に転化環境に関する技術の変化、そして規制の見直しは関連業界にとって負荷が大きい。しかし、それが競争力の源泉となり得ることは日本の自動車産業が証明済みだ。1970年12月、米国連邦議会において「大気清浄法改正法案」(マスキー法)が可決された。エドムンド・マスキー上院議員が提案した自動車の排ガス規制である。1975年以降に製造される自動車は、1970−71年型車に対して排気ガス中の一酸化炭素、炭化水素を10分の1以下、1976年以降に製造される車はさらにチッソ酸化物も同じく10分の1にする…との極めて野心的な内容だった。あまりに大胆過ぎたことから、米国内において自動車業界が激しく反発し、結局、施行を1年後に控えた1974年に連邦議会において廃止されたのである。一方、日本は1978年に米国でお蔵入りになったマスキー法と概ね同等の厳しい規制を導入した。「昭和53年規制」、「日本版マスキー法」と呼ばれる自動車の排ガス規制だ。当時は光化学スモッグが社会問題化していた上、第一次石油危機後の省エネ化の流れを背景に、自動車に対する世論の風当たりが厳しくなっていたことが背景と言えるだろう。この厳しい規制をクリアするためのエンジン技術の開発が、日本の低燃費・低公害車を生み出す原動力になった。全くの時代の巡り合わせだが、1978年1月に始まったイラン革命を契機とした第2次石油危機により原油価格が急騰、日本の自動車産業が世界に飛躍する大きな転機が訪れたのである。燃費の良い日本車への需要が米国などで急速に拡大、1975年に183万台だった完成車輸出は、1985年には443万台へ急増した(図表2)。日本版マスキー法による排ガス規制の強化は、結果的に自動車業界を国の基幹産業へと飛躍させる原動力になったのである。同じような取り組みをしているのが今の欧州だろう。典型的な例は、EUによる温室効果ガス削減目標の大幅な引き上げだ。EUがフェーズ4とする2021~30年に関して、当初は削減目標を1990年比40%としていたのだが、2020年11月8日、EU理事会と欧州議会は55%への引き上げで暫定合意した。さらに、同年12月11日の首脳会議を経て、同17日、EU理事会が正式に決定している。ドイツの国防大臣であったウルズラ・フォンデアライエン氏が、2019年12月1日、EUの政府に当たるEU委員会の委員長に就任したことが転機となった。このEU内における排出規制の強化を受け、欧州排出量取引制度(EU-ETS)における排出量の価格が急騰、過去最高値圏で推移している(図表3)。排出量が基準を上回る可能性のある事業所が多数存在するとの思惑から、排出量クレジットへの需要が急速に高まった結果だ。これは、一見するとEU域内の企業にとりコストの上昇に見える。もっとも、EUの真の狙いは投資の誘発だろう。カーボンプライシングにより、排出量を基準よりも削減した企業は温室効果ガス排出量のクレジットを売却、生産コストを下げることが可能である。一方、基準よりも多い企業は排出量のクレジットを買わなければならない。このインセンティブとペナルティにより、企業に強い排出量削減の動機が働くのではないか。排出量の基準が甘く、多くの企業が達成可能である場合、排出量クレジットの価格は低迷するはずだ。実際、2005年の市場開設以降、EU-ETSにおけるクレジットの価格は低迷し、取引量も少なかった。それでは、企業に新たな行動を起こす動機付けにはなり難い。一方、規制を強化して市場におけるクレジットの価格を引き上げれば、インセンティブとペナルティの効果は自ずと大きくなる。結果として排出量を減らすための投資が行われ、EU域内において温室効果ガスの排出量削減が進む可能性が強い。これがEU域内の排出量削減に止まるプロジェクトであれば、域内におけるゼロサムゲームとなる。ただし、フォンデアライエン委員長などが狙っているのは、さらに野心的な成果なのではないか。EUが域外国との間で排出量の国境調整を行う計画であることもあり、いずれは多くの国でカーボンプライシングが採用されるだろう。その時、厳しい規制により先行して排出量を削減してきた欧州企業は、国際市場において強い競争力を発揮する可能性が高まる。仮にこの目論見が奏功すれば、EU域内企業は、投資のコストを域内のゼロサムではなく、域外から回収することになるはずだ。 遠ざかる欧州の背中、迫る米国の足音1960~70年代、日本は高度経済成長の歪みにより厳しい公害問題に苦しんだ。それを克服する過程において、省エネ・省資源化を進めたことが、日本の国際競争力強化に大きく貢献したと言えるだろう。1990年時点において、購買力平価で算出したドル建てGDP1ドルを産み出すに当たって排出する温室効果ガスは、即ち原単位排出量は、米国0.812kg、EU0.572lgに対し、日本は0.442kgと圧倒的な競争力を有していた(図表4)。結果として、日本国民、企業の間で日本は「環境大国」との認識が広がったのではないか。しかしながら、長引く経済の低迷で投資が停滞した上、2011年の東日本大震災に伴う原子力発電所の停止により、日本の原単位排出量は2000年代に入って削減が進まなくなった。一方、この間、戦略的に取り組んできた欧州は、既に日本の遥か先を進んでいる。さらに、かつては地球温暖化問題に関心が薄いイメージだった米国が、今や日本のすぐ後ろを並走する状態になった。カーボンプライシングが国際競争力に影響すると見抜いたことにより、温暖化対策はコストではなく投資との認識が広がったからだろう。倫理だけでなくビジネス上の課題になれば、米国は極めて迅速、且つ柔軟な対応力を持つ国と言えよう。米欧主要国は規制と補助金など政策を総動員、エネルギー問題と温暖化対策を起爆剤として国際競争力の強化を図ろうとしている。他方、日本は自らを「環境立国」と位置付けつつ、G7では既得権益を守るためブレーキを踏まざるを得ない国になった。日本の自動車産業はその象徴だ。1970年代後半から80年代の成功があまりに大きく、これまでのガソリンエンジンを軸とした業界における序列を守ることが重視され、世界の変化に取り残されつつある感が否めない。日本政府も化石燃料、自動車の専守防衛に政策の重心を置き、この件に関してはG7のなかで孤立感を深めた。日本ではまだ温室効果ガス排出量削減への取り組みをコストと考える風潮が強い。一方、米国、欧州ではこれを投資のチャンスと捉え、政策の後押しを受けてビジネスの拡大を図ろうとしている。コストと考えるか、それとも投資の機会と考えるか、この違いは決定的に大きな結果の差を産み出すのではないか。
- 22 May 2023
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